参謀

 太陽が天頂から少し傾いたころ、ルオッサはよたよたと酒場に入ってきた。

「おや? お嬢ちゃん、もうお帰りかい」

 女主人が声をかけると、少女は間の抜けた笑みを浮かべた。酒場のなかをちらりとみやり、自分と主人の他に誰もいないことを確かめた。

「これ、もってけっていわれたの」

 少女は、テーブルにずしりと重い小袋を乗せる。主人が不思議そうにたずねるが、ルオッサは「開けてみて」というばかり。

 開けた主人は表情をこわばらせる。袋の中には、銀貨がぎっしりとつまっていた。

「これ、あのハインからかい? いくらなんでも……」

「ううん、ちがうちがう。りょうがえ」

 過ぎる好意だと考えこんでいたおかみは、合点がいってにっこりと笑った。

「ハインがね、きんかじゃ使いにくいだろって。ルオッサがりょうがえしてきたのー」

「そうかい、えらいねえ。じゃあ、ちょっとまっとくれ」

 そういって店の奥に消えるのを見送り、ルオッサは小さくため息をついた。

 手持ちの小銭がないからといって、田舎の酒場に金貨なんぞを出すアホがいるか。

 このコイン一枚で、ひとまわり大きい御殿が建てられるのだ。やはりあの男は貴族か、それに並ぶ地位があったと考えていい――ルオッサはそう黙考した。

 ひとまず、これでアシがつく危険は減ったと考えたいが、どちらにせよこのイヌまみれ騎士団は目立つ。領主と共存関係にある酒場の主人が、百歩譲って黙秘してくれるとしよう。だが、子供であるアントンの口に戸が立てられるとは思えない。目的を達しようと思うなら、今日明日中には決定せねばならない。

「はァ……だっる」

 体がうずうずする。ルオッサのような“有能な怠け者”にとって、こういう仕事はとことんめんどくさい。とっとと終わらせて風呂屋に行きたいところだが、ルオッサが自ら自分でやると決めた以上、最後までやらねば沽券に関わる。

「お待たせ。でも、大丈夫かい。こんな大金、お嬢ちゃんに持たせて」

 おかみが小さな巾着を持ってくると、もう少女はだらしない笑みを貼りつけていた。「だいじょぶだよお。ルオッサ、もうおとなだもーん」

「……そうだね。ちゃんと働いてるものねえ。それじゃ、お祈りのひとつもお願いしようかしらね」

「んっ、いいよお!」

 ルオッサは巾着を受けとると、自慢げに傘十字を切り、聖句をそらんじてみせた。

 その姿はほほえましく、主人は親の顔になって喜んだ。


 いらだった顔でルオッサは酒場を出た。あまりにもアホくさかったからだ。

「忘れ物でもしたのか?」

 戸口の脇から声。

 ルオッサが見上げると、ぼさぼさの犬人コボルトが紫煙を吐くところだった。

「もう戻ったのか、早えな。今、てめえの尻拭いをしてきたとこさァ。

 おかげでありがたくも、いつもよりアホのマネができてるぜ」

 嫌味を投げかけられ、犬顔は眉をひそめる。深く煙草をふかすと、火種を揉み消した。

「ルオッサ。もう、いいだろ。

「……どこがだ。まだアタシのことを、小指の先も信用してねェ癖に」

「当たり前だ。おまえも分かってるだろう」

「そりゃなァ。まだまだボンボンの気持ちが抜けてねえハインくんにゃ、も少し経験を積んでもらわねえとなァ」

 くつくつと嘲笑あざわらう少女。コボルトの毛が一瞬逆立つが、彼はこらえた。

「……おまえこそ、お使いご苦労だったな」

 そういいながら、引き締まった腕でルオッサをなでる。それだけでカチンときたが、頭に針で刺したような痛みが走り、ルオッサは顔を憎悪に歪めた。

「つッ……何しやがる!」

「ん? ああ、悪い。指輪におまえの髪がひっかかったらしい。すまないな」

「くうッ……テメエ、自分が何したか分かってンのか!」

 ルオッサが頭を抱えて震えはじめるのをみて、コボルトは困惑した。

「それほどのことか?」

「馬鹿にしやがって……!」

 やがて呼吸が落ち着くまで、ルオッサは赤い瞳で前髪の向こうから睨みつづけていた。

「どうしたの、ルオッサ?」

 そこへ、リタが首に筒をさげて戻ってきた。彼女はふたりを代わる代わる見て、

「……ハイン?」

と、何かを訴えるように鼻をならした。

「ああ、リタもご苦労だったな。……少し待っていてくれないか」

 背を向けるコボルトに、どこへゆくとルオッサがたずねる。

「小便だよ。すぐ戻る」

 そう言い残して、男は森のなかへ消えていった。もうルオッサはふぬけた笑みに戻っていたが、頬には脂汗が残っていた。

 一方、どこか満たされない顔のリタは、耳を伏せてルオッサに話しかけた。

「……ねえ、ルオッサ。何か隠してることない?」

「んぁ……なんかって?」

「言いそびれてたけど、わたし、ハインの使い魔なんだよ」

「そうなの?」そんなことはハインを初めて見かけた時から知っている。だが、おくびにも出さずにルオッサは答えた。

「だから、お互いに相手の気持ちとか、簡単な考えくらいなら口にしなくても分かるんだよね。いつでも、どれだけ離れていてもね。

 ……ルオッサと話すと、ハインはいつでも嫌な気持ちになってる」

「…………」

 それはルオッサにとって計算外だった。正体を知られたか、今からでも繕えるか。

 次の言葉までの短い間に、四つは検討した。

「わたし、もっと仲良くしてほしいな」

「……はァ?」

 思わず、彼女は素で返事してしまう。

「ハインのことはもちろん好きだけど、わたし、ルオッサも好きだもん。

 好きなふたりがケンカするのはイヤだよ」

 しばらく開いた口がふさがらなかったが、ルオッサはいつも貼りつけている笑みを消して、水面みなもで太陽がきらめくほどの間、リタを見た。

 そして、動けることを思い出した人形のように、ぎこちない笑いで答えた。

「……そっか。うん、ごめんよリタ。これからは気をつけるね」

「えへへ、わかってくれてうれしい」

 その時、茂みが動いた。森のなかから現れたのはハインだった。彼はふたりに気づくと、ふんわりとほほえんだ。

「どうしたリタ。えらくごきげんじゃないか」

「なんでもなーい! それよりハイン、返事もらってきたよ」

「何? それはいくらなんでも早すぎるぞ」

「だって、もう持たされたもん」

 そういってリタはお座りし、首元の筒を見せびらかした。ハインが小首をかしげながら中身をあらためると、確かに封書が出てきた。

 ハインは一人と一匹をみて、場所を変えよう、と言った。


 森のなか、ハインがはった陣地の中に潜りこむ。この中であれば周囲に声が漏れることもないし、何者かが接近すれば術者であるハインが察知する。

「この蝋印……確かにオッペンハイム領主のものだ」

 封書を取り出し、ハインはつぶやいた。

 ルオッサは早朝、やっこさんに封書を出すようハインに進言した。宮廷魔術師として召しあげてもらいたい、という内容で、だ。止水卿を間に噛ませているとはいえ、辺境伯の紹介状までついていては無視できないだろう、と見越してのことだ。面会までもっていければ、人となりからルオッサは多くのことがわかる。それは向こうも同じだろうが、少なくともどこまで行動を起こすかを決定できる。

「家令さんは犬のわたしも使者だ、って礼を尽くしてくれたよ。城下町の人たちもみんな領主を信頼してた。……とても子供をさらうような人には思えないよ」

 止水卿からの命令は、ドラウフゲンガー領での子供の行方不明事件を解明せよ、というものだった。領主不在であるドラウフゲンガー領で起こったこの事件を、止水卿は統治を代行しているオッペンハイム領主の仕業だと考えた。

「いいや。十中八九、こいつの仕業だ。……オッペンハイムには竜の刻印ドラゴンマークがある」

 ハインの言葉に、ルオッサは前髪の中で片眉をあげた。思わず口を挟む。

「そうなの? しすいきょーはなんもいってなかったよ?」

「……噂だがな。忌まわしいが知己からの証言だ。あれは義理堅く、小悪党だが嘘はつかない。何より誓約までしていたからな」

 ハインは目をそらして言った。止水卿というワードに反応したのを見て、ルオッサは得心する。大方、互いに信頼しているとばかり思っていた止水卿から警戒されていると知り、動揺しているのだろう。だとすれば、オッペンハイム領主を狙い打ちしている点からも、卿は奴さんが竜の刻印持ちだと知っていたと考えていい。

「それなら、さがしてたんでしょ? やったね」

「……まあな」

 ルオッサがわざと言っていると分かっているハインは、ぞんざいに返事した。

「あの盗賊たちは?」

「やはりサクラだった。正体まではつかめなかったが、雇い主がいるのは確かだ」

 リタの疑問にルオッサは感心した。きたかったことを代わりにたずねてくれたあたり、思ったとおりリタはさとい。少なくともハインと同程度には頭がきれる。ルオッサはそのことを嬉しく思った。

「じゃあ、後は封書の中身だね」

 ハインはうなずいて、封を切った。中身に目を通し、自分の鼻先に手をやった。

「……いつでも訪ねてよい、歓迎する、だと。あからさまに誘われているな」

「みせてみせてー」

 わざとらしく背伸びをするルオッサに、ハインは羊皮紙を手渡した。

 ルオッサの見たところ、体裁や文体はよくできたものだ。だが狭いとはいえ、オッペンハイム領はサーインフェルクにほど近い、栄えた土地だ。そんな土地を治める領主にしては、羊皮紙やインクも最上とはいいがたいし、装飾も華美ではない。文面に聖句の引用があることも考えれば、清貧を良しとする真教徒と考えてよいだろう。それも、かなり真面目で敬虔なたぐいだ。それは酒場で聞いた政策からも裏付けられる。文字は細いが全くかすれておらず、神経質で繊細な人物の印象を受ける。代筆の可能性もあるが、熱心な真教徒なら筆記職人を雇わず直筆の可能性も大いにある。

 エッカルト・オッペンハイム。それが署名の名だった。リタの言うとおり、子供をさらって何かに利用しよう、という人物には結びつきにくい。ルオッサは領主本人だけでなく、臣下や周辺人物の線も検討すべきか、と思案する。

「うーん、これからどうするの?」

「決まっているさ。こちらから出向いて尻尾をつかんでやる」

「こんなふうに?」

「きゃっ!」

 ルオッサがリタの尻尾をつかむ。リタは声をうわずらせて、やめてよと言いながらルオッサにじゃれつき、ルオッサは一緒になって笑った。

 そのさまに、ハインは複雑に顔面を折りたたんだ。

「……二人とも、行くぞ。今からいけば日中にオッペンハイムにつく」

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