牙もたぬ者

 ぼくは、五人兄弟の末っ子として生まれた。兄弟といっても、人間と違って同腹だ。だから五つ子と言うべきかもしれない。犬人は人間でいう兄弟や親より同腹の仲間を大切にする。それは、たくさん産まれるぶん、たくさん死ぬからかもしれない。

 産まれた順番で言えば、ダン兄さん、ガルー姉さん、ロンとパテン、ぼくの順だ。けれど、物心つく前に死んだ兄弟を入れれば、あと三人はいた。親や大年寄りは口を開くたび、その三人のことを引きあいに出した。思えば、その頃から喪失感はあった。

 ロンとパテンは縞柄でよく似てて、匂い以外では区別がつかなかった。セリャカの実が好きでいつもカビくさかったロン、綺麗好きで常に青草の匂いがしてたパテン。ふたりはいたずら好きで、しょっちゅうダン兄さんやガルー姉さんに怒られていた。けれど、なぜかぼくには甘くて、そのせいかあまり兄さんという感じがしなかった。

 その日。定時連絡が途絶えて、一週間後の夕暮れ。パテンは首だけで――つまり、ロンにかかえられて帰ってきた。そして、そのロンも気が触れていた。腐りはじめた生首をずっと持ち歩いていたようで、ひどい臭いだった。カビの臭いも青草の匂いも、みなそれに塗り潰されていた。

 ぼくがロンを最後にみた時には、パテンの頭はいつの間にか崩れて、顎の骨だけになっていた。その、パテンのかけらへ、ロンはひっきりなしに何か囁いていた。薄ら笑いを浮かべ、『早くくっつけてもらおうな、ロン』と。そんなふうに、口を開く度に相手が入れ替わっていた。ぼくは見るなと追いだされ、ロンがその後どうなったのか、知ることはできなかった。ただうわさで聞くかぎりは、ろくな死にかたではなかった。そのパテンのかけらと、自分を同じにしようとしたらしいから。

 それに比べれば、ガルー姉さんはきれいな死に方だった。もちろん、悲しいことは悲しかった。でも、ロンやパテンとは比べるまでもない。誇りも名誉もあり、憐れみではなく敬意を捧げられて葬られた。

 けれど、だからといって――死にたくなんか、ない。そんなこと、これっぽっちも考えたくない。

 でも、思うんだ。霞のように、朝になれば何も残さず消えるさだめなんだとしても、そんなのは嫌だ。こんなに悲しくて苦しくて、怖いのに――死んだ後、何も残らないなんていやだ。なにか、自分がここで生きていた証が欲しい。それがもらえるなら、みじめでも、あわれでも、苦しむ意味がある。

 それくらい、ほしがったっていいでしょ? ねえロン。パテン。……ガルー姉さん。ぼくは、ダン兄さんやガルー姉さんほど、強くない。だれひとり傷つけたくないし、殺したくない。それどころか――誰に降りかかるでも、「死」、それそのものがこわい。

 ハインのように、殺せたのなら。ロンのように、全て分からなくなっていれば――ぼくも戦えたのに。足手まといにはならなかったのに。ぼくの言うことをきかない、この手足に憤ることもなかったのに。

 もし、もしも、そうだったら。

 ダンやハインにばかり、こんなに殺させることもなかったのに。


 ケルンエヒトの昼下がり。白い雲が空の半分を占める、冬の空。

 市場でにぎわう大通り。白い石造りの屋根の上、フードをかぶったぶち模様の犬人が、道行く人々を注視している。黒鉛を木片で挟んだだけの硬筆をくわえ、時折、木片になにか書きつけている。

「ウラさん、動きはあった?」

「ぶらぶらしてるだけだね。リタ、周りはなんともない?」

「今のところね。でも、ホントにハインしか見かけないね」

 うん、とウラはうなずく。ハインと言っても彼らの仲間ではなく、伏竜将の方だ。ウラは後ろを振り返る。リタは目と鼻に神経を集中させ、きょろきょろと四方八方を見回している。こっちのハインは《真実の目》と《遠見》を使うと言っていたから、使い魔のリタにも呪文は共有されているはず。ぼくなんかよりも鋭いだろう。

 ウラは視線を通りに戻す。が、しまったと額を打つ。さっきまで通りを走っていた伏竜将がいない。見失ってしまったか。

 ウラは血眼になって通りをにらむが、やがて潮時かと感じた。移動した方がいいとリタを呼ぶ。

 しかし、その刹那。黒い人影が視界の端を通りすぎた。

「どしたの、ウラさん?」

「……ちょっとまって」

 ウラは身を乗りだして、自分のいる建物の下を覗きこむ。リタも、そわそわとした足どりで隣に来る。

 せりだした屋根布に半ば隠れ、その下を足早にゆくのは、黒いローブの人物だった。宮廷魔術師だろうか、いや、それにしては歩き方が――。

 その人影は、せりだした看板の下を通り抜ける。次に出てきたのは、みすぼらしい身なりの少女だった。

「えっ?」

 ほんの一瞬のことだった。薄い看板のかげに隠れたその一瞬、人が入れ替わったとしか思えなかった。手品を見せられているかのようだった。

 見間違いかと目をこするが、銀髪の少女はまだそこにいる。大通り側から裏路地を覗きこんで、じっとたたずんでいる。とんでもないものを見ている、とウラは悟った。

「ウラさん、あれって……!」

「……うん、ハインに知らせなくちゃ」

 リタの震えた声に、ウラがこたえた、その時。

 その少女が、こちらを見上げる。

 目があった。鳶色の瞳が、彼を見ていた。

「まずい、リタ!」

 ウラは退散すべく、後ろをふりかえる。

 しかし。

「げっ――くそが!」

 出し抜けに刃が閃く。とっさに防御しようとした腕を切られ、ウラはうめく。

 長身の金髪。あろうことか、尾行の相手――伏竜将のハインがそこにいた。

「うそ、いつの間に!」

 リタは反射的にウラの背後に回る。だが、常ならず今の主人はハインでない。

 ウラは歯を食いしばってナイフを抜くが、顔は血の気が引いていた。リタは勝手がわからず足踏みする。

「ハイン! ……いいや、トビアスっていうんだっけ――なんでもいい!

 なんで、ぼくらの場所が……」

「てめえにゃ用はねえ!」

 まっすぐ、瞬時に。首を掻こうとするナイフ、それをウラは間一髪で回避するが、頬が一文字に切り裂かれる。頬を押さえ、ウラは距離を取ろうとする。

「リタ、ハインへ連絡して! 逃げられるなら自分だけでも!」

「ダメ! 呪文が……!」

 常に開かれているはずの経絡パスが途絶えている。奥歯に仕込んだ転移術も起動しない。

 リタは耳をぺったりしぼませ、尾を巻きこんでいた。その姿にウラは背筋がぞっと冷たくなる。彼は理解した。皇国は魔術師を数多く抱えている――絶体絶命なんだと。

 トビアスはこちらに向かってくる。たったの二合。だが、それだけ切りむすべば、相手の力量は容易にわかった。ダンよりも上、こちらのハインと互角――つまり彼に、勝ち目はない。

 ウラの体を、凍える怖気が伝う。なんども何度も味わった――死の恐怖。血の凍るようなおぞましい絶望に、手足の感覚を忘れる。手からナイフがこぼれる。

「どけ!」

 トビアスはダガーの柄でウラを殴ると、視線を下にやる。痛みにウラの意識が白く染まり、たたらを踏む。けれどウラは、ふとトビアスの視線を追う。

 ウラの足元で、リタはおびえて唸っていた。

 ――いつもなら、戦闘はハインが担当していた。リタは補助にすぎない。

 リタは大きくひとつ吠え、ウラの背後から飛びだした。トビアスはそれを追おうと向きを変える。

 ウラは、急に自分が透明になった気がした。トビアスとリタが戦っている。では、自分は? かちかちと歯が鳴っている。ぼくの歯だ。いつの間にか、股の間に尻尾がめりこんでいる。リタだってそうだ。なのに、リタは迷わず撤退を選んだ。ぼくは、情けなく立ち尽くしているのに。

 トビアスは前髪を掻きあげる。そこにあるのは――七つ角の青い星、“竜の刻印ドラゴンマーク”。

 おびえきったリタの顔に、ふと、ウラはロンの最後の顔を思いだした。

 ――そうだったのか。絡まった糸が解れるように、にわかに悟った。

 ロンは、笑っていたんじゃない。。おびえて、こわくて――自分を守るには、狂うしかなかった。

 時の流れが遅い。すわ走馬灯かとリタは思うが、トビアスは元の速さのままだった。

竜の刻印ドラゴンマーク――!」

「イヌのくせに、逃げられると思ったか?」

 トビアスが武器を振りかぶり、リタに迫る。リタが目をつぶる――

 その刹那。

「がッ……!」

 トビアスの動きが止まる。ひとつせきこみ、喀血する。

「てめえ……!」

 その後ろ――荒く、息を切らし、汗だくになった顔。人狼もかくやという形相で、血だらけのテーブルナイフを両手で握りしめる犬人――ウラ。

 もはや、そこにウラの意思はなかった。ただ、怖れと怒りと、悲しみだけがあった。

「姉さんの、ガルー姉さんのかたきだ!」

 目尻には大粒の涙、鼻先には恐怖の深いしわ。けれども、抑えを失った激情はもう止まらない。形無しとなって、ウラは突進する。

「こんの……野郎!」

 トビアスのこめかみで、刻印が蒼く、輝く。

 そうして、ウラの捨て身の攻撃は、竜の刻印に取りこまれた。

 ナイフは片手で押さえられ、流れるように首を裂かれる。刻印に囚われたウラは、自分から噴きだす血煙が、ゆっくりと屋上を赤く染めるさまを眺めるほかはなかった。急速に手足の自由が利かなくなり、体は冷たくさめて、慣性のままどうと倒れゆく。いつしか、息もできなくなっていた。

 その時。ウラを見つめるトビアスの後ろ。リタは刻印から解き放たれ、なけなしの勇気で飛びかかる。恐怖と怯懦きょうだに震えながら、それでも顎を大きく開いて。

 だが、その攻撃も見抜かれていた。トビアスはふりかえりざま、飛びかかるリタの眉間をナイフの柄で殴りつける。目を薄く開いたまま、リタは力なく転がった。

 トビアスは背中の傷を押さえ、ふたつみっつ呼吸を整えると、リタを抱えあげた。

 ウラはその姿を、引き伸ばされた時間のなか、ただ見ていることしかできなかった。赤い水たまりが広がっていく。息はできず、無為にせきこんでは血を吐くだけ。

 リタを、かえせ……。

 喉は切り裂かれ、声は出ない。最後の力を振り絞って、やっとの思いで手を伸ばす。

 けれど、その手も届かない。

 どうして……どうしてなんだ。どうしてぼくは、こんなにも弱い。こわいからか、戦わなかったからか――生まれが悪かったのか。姉さんの仇も取れず、リタも守れず、何も遺すことなく、ぼくは――一晩の雪のように、消えてなくなるのか。

 まるで最初から、どこにもいなかったかのように。

 ぼくが強かったのなら。おびえもせず、ためらいもせず、ただ殺すべき相手を殺すことさえできれば……こんな終わりじゃなかった! こんなはずじゃなかった!

 決意が、殺意が……力さえ、あれば。誰も失わずにすんだのに。

 手が、血溜まりに沈む。

 トビアスは苦痛に浅く息をしながら、かつての同族の骸を見下ろしていた。

「貰っても構わないかね」

 唐突に現れた人影に、トビアスは取りあわなかった。

 ただ、その竜の仮面に白目がちな視線を送り、唾を吐いて立ち去った。

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