解花

 黄銅の騎士はこめかみに指を当て、無言のまま静止している。念話を飛ばし誰かと話しこんでいるらしかった。日は沈み、アントンは蒼紋兵を背にしゃがみこんでいた。殺風景な岩場の狭間、つかのまの草原には、冷たい風が吹きすさぶ。命令の途絶えた蒼紋兵は、ただじっと静止している。

 アントンは震えていた。悪寒もあったが、得体の知れない恐怖がその底にあった。ハイン――長年追い続けた仇を前にしても、アントンは不思議と恐怖を感じなかった。それどころか、高揚していた。楽しい、とさえ。

 ――だからこそ、怖気のする矛盾から逃れられなかった。

 ああ。やっぱりおれは、人殺しなんだな。あの瞬間、彼は思ってしまったのだ――、と。命が途絶える刹那を待ち望み、期待に胸を膨らませていた。

 挙句、ハインの仲間とはいえ、関係ない犬人を傷つけ、返り血を浴びた。

 このまま、自分がどこまでも堕ちてゆく予感があった。おれはどうなるのだろう、次は誰を殺すのだろう。笑って女を殺し、臓物を引き出し、最後には自分よりも幼い子供をばらばらにして――

 ――

 そう思った刹那、唐突に嘔気がこみあげた。

「アントン!」

 黄銅の騎士が駆け寄る。アントンは、自分の意識が朦朧もうろうとしていることに気づいた。

 手が、あかい。あおぐろい、まだらの――

「……吐血。それにこの斑点。まさか――いや、それにしても早すぎる。

 アントン……、もしや、?」

 アントンは答えなかった。茫漠ぼうばくたる意識のなか、彼は我ならずほほえんだ。

 ああ。これで、誰もヘルタにならなくなるのなら、それ以上のことはないな――。そう、思えたから。

「……フェルンベルガーに伝達。『我が従者、危篤なり』。復唱せよ」

 蒼紋兵のひとりが、耳障りな濁声だみごえで伝言を復唱する。

「よろしい。行け。その他は解散、配置に戻れ」

 命令され、蒼紋兵は速やかに陣形を組んで移動しはじめる。

 黄銅の騎士はアントンのかぼそい身体を抱えあげると、その後ろを足早に追った。

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