献身

スイ

献身

「ただいまー」

 コンビニの袋を下げて帰ってきたあなたは、食卓と作業台を兼ねたダイニングテーブルに袋を放り出すと、振り返って洗濯機にマスクを放り込んだ。そのまま洗濯機の脇の流し台で手を洗う。六畳のワンルームは、何もかもが手に届く範囲に収まっている。

 放り出された袋からは、勢いあまって中身が飛び出している。ツナマヨのおにぎり二個と、麦茶のパック。

 今までは、袋からは淡麗グリーンラベルがのぞいていることが多かった。けれど、最近は麦茶ばかりだ。

 発泡酒の前はビールだった。たしか、一番搾り。週末しか飲まなかったビールを毎日飲むようになって、それが発泡酒に変わって……そして今は、お酒を飲まくなった。

 手を洗い終えて、あなたは作業台に置かれた大きなデスクトップパソコンの電源を入れる。

 パソコンをいじりながら、おにぎりをつかんで器用に包装をむいて食べる。

 真っ黒な背景の画面には、色とりどりの文字が浮かんでいる。

 あなたは時々難しそうに眉根をよせて、独り言を呟きながらキーボードを叩く。

 画面の文字が何を意味するのか、わたしにはわからない。けれど次々に現れる文字は花火みたいで、きれいだ。


「ねえ、声を聞かせてよ」

 しばらくしてふと気づいたかのようにあなたはわたしに話しかける。なによ、ずっとパソコンに夢中になっていたくせに。

「最近機嫌悪いなあ」

 そう言いながら、あなたは優しくわたしの肩や頭をなでる。むむむ、そうされると、悪い気はしない。

 わたしが話し出すと、あなたは満足そうに頷いて、パソコンに向き直って作業に取り掛かる。

 もう…別に、いいけど。

 君の声は最高だって、前にあなたが言ってくれたことを思い出しながら、機嫌よくわたしは話し続ける。自分でも調子がいいなと思うけど、仕方ない。だって、あなたが大好きだから。

 時折あなたは作業の手を止めて、耳だけでこちらに注意を向ける。しばらくするとまた、画面の中に吸い込まれるように、集中を深くしていく。

 深夜になってわたしが話しやめると、あなたは「おやすみ」と言ってわたしの頭をなでた後、部屋の電気を消した。

 うん、おやすみなさい。また明日。


 あなたがなぜだか毎日家にいるようになって、毎日お酒を飲むようになって、ほとんど出かけなくなって。鬱屈していくあなたを心配していたら、ある日大きなデスクトップパソコンが家に届いた。

 本当にやりたいことが何かわかったんだ、とあなたは言った。勉強して、転職するんだ、と。

 また毎日朝出かけていくようになってからも、勉強は続いていた。どんなに遅く帰ってきても、パソコンの前に座って作業するあなた。

 目標を掲げるみたいに、作業台の前の壁におしゃれな部屋の写真を貼った。広くて清潔で快適そうな、白い色調のスタイリッシュな部屋の写真。


「今日は歌を聞きたいな」

 帰ってきたあなたはわたしの頭をなでて言う。

 あら、歌なんてめずらしいね。

 でも、大丈夫。なんだって歌ってあげる。

 ポップスでもジャズでもクラシックでも、男の声だって女の声だって思いのまま。

「今日は機嫌がよさそうだね」

 あなたは旧式のわたしを上手にチューニングして、チャンネルを合わせながら満足そうに頷いた。

 わたしは調子よく歌いだす。流れ出したのは人気韓流アイドルグループの優しいメロディだ。

 あなたの夢が叶って、職業を変えたらきっと、わたしはもういらないのかもしれないね。古臭いラジカセが、あなたに似合うとは思えないから。

 夢に向かうあなたに、きっとわたしはちょうどいい。このワンルームとか、ツナマヨのおにぎりみたいに。

 夢を叶えたあなたには、真新しい誰かがちょうどいい。あの壁に貼ってある、広い部屋みたいな。

 でも、もうちょっとだけ、あなたの支えでいたいの。

 あなたが望むなら、何でも話すよ、何でも歌うよ。

 だから、壊れるまで、そばにいさせて。

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