第5話 人巣借(ひとすがり)
朝起きたら、真っ白な枕カバーに黒いブツブツが無数にあった。初日こそ肌の汚れかと思い、気分は悪かったが、まあ、カバーを洗濯すればいいだけだ、と切り替えた。
考え方次第とも言える。
まだ自分の汚れだからこそがまんできたのだ。もちろん他人のであれば嫌に決まっている……、原因が分からない汚れよりはマシかもしれないが。
スマホを枕元でいじっている毎日だ。汚さで言えば、スマホの方が何倍も汚い。
にもかかわらず、枕の汚れを意識してしまうのは、分かりやすく視覚化しているからか。
ともあれ。
初日こそ重要視しなかったが、二日目、三日目と続くと不安にもなってくる。
そして一週間後……、
その汚れの形がくっきりとした『虫』であることが分かった。
……
枕カバーに染み込んだ無数のブツブツは、全て蟻だったのだ――。
「いえ、蟻ではなく、
「ひとす……なんですって?」
名前なのか? 専門用語だったら分からないが……。
「人巣借という蟻の姿をした虫です」
「虫……、でも、蟻ではないんですね?」
「虫と言っていいものか……」
曖昧だ……、まあ、先生は皮膚科の先生なので、昆虫博士というわけではない。
皮膚ほど詳しくはないのだろう。
「虫に近い、目視できる微生物と言った方がいいかもしれません」
顕微鏡で見なければ姿も形も分からない生物……、
皮膚科の先生がちょっと知識をかじっているのも、関係があるからか?
目視できないけど、皮膚に限らず微生物はどこにでもいる。
その全てが目視できてしまえば、家の中の家具には全て、
枕のことを考えてしまうと、俺は頬ずりまでしてしまっている……。
べったりと、頬に微生物がくっついているはずだ。
「私の皮膚に、その、ひと……すがり? が、いるんですか?」
「ええ。正確には、あなたの体内に、ですが」
黒いブツブツはごまくらいの大きさだが、数えきれないほどいる。
自然と、自分のお腹をさする。ここにいるとは限らないが、俺の体内を、あのブツブツが駆け回っていることを想像すると……、う、気持ちが悪い……。
「確かに体内にはいますが、決して有害なものではありません」
先生がそう言った。
体内を巣としているだけで、俺の体内から栄養を吸い取ったり、外から有害物質を持ち込んだりすることはないと言う。
あくまでも俺の体を『巣』としか見ておらず、
その微生物があくせく働くのも俺が寝静まった後らしい……。
だから寝返りを打った時に、体外に出ていた人巣借を潰してしまって――、あ。
なるほど、だから『人巣借』なのか。
人の体を巣として借りる――、
害を持ち込まず、人が稼働をしない体内リズムに従い、
俺が寝静まった頃を狙って巣から出入りをする……。
だから俺は、人巣借が実際に体内から出ていく瞬間を見たことがないのか。
「毛穴、耳、目、口から出入りする場合が多いです。朝起きたら顔を洗うことをおすすめします。まあ、人巣借が体内にいなくとも、した方がいいエチケットですが」
「あの……、駆除は、できるのですか……?」
まさか、バルサンを飲み込めとか言うんじゃないだろうな……。
「できないこともないですが……しかし、いたちごっこになると思いますよ?」
駆除してもすぐに体内に住みつくということか。
有害ではないとは言え、体内にごま粒程度の大きさの虫が無数にいることを考えてしまうと、やはり許容できない嫌悪感がある。
しかも夜な夜な体の穴という穴から出入りしているのだ……、汚れているのが枕カバーだけとも限らない。
ウェットティッシュで肌を拭えば、黒く虫の形をした死骸が取れてしまうのはきつい。
いたちごっこでもいい……、一晩だけでもいいのだ、駆除して安心したかった。
「そういうことでしたら、飲み薬を出しておきますね」
カプセルの飲み薬。寝る前に服用するだけで効果があるらしい。
――その日の夜、早速、貰った飲み薬を服用してみる。
これを飲むだけで人巣借が駆除できるのかと不安だったが、朝起きてみれば、連日続いていた枕カバーの黒い染みが綺麗に消えていた。
どうやら、あの薬は効果てきめんだったようだ。
しかし、貰った薬は三日分で終わってしまった。
もう三日分を貰うために、先生を訪ねる……その時になんとなく、聞いてみたのだ。
「あの薬、効果ありますね。どういう成分なんですか?」
「ああ、人巣借の天敵ですよ」
……ん?
「カプセルに入る大きさで、一匹の
こちらも人体に影響はありません。人巣借を喰らう、蜘蛛型の微生物になりますね」
「あ、あの……その、体内にいる蜘蛛人巣借を駆除するには……?」
「その場合は、
う、と顔をしかめた俺に向かって、先生が微笑みながら、
「安心してください、人体に影響はありませんから」
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