第4話 入れ替わって十年後。

 僕たちも大学受験を真剣に考える学年になってしまった……。


 だいぶ前から進路調査などはしていたし、どこの大学に受けるのか、そしてそこの学力に合わせて勉強をし、成績を底上げしているので、今、急に始まったことではないにせよ……ああ、早いが、もうドキドキしている……。


 三年になってまだ一ヵ月も経っていない今からこんな感じじゃあ、試験本番の時にはどうなってしまうのだろうか――、二年の夏休みは、来年は忙しいから今の内に存分に遊んでしまおうという提案で気兼ねなく遊んだけど……あの頃に戻りたい。


 現実逃避をしたいなあ。


「手、止まってるぞ」

「……ねえ、口調」

「誰も聞いてないだろ」


 図書室の静かな空間。カリカリ、というペンが走る音だけが連続している。


 勉強のために集中しているとは言え、だからこそ話し声というものは発言者が思っているよりも周りの耳に届いてしまうものなのだ。


 彼女は――実は訳あって、実際は『彼女』ではないのだが……、便宜上ここでは彼女としておく。彼女は現役の読者モデルというやつで、小さな雑誌ではあるが、そこでプロのカメラマンに、可愛く撮影されているのだ。

 もちろん、元から見た目は良い……すこぶる良い。

 クラスどころか学年、学校全体から見ても可愛い部類のトップを独走する人物。


 そんな人物が僕の目の前の席に座っている……、周囲の視線が突き刺さるのはもう慣れた。

 なんであんな冴えないやつに? って、最初こそ言われたりもしたが、今では僕とこいつ……ああいや彼女は、二人一組というイメージがついてくれた。

 学校で二年間、ずっと一緒につるんでいれば、恋人でなくとも腐れ縁と分かってくれたのだろう。


 だからこそ、彼女への告白は後を絶たないが……。

 彼女は毎回、「うへえ」と吐き気を催しながら断っている。

 可愛い顔でそんな態度を取るなよと言いたいが……仕方がないのだ――だって彼女は……いいや、『彼』は、男なのだから。


「……なんだじろじろと見て。あ、そうか思春期か。どうする? 一発やっとくか?」

「人の体を勝手に使うわけにはいかないよ」

「俺のことか? それともお前のことか?」


「どっちも」


「いいと思うけどな。どうせ元の俺の体も許可なく使われてるんだろうし。

 もう既に童貞卒業してんじゃねえの? まあ、誰が中に入っているのか知らねえが」


「そうそれ、それだよ」


 僕はペンを置き、教科書から目を離す。

 

 僕たちがいま向き合うべき問題は、紙面の上ではないはずだ。


 今まで、なんだかんだと後回しにしていた――というか、小さい頃からの慣れ(?)のせいで誰もなにも言わないまま馴染んでしまっていたが……あらためて考えれば異常なのだ。

 

 入れ替わっている。

 僕たちは十年前に、クラスの全員が、ランダムに人格が入れ替わっているのだ。


 つまり、実際の僕は今の僕の顔ではないし、目の前の彼女の見た目と中身も一致していない。

 性別が違うのだ。そういう病気ではなく、入れ替わったからこそ――。


 そして僕たちは、元の姿を覚えていない。


 これを、今の姿で馴染んでしまったからだ、と結論付けていたが、仮にそうだとしたらさすがに元の自分の顔くらい分かるはずだ。家族だってそう。

 母親の顔を忘れるはずがない――忘れるはずがないことを忘れているのだから、記憶をいじられていると考えるべきだろう。


 人格が入れ替わった、なんて不思議を許容しているのだ、記憶をいじられていると言われてそれを否定するのもおかしな話だ。

 まさか僕の見た目と中身は同じで、別人格がこの体に入ってしまった『振り』をしているとか? ロールプレイングをしている内に没入し過ぎて抜け出せなくなり、記憶を自分で勝手に改竄かいざんしたとか……、そう考えるよりはまだ誰かに入れ替わりをさせられ、記憶をいじられたと考えた方が信用できる。


「……元に戻るべきなんじゃないか? ほら、もう高校も卒業するし」


「今更だけどな。入れ替わったのって、確か小学生の時だろ? 中学で離れたやつも、高校で離れたやつもいるし、全員に連絡を取り合って、誰がどの中身だったのかって答え合わせをしていくのか? 元の自分が誰なのか分かってないのに、どう判断する」


 そう、そうなのだ。僕は元の自分の姿が分からない。当然、母親の姿もだ。

 身内で判断することができない。しかし、好みは変わらないはず……昔の写真や好みの味付けなどで判断していくしかないのではないか……、

 気が遠くなる話だが、しかし戻らなければ一生このままだ。


「別にいいんじゃねえの? 俺はこの体、気に入ってるし」

「……女の子の体が?」

「不便なこともあるけど、これはこれで。仕事も楽しいしな」

 

 彼女の中身が男なのは分かっている。口調もそうだが、考え方が男だったのだ。

 彼女の体で男子トイレにいこうとしたのだから確実。記憶を消されているとは言っても、個々で、やはり差があるらしい。

 記憶を消されて異性の中に入れば、当然、現状を受け入れて馴染むはず……つまり男の子でも女の子の心になる可能性があるだろう。


 だけど彼はそうならなかった。記憶改竄が完全ではなかった……?


「……ともかく、小学校の時のクラスメイトに連絡を取ってみよう。

 記憶を改竄されても僕みたいに入れ替わったこと自体を覚えている場合もあるわけだし」


「それもそうか……俺も、お前に言われて知ったわけだしな」


 僕が教えなければ、彼女は中身が男のまま、馴染んでいくところだった。


 ……どうだろう? 僕が言わずとも気づいていたんじゃないだろうか?


 その姿で男子トイレにいこうとしたのだから、時間の問題な気もする。



「お前の意見には賛成だ。とりあえず場所を変えよう――視線が痛い」


「あ」



 いくら声を抑えたとは言え、少なからずは聞こえてしまうだろう。

 しかも内容があまりにも『あれ』だ。


 僕たちは逃げるように、そそくさと図書室から出た。


 ―――

 ――

 ―


 彼女は万人が見て可愛いと思う顔をしているので、外を歩くとすぐにナンパをされてしまう。

 なのでファミレスではなく、完全な個室が望ましかった。

 しかし、カラオケには入りたくなかった……読者モデルである彼女は稼いでいるが、僕は金欠なのだから……。


 こういう時、まったく奢ってくれないところは中身が男だからか。


「男差別じゃねえかそれ」

「冗談だよ」


 結局、色々と悩んだ結果、彼女の家に向かった。


 何度も入ったことがあるし、彼女の母親も、僕を恋人と勘違いしているらしい。

 否定しようとしたら、「勘違いさせておいた方が何度も来やすいだろ」と言われたので、確かにと思い、否定をしなかった。


 女の子の匂いが充満している部屋に入る。落ち着くなあ……。


「中身が男でも、模様替えをしたりはしないんだね」

「母親がびっくりするだろ。そこはまあ、気を利かせてるよ」


「ふうん。……ねえ、どうしてこの家の犬は僕を見て吠えるのかな?」

「あれは警戒じゃないと思うぞ。喜んでるんだ」

 

 ならいいけど。でも、遊ぼうとすると逃げられるんだよねえ。


「さて、小学校の卒業アルバム……って、あれ? 部屋にはないのか……」

「押し入れになければ……、お母さんが持ってるんじゃない?」

「あ、そうかもな」


 彼女が立ち上がり、部屋を出る。

 すると入れ違いで、彼女の母親が部屋を訪ねてきた。


「あ、どうも」

「夜ごはん、食べていくでしょ?」


 長くなりそうだと思ったので、はい、と頷く。


「毎回、すみません」

「気にしないで。今日はあなたの好きなシチューだから」

「本当ですか!? ありがとうございますっ」



「あれ? お母さん、ここにいたの?」

「どうかしたの?」

「卒業アルバム、どこにあるか知ってる?」

「ああ、それなら――」

 


 美人親子が、仲良く部屋から出ていく。

 並ぶとほんと、絵になるなあ……。お母さんもまだ若いよね?

 高校生の娘がいるとは思えない見た目だった。



 しん、と静かになった彼女の部屋。

 落ち着く空間なので、自然とクッションを抱えて、ごろんと寝転がる。


 …………。

 

「……え?」


 そう言えば、彼女のお母さんはどうして、僕がシチューが好きだって分かった?


 これまで何度か夕食をご馳走になったことがあったし、その時にぽろっと言ったことがあったのかもしれないけど……。



 一つの違和感。

 それが分かってしまうと、次々と出てくる疑問。



「落ちつく……」



 部屋の空気、匂い、雰囲気――、


 一目見て気に入ったクッション、抱き心地、ごろんと寝転がった時の、記憶の上では一度もないはずのこの行動が、まるで毎日しているかのようなルーチンが思い出されて。



 ……あれ?



「僕って……ここの家の子?」

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