ヘルテフース

 春の息吹はまだ遠い、吐息の凍る朝ぼらけ。木々の間から朝靄あさもやに乗って、黄金の陽が差しこむ。ドラウフゲンガー領の外れの森に、ぽつんと木こり小屋がたたずんでいた。その中からどすん、と鈍い音がする。

「馬っ鹿野郎! たった一匹の犬人コボルトにしてやられたっつーのか、てめえは!」

 派手に殴られた男は、頭のたんこぶの他に、頬も青くしていた。

 他の三人は顔を見あわせながら冷や汗をかいている。痣だらけの男はしどろもどろに言い訳をしようとするが、

「まだ言うかこの野郎! てめえ分かってんのか。コボルトっていやあ、小人ヘルテフースにも劣るチビじゃねえか!」

「引きあいに出されるたぁ、心外だなあ」

 戸口が開く。そこに立っていたのは、男たちの半分ほどの背丈のヘルテフースだった。だぼだぼの衣服を身にまとい、悪ガキのように幼くも小賢しそうな顔で笑った。

「ここに面白ぇ連中がいるって聞いてな。どうだ、俺にも甘い汁を吸わせてくれよ」

 その顔を見て、盗賊たちは顔を見あわせた。

「何言ってんだ、オルゼリド」

 その名に、ヘルテフースはぎょっとする。

「オレならここにいるぜ?」

 男たちの後ろのむしろの山から、ひょこっともう一人のヘルテフースが顔を出す。シャツの中を掻き、あくびひとつ。その顔は戸口で固まっている小人と瓜二つだった。オルゼリドは同族の顔を見るや、

「メルコレオか! 久しぶりだな、今までどこで何してやがった!」

 と飛びあがって抱きつき、その肩をばしばし叩いた。

「お、おう。お前も来てたのか、オルゼリド。ひ、久しいな」

「おうおう。そうだ大将、もう何年も兄弟とは会ってねえんだ。

 悪いが、こいつとサシで飲みに行かせてくれや」

 冷や汗をかく同じ顔をかばうようにして言うと、首魁しゅかいらしい男は「好きにしろ」と言い捨てた。そして這いつくばる男に向き直る。

「邪魔が入ったが、まだ話は終わってねえぞ!」

「えええ! そんなー! だってありゃルドルフのやつが――」

 もう既に助かった心地でいた男の悲鳴を背に、二人の小人ヘルテフースは戸口を飛び出した。

 その時、小屋に入ろうとしていた男はドアで顔面を強打し、オルゼリドに悪態を投げかけた。

「悪いルドルフ! 急いでんだ!」

 男は鼻を押さえ、降ってわいた不運にぶつくさ言いながら小屋を覗きこんだ。

「……何をしでかしたんだ、あいつ」


 オルゼリドは鏡像の自分をぐいぐい引っ張って、人目のない木陰まで連れてきた。

 人の目がないことを確認するや否や、両方が同じ渋い顔で互いに言葉を吐きかける。

「なんつう顔ぶらさげて来やがった、ハイン!」

「こっちの台詞だ、このコソドロめ!」

 片方から魔力の煙が霧散すると、そこには苦虫を噛み潰した顔のコボルトがいた。身丈は伸び、余っていた裾はぴったりになっている。

「このヤロー、またオレに《擬態ミミック》しやがったな! てめえの持ってたオレの毛は全部取りあげたつもりだったのに、どこに隠し持ってやがった!」

「あっ、俺のストック盗んだのおまえか! おまえが毛という毛を盗んだせいで、こっちはナズルトーの戦役で死にかけたんだぞ!」

「知るか! 今持ってるオレの毛も全部出せ!」

「俺だっておまえみたいな低俗な奴に化けたくて化けてるわけじゃない!

 背格好が似てて、性格をよく知ってる奴じゃねえとバレるんだよ!」

「ああ? 誰が低俗だとこのヤロー!」

 そこまでぎゃいぎゃい口論してから、二人はすっと冷静になった。

「……取引だ。俺は今、持っているおまえの髪の毛を渡す。

 おまえはあの盗賊どもについて知ってることを洗いざらい話せ」

「オレにも義理はある、は話せねえな。それと、オレの髪は渡せ」

「――いいだろう。だが嘘はつくなよ」

「……いいぜ。この場では嘘をつかない、そう“一陣の風”に誓ってやる」

 額がぶつかるような距離で目線が火花を飛ばす。先手を打ったのはヘルテフースだ。

「てめえみたいな斥候スカウトが来るんだ、どうせまた止水卿の命令なんだろ?」

 ハインは反論しかけたが、口をつぐんだ。

「てめえの予想通り、あいつらには雇い主がいるぜ。確かに、先の兵役でろくに報償も貰えなかった連中だがな。こんな辺鄙へんぴなところにいつまでも居座るほど馬鹿じゃない」

「雇い主は分かるか?」

「さあな。オレもおこぼれにあずかるようになってそんなに経ってない。ただ、代理人の身なりはよかったぜ」

 その言葉に、ハインはため息をついた。

「おまえはどこで、こんなアコギな商売を聞きつけたんだ?」

「オレも襲われたのさ。ヘルテフースから巻きあげようなんて、盗賊の基礎もできてねえだろ?」

 確かに、とコボルトは腐れ縁の男をじろじろ眺めた。

「もういいだろ? さあ、とっとと触媒を渡せ」

 舌打ちひとつ、ハインはポーチの裏からブロンドの髪を一束取り出した。が、したり顔のオルゼリドが受け取ろうとするや、その手の届かない高さまで持ち上げる。

「ひとつ、はっきりしてもらおうか。サーインフェルクにタレ込んだのはおまえか?」

 苛立った顔が、露骨に視線をそらす。

「やはりな。俺か、そうでなくとも他の職人が派遣されるよう仕向けたわけだ。

 なぜだ? 別にここの領民がどうなろうと、おまえは知ったことじゃないだろう?」

「……ただの領主のおままごとならな」

 含みのある言葉に、ハインはいぶかしげににらんだ。しばらく水の流れる音が間をたゆたった後、不承不承、オルゼリドは口を開いた。

「オッペンハイム領主にはこんな噂がある。がある、と」

 ハインは目を見開いた。

竜の刻印ドラゴンマーク……!」

「竜の刻印はてめえの担当だったよな? さあ、満足しただろ」

 今度こそ確かに髪の束を受けとると、オルゼリドは糸を解いて小川に投げいれた。

 それが霧散する間、じっとハインを見つめた。

「……止水卿から聞いてねえのか?」

 ハインは答えない。

 せせらぎがすっかりそれらをさらってしまうと、オルゼリドは歩きだした。

「卿はどうやら、お前を信用していないらしいな」

 オルゼリドがすっかり森に溶け込むまで、ハインは小川を見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る