罪の宣告

 アントンは、尻餅をついたままだった。かちかちと歯の根が鳴る。

「な――んだよ、これ。アントン、お前……」

 人間のハインは、レイピアからアントンへ目をやる。驚愕に見開かれた目におびえ、少年は無意識に首を振っていた。

「しらない――おれ、こんなの知らない!」

 レイピアの刃先から根本まで、べっとりとへばりついた血液。かすった程度では、付きようもない量だった。

 アントンは青褪めていた。次の瞬間、つんのめるように走りだす。

「あっ、おい! どこに行くんだよ!」

 ハイン――トビアスは遮二無二追いかけようとしたが、大通りの人混みに阻まれる。力任せにレイピアを納め、雑踏をかきわけた時には、もうアントンの姿はなかった。

「くそっ! アントンのやつ、勝手なことを……!」

 とてもじっとしていられず、トビアスも当てずっぽうに走りだす。

 ……思えば、アントンの様子は最初からおかしかった。夜遊びのくせがある割には夜のことを覚えていないし、屋敷のメイドから気味の悪い話を聞かされたこともある。

 くそ――なんでだ、どうしてだ。トビアスは不意に泣きたい気持ちになる。大切な人に捨てられ、任務もろくにこなせず、アントンすら助けてやれない。おれはなぜ、いつも、こんなにバカで非力で、やることなすこと裏目に出る?

 トビアスは城と屋敷を回り、次にはアントンを連れ回した屋台や店に飛びいった。だが、どれだけ聞き回っても、アントンの行方はようとして知れなかった。

 いつしか、昼をとうに回っていた。

 ――こんなことなら、知らなきゃよかった。人間サーヴァスになんか、ならなきゃよかった。あのままだったのなら、自分がマヌケでアワレだなんて、知らずに済んだのに!

 ぜいぜいと息を切らしながら、トビアスは思った。くやしくて悲しくて、どうにかなりそうだった。いつだっておれは、ひとりじゃ何もできない――

(トビアス)

 その時、頭のなかに黄銅の騎士の声が響く。その落ち着いた声を聞き、トビアスは伏竜将となる。

「なんだ、何かあったのか」

(言葉を口に出すな。《念話》の意味がないだろう)

 むっ、とトビアスは口元を押さえ、もごもごする。これまでトビアスは、ここまで呪文を駆使して行動したことがなかった。

(面目ねえ、ハインとその一味を見つけたんだが、また逃がしちまった。

 すまねえ……どうせ、おれなんかじゃ)

(いや。追っていると思わせられればそれでいい。おまえは十分、貢献している。

 そこで、追って命令がある)

 いつものトビアスなら、はしゃいで然るべき言葉だった。だが返事は沈黙であり、黄銅の騎士は疑念から次の言葉を言えなくなった。沈黙がトビアスを促す。

(けどよ、アントンが……)

 トビアスが頭のなか、やっとの思いでアントンの名を唱える。

 すると、意識の背後に感じる黄銅の騎士、その虚像がたじろいだ。

(何があった。状況を報告しろ)


 アントンは走る。ケルンエヒトの街路を、人混みをかき分けて進む。

 かつての彼は、これくらいの人だかりなら足元を縫って進むことができた。けれど、いつしか彼は大人と変わらない背丈になり、他人を押しのけて進むようになっていた。

 日はかげり、細い陽光のなかを彼はゆく。

 今にも泣きだしそうな顔で、同じような空の下を。

 ――なんで、おれの剣に血が? 分からない、なにも思いだせない。昨日の昼ごろ、ハインと話した時は何ともなかったはずだ。じゃあ、昨晩のうちに何かあったのか?

 はっとする。昨晩見た夢、悪夢から醒めて散歩に行く夢。あの嫌な生々しさを思いだした。あれは夢じゃなかったというのか。乱闘に巻きこまれ、剣を奪われたのか。

 ――いや、それなら。なぜ自分の枕元に、変わらずナイフベルトはあったのだ?

 背筋が寒くなり、アントンは頭を振って考えを打ち消した。

 夢に違いない。あの裏路地に行って確かめれば済む話じゃないか。……そうだろ、アントン?

 昼でも人通りの少ない道に差しかかり、アントンの足は急に重くなった。繁華街に続く道、その裏路地。その角を目にして、彼の決意は急にしぼんでしまう。

 確かめて何になる? どこかで取り違えたのかもしれないし、ハインの手のこんだイタズラかもしれないじゃないか。そうだ、なんの意味もない。

 ……その時。

 フフフ――。不意に耳元で、誰かの含み笑いが聞こえる。

「だっ……誰だ!」

 アントンは振り返るが、そこには誰もいない。雑踏の喧騒だけが遠くに響いている。人気のない街路には、そこここに黄色く赤く、枯れかけた雑草が横たわっているのみ。

 ……行こう。確かめないといけない、彼は不意にそう思った。

 誰にも見られていないのに、アントンはその曲がり角にへばりついた。漆喰の壁に挟まれた裏路地は、肩幅ほどしかない。家屋に挟まれた暗がりに、アントンは何かの息遣いを感じた気がした。

 アントンの息が荒くなる。どっと汗が吹き出してくる。

 くそ……ッ!

 アントンは意を決して、身を乗りだす。しかし。

「……はは、ははは!」

 アントンは笑いだした。

 そこには、なにもなかった。ただの裏路地があるのみ。無数の足跡がせめぎあう、ただそれだけの荒れた道。

 なんだ、やっぱり夢だったんじゃないか! アントンは安堵のあまり笑いながら、はなをすすって裏路地に足を踏み入れた。

 しかし、周囲の空気が一変する。

 鼻に異臭が飛びこむ。生臭い血の臭いと、野良犬に似た垢の臭い。アントンは一転、恐怖に駆られて嗚咽のようにうめいた。それなのに、足は止まらない。

 止まらなきゃ、見ちゃいけない。そう思っているのに、アントンの足は奥へ奥へと突き進む。鼻を突き刺す異臭は、あの日の悪夢によく似ていた。

 人からモノになってゆく、あの拷問に。拍動する心臓に、痙攣し失禁する人形に、着せ替え人形にされた少女に、泡を吹く女に、真っ赤に染まる犬人に。

 アントンは頭を押さえた。気が遠くなりそうだった。それなのに、

「あ――」

 ――真実は、そこに横たわっていた。

 そこでは、ひとりの男が事切れていた。

 粗末な身なりの、手足に青黒い斑点がある男。その目は見開かれたまま、乾燥して凹みはじめていた。背中に刺し傷、胸から小さな黒い水溜まり。己からあふれでて、固まったそれを大切にいだくように、体を丸めて硬直していた。

 アントンは力なく崩れ落ち、壁にもたれかかる。

 そして彼は、あのの続きを思いだした。

 そうだ。あの夜、まさにここに、顔のない男が立っていた! 残忍に笑って、そのレイピアを伝う、湯気立つ血液に快感していた。脈打つ心臓に頬ずりするあの少年のように笑い、おれの剣を血に濡らしていた!

「だれだ……お前は誰だ!」

 頭を振り、掻きむしりながら、アントンは通りに転がりでた。

 その記憶がいつかは分からなかった。でも誰かが自分の剣を使い、人を殺したのは明らかだった。アントンはいてもたってもいられず、あてもなく走りだした。

 あいつだ。あいつを探しだすんだ! そうすれば、おれの罪は――。

 悪魔のような形相で走る少年に、通りの人々は怪訝そうな顔をした。そして次には、見ないふりをした。


 教会の鐘に気づいた頃には、彼は城の裏手に出てしまっていた。日当たりの悪い、貧しい人々の暮らす貧民街。すれ違う人にはみな、あの青黒い斑点が浮き出ている。その背景には、汚されることなくヴァイセルシュタイン城がそびえ立っていた。

 アントンは城の威容を目にして、ふと思いついた。そうだ、黄銅さんに相談しよう、黄銅さんなら――と。しかし、そんなことをすれば、同時にいただいた剣を奪われた事実を伝えなければならないことに気づいた。そんなことをすれば失望されてしまう。でも、他に選択肢は――

「オマエ、名前は何つうンだったか」

 アントンは声をかけられ、道端の材木に腰かける子供に目をくれた。フードで顔を隠し、獣肉の串焼きにかぶりついている。アントンは後ろをふりかえった。

「オマエだよ。オマエに言ってンだ。ああ――アントンだったな。群青亭にいた頃はまだまだガキだったのに、筍みてェにでかくなったモンだ」

「おれを……知ってるのかい」

 まるで親戚のような口を利く子供に、アントンはとまどった。その表情に子供は、ククク、と喉の奥で笑った。枯葉がこすれるような、不安にさせる声。その声色は、彼がはじめて想った人に似ていた――切り裂かれた喉の立てる、かぼそい声に。

 ばさりと相手はフードをとる。その顔を見るなり、アントンはあっと声をあげる。その子供の――赤い瞳、赤い髪。忘れようはずがなかった。「お前、ハインの……!」

「よう。食うか?」

 差しだされた串には目もくれず、アントンは襟首をつかんだ。

「お前……! ハインはどこだ!」

「なンだよ……要らねェならそう言やァいいじゃねえか」

 少女は無愛想に、残りの肉をかじりはじめる。アントンは利き手を振りあげかけて、相手がちいさな女の子だと気づいた。それに、彼はその本性を知っていたが、どうも素直にすぎるようにみえた。

「……ハインを知らないなら、どうでもいい。じゃあな」

「オイオイ、冷てェなァ。昨日も会った仲じゃァねえかよ」

「えっ……?」

 アントンの頭がじんと鳴りだす。いつもの頭痛の前触れ。

 だが、脳裏をかすめるのは見飽きた地下の記憶ではない。

 昨晩、あの殺された男の向こうにいた人影。パズルの欠けたピースがはまるように、それが誰かわかった。

 。黒塗りの影が、姿を現す。

 兄妹のように思われた人影。それは、小人と少女だった――そうだ。

 オルゼリドと、ルオッサ。

 アントンの頭のなかで、鐘の音が鳴り響きはじめる。

「……ウソだ。おれはお前なんか知らない」

 アントンの見開かれた目を見て、ルオッサの瞳孔が開く。けれど次には、ふふ、と笑った。どこか自虐的な、誰を笑っているのかわからない声音で。

「そンな寂しいこと言うなよ――じゃねェか。まあまあいいスジだったぜ? 投擲用のナイフでもねェのによく当てたモンさ」

 アントンは血相を変え、やめろ、と低く言った。吐き気がする。

「オマエのためを思って言ってやってンだぜ。いくらオマエが見ねェふりをしても、それはなくならねえ。もしや、だっつうのも忘れたか?

 さあ、思いだせ。相手は浮浪者とはいえ、ガタイはずいぶん良かった。それをどう相手どった――オマエは、どこで覚えたんだ? あんな、でよ」

「やめろォ!」

 押し倒して馬乗りになり、互いの吐息がかかる距離でにらみあう。息をするのもやっとのアントンを、ルオッサはじいっと見つめ、目を細めた。

「――イイ顔してンな。はは……分かるぜ」

「お前に、お前みたいな気狂きちがいに、おれの何がわかる! おれの、おれが――」

 焦げつくような感情が渦巻くのが分かった。アントンはそれに耐えていた。

 けれど、ルオッサは、その均衡を破る。その結果を知りながら、ためらいなく。

「分かるさ。グサリといったじゃねェか。胸をひと突き、動かなくなるまで滅多刺し。あァ、いいモン見せてもらっ――」

 その言葉が、引き金となった。

 荒い息。嗚咽。

 もがく手足。

 赤く膨らむ顔――泡を吹きながら、うっすらと笑むかお

 それが一瞬、母の顔になる。

「――ッ!?」

 アントンは、反射的に手を離した。

 せきこみ、ひゅうと息が鳴る。

 あとほんの少し遅れていたら、やっていたかもしれなかった。

 彼が飛びのくと、ルオッサは起きあがろうとしてまたせきこんだ。何度もせきこみ、むせながら、その合間に虚しく笑っていた。いつものようなけたたましいものでなく、自嘲するような憂いを帯びた、乾いた笑い声。

「はは、あはは――げほっ、ははは……」

「なにが、何がおかしい……!」

「何……何ときたか。はは――そうかオマエ、まだ気づいてねェのか?」

 涙とはなと、よだれを垂らしながら、ルオッサは笑っていた。苦痛に自分の実在を、生きて在ることを感じながら。

 這いつくばって、ルオッサはアントンの顔を指差す。教え諭し、導くように。

 その一言が、彼のまやかしの平穏を砕いた。へたりこみ、アントンは、自分の顔に手を触れる。彼は笑っていた。引きつった笑みを浮かべながら、涙をこぼしていた。

「え……。おれ、おれは……そうか」

 ――なにもかも、思いだした。

 自分が殺人者だと認めたくなかった。お日様の下を歩けた、あの頃に戻りたかった。でも罪は償わなければ、赦されない。盗めば賠償すればいい。侮辱すれば謝ればいい。

 だが、

 目の前で惨劇が繰り返される。人から資材に変わる友。ホルガーの筋、腸のひとつとっても、ずいぶんと見慣れたものだった。それは、祭りなどで見る料理と同じ。

 ――そう。人の中身は、牛や豚と同じだった。

 痙攣し、失禁する友達。ハンスは少し頭の中身が壊れただけで、話したり歩いたりできなくなった。まだくるみ割り人形の方が、もうひとつ精巧だっただろう。

 ――そう。人は、あんまりにも脆い。

 片手片足をもがれてなお、自分を見上げて泣き笑う少女。ヘルタはまだ生きていた。断面を挫滅され、生かされていた。友のように機能不全に陥らず、己がわかっていた、維持されていた。

 ――そう。人は、定められた通りに駆動する人形に過ぎない。

 どくどくと生き血を吐き出す、ふたつの犬人の遺骸。……犬人?

「ああ、そうか。ははは、はは――。そうだった」

 ハンスはまだ言い訳できたかもしれない。ヘルタを助けるには必要な犠牲だったと。――たとえ、はなから、救うことなんてできっこなかったとしても。

 でもあの犬人たちは違う。サーインフェルクにいられなくなったのは、犬人どもに煙たがられたからではない。自分が……殺したからだ。群れで敬われていたやつを、ふたりばかり。

 あの日から、自分が歪んだことには薄々勘づいていた。自分が何かを決める時には、いつしか「殺す」ことが選択肢に居座るようになった。自分のしたことが露呈するか、露見したならどんな不利益があるか――いつしかそれを当たり前に天秤に乗せていた。

 そして、その日は。利益の方が大きいと思っただけ。たったそれだけが理由だった。

 その時に、おれは思い知ったんだ。もはやおれは、群青亭のアントンではないと。おれはハンスの時とは違う感情を――気持ちいいということ、快楽を覚えてしまった。

 そうしてアントンという人間は、永遠に機能を錯誤してしまった。一度そうなってしまえば後は雪崩のようだった。サーインフェルクを追放され、ドラウフゲンガーに戻ってみれば、母さんは病に伏せていた。……母さん?

 ――彼の目前に、記憶が再生される。赤く膨らむ、女の顔――

「ああ、そうか、そうだった――。おれは……母さんまで手にかけた」

 思いだした。おれは母さんを殺し、病死と偽って全て金に換え、故郷を飛びだした。

 ああ、そうだ。今まで自分は、ただ都合のいいように忘れていただけなのだ。

 ――記憶の黒い霧が、晴れていく。犯人の黒影があらわになる。

 なんてことはない。当たり前のことだった。昨晩、自分のレイピアを握り、笑って死体を見下ろしていたのは――他でもない自分だった。

 アントンは虚ろな瞳で、笑っていた。ただ過去を見つめて、押しつぶされていた。

 彼の前、ルオッサが微笑する。ゆっくりと立ちあがると、血の混じった唾を吐いて歩みよる。傷だらけのかさついた手を差しだし、肯定する。

「いいカオになったな。黄銅のに持たせとくにゃァ、もったいねえ。

 どうだ、アントン。アタシの眷属モノにしてやろうか?」

 呆然としていたアントンは、ルオッサの言葉が理解できなかった。

 けれど、なぜ、と力なく問うた。もはや、なにが敵で味方かも分からなかったから。

「アタシと同じだからよ。アタシと同じ――ただの人殺しさ」

 アントンはうつむき、その声を反復した。ただの人殺し――自分が?

「違う……!」

 アントンは立ちあがり、顔を醜く歪めて、あらがった。

 兵隊なら、傭兵なら、ただの人殺しかもしれない。ただ、人を殺すのだから。でも、おれは違う。おれは――いま、歳の近い女の子の首を絞めたときでさえ、笑っていた。

「何が違う? 今まで何人った? それで、何が変わった?」

 アントンの頭には即座に六、という数が浮かんだ。そして、混乱した。

「……変わっただって?」

「変わりゃァしねえだろ? そりゃァそうさ。

 オマエは自分の意志で殺したか? 殺したくて殺したか?」

 おれが決めたか、どうかだって? そんなの――どうだった。

 いや、そのことに何の意味がある。だって、もう殺してしまったのに!

「それが、なんだっていうんだ……? お前、おまえ!」

 アントンは苛立ちからルオッサを睨みつけた。ルオッサはその殺意に笑い、指さす。

「おい、そのナイフでどォしよッてんだ?」

 アントンは自分の手を見て、我に返る。

 その手は、今にもナイフを抜こうとしていた。アントンはわなわなと震えはじめる。アントンのこころは、もう限界だった。己の錯誤と理性の狭間で、すり潰される――

 はずだった。

「“仔犬”、そこまでだ」

 古い渾名を呼ばれ、ルオッサは舌打ちをする。

 アントンは顔をあげ、声の主を見るや、涙をぽろぽろこぼした。

「私の従者に手を出すな。今なら見逃してやろう」

「フン……そうかい」

 ルオッサはフードをかぶり、足早に立ち去っていく。

 その背を見送ってから、現れた声の主――黄銅の騎士は、しゃがみこんだ。

「やれやれ……。探したぞ。アントン」

「おれ、おれ……出てゆきます。黄銅さんに迷惑、かけられないから……」

「なぜだ?」

「だって……おれは、人殺しなんだ。殺すのを楽しんでるんだ。サーインフェルクも、ドラウフゲンガーも、おれが人殺しだから追い出された……」

 甲冑の奥、黄銅の騎士の表情は見えない。ひと呼吸おいて、黄銅の騎士は言った。

「ではなぜ、立ち去らない?」

「え……」縮みあがってつぶやくアントンに、黄銅の騎士は首を振る。

「いなくなりたいのなら、君は私を見るなり一目散に走り去ればよかったはずだ。

 そうしなかったのは――君が、ここを仮住まいとは思っていないからだ。違うか?」

 真意をとれず、なおも言葉が出ないアントンに、私も舌足らずか、と黄銅の騎士はひとりごちる。彼は頭を振るや、兜の留具に手をかけ、持ちあげた。

 がり、と音を立て、角を削って兜は抜ける。

 黄金の兜から取り残された一対の角は、そのまま彼のこめかみから突きだしていた。毛むくじゃらで犬にも似た、鱗ある異形の顔貌。その片目は古傷に潰れ、残る片目でアントンを見つめた。

「私はかつて、ヴュンシェ・ドゥメルグと呼ばれていた。疑うことを知らず、騎士道物語に憧れ――多くの血を流した。その過ちに耐えかね、皇国を去りたいと願った時、陛下は私におっしゃった。

『私の前でお前が口にすべきは真実のみだ、偽りの本心を語るな』――と。

 私は、心の底から償いの機会を願った。陛下は寛大にも、そんな矮小な私の願いを聞き届けてくださった。そして私は名を捨て、姿を隠し、血も愛も陛下に捧げると誓ったのだ。

 アントン。暇乞いが君の真実の声なのか?」

 苦しみと悲しみを帯びた騎士の蒼い瞳に、アントンは安らぎを感じた。

 人でも犬人でも、竜人でもない――そんな異貌を脇に置かせるほど、黄銅の騎士の声、言葉、表情は、優しさに満ちていた。

 アントンのまなじりを、透明な雫が伝っていった。

 しゃくりあげ、目元をぬぐい、アントンは言った。

「おれ、おれ……黄銅さんの、役に……立ちたい、です。

 おれみたいな、人殺しでも……できること、ありますか……?」

 フ、と黄銅の騎士は笑った。そして、大きな手でアントンの頭を撫でる。

「ないはずがあるかね。私とて人殺しだ。どう繕おうと、私の罪は私だけ、君の罪は君だけのものだ。償えぬのならば、天は即座に死罪を与えておろう」

 アントンはその言葉に、顔を覆って泣いた。

 わんわんと声をあげ、その手にすがりついて泣いていた。

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