6. Unusual Suspects(全方位怪しい)

 ガンガンと響くそれが後頭部の痛みだと気づくと同時に、目を開けるかどうかしばし悩む。だいたいこの状況下で目を開けて事態が解決している確率は五分五分か。とはいえ、今までの経験からして意識喪失ブラックアウトからの復帰時に痛みが継続していたことはなかった気がする。全方位いかさまチート性能みたいなあいつのおかげで——つまりは。


「気がついたか」

 低い、笑みを含んだ声は聞き慣れないもので、だからあーあと頭を抱えようとして、腕が動かないことをようやく認識する。後ろ手にキツく縛り上げられておまけにどうやら床に転がされているらしい。

 らしい、というのは目を開けてみたが視界が塞がれていて、ぼんやりとかすかに明るいのがわかるだけだったからだ。要は目隠しをされているし、どう考えても事態は解決していないし、むしろ悪化している。こんな時の最適解ベストソリューションは何だろう?

 街中で恐喝カツアゲにあったら素直に財布を差し出す、強盗に遭遇したら即座に逃げる、殺人鬼に会ったらとりあえず冷静に話しかける——?

 いずれにしても、拉致監禁は初めてだし、ついでに言えばそれまでのケースも無傷で済んだことは一度もない。つまりはすでに事態は最悪チェックメイトなわけで。

「大人しいな。まあその方が賢明だな。結果は変わらないが、少しはいい思いをさせてやるよ」

「……はい?」

 思わず反射で答えてしまって海より深く後悔する。頭を掴まれる感触がして、ついですぐに視界が急に開けて目を細める。あたりは目の前には見慣れない男の顔。少し長めの前髪を後ろに撫で付けて、いい感じに髭まで整えたザ・ラテン系。ちょっとタレ目な感じがいかにも大人の女性にモテそうな感じではあるが、その瞳に浮かぶ光を見れば、そんなのんきな感想を抱いている場合ではないことくらいはわかってしまう。だいたい縛り上げた上に目隠しをされているわけだから、まあどう考えても相手は犯罪者だ。


「一応お伝えしておくと、僕はこう見えて両親はすでに他界していて天涯孤独、おまけに借金があったために、自宅も家財も全て処分したし相続放棄済みです。身代金を払ってくれそうな相手に心当たりがなくはないですが、わりと物騒な奴なので、なるべくなら穏便に早めの解放をおすすめしますが」

「ああ、知ってる。ナギ・スルガ」

 ファミリーネームが後に来る呼び方をされたのはほぼ初めてだけれど、こんなラテン系のおっさんに流暢に本名を呼ばれるのは不吉でしかない。相手が死神ならまだしも——それもどうかと思うけど——ただの行きずりの拉致監禁の可能性が完全に消えたわけで。心当たりは一つしかない。

「死神の共謀者を狙っている『協会』とやらの関係者の方で?」

「話が早いな。じゃあ、この後に何が起きるかも想像がつくだろう?」

「あんまり具体的には……」

「そうか。なら言っておくと、死神ってのは意外と情が深い」

 それは初耳だ。けど、あんまりいい意味で言われてる気はしないし、多分その直観は間違ってない。ラテンなおっさんは、どこからともなく鈍く光るナイフを取り出すと、ぺちぺちと僕の頬を叩いた。あ、こないだ映画で見た奴だ! ってなるくらいの完全に手慣れたマフィア仕草で。

「奴らは心身ともに強靭だが、唯一、その相棒パートナーを失うと、我を忘れるほどに悲嘆する。その時こそ、神の御業をもって奴らを正しい方向へ導くことが可能となる」

「つけ込んで操り、支配するの間違いだろ」

「ふむ、思ったより事態をきちんと把握しているな。可哀想に」

 何、と声をあげるより先に、頬に触れていたナイフが振り下ろされた。シャツごと胸元が切り裂かれ、痛みよりも熱を感じる。もうどこかで慣れてしまったその感覚をそのまま維持する。奥歯を食いしばり、苦痛を意識から切り離して相手を睨みつける。

「その通りだ。そして奴らの悲嘆は、パートナーの遺体が無惨であればあるほど深く、その心に入り込むのも容易たやすくなる。連中にも心があるんだな」

「死神を操って何をするんだ? 僕を襲わせてたってあいつが我を忘れるほど悲しむとは思えないし、そもそもそれが何かの得になるとは思えない」

 冷や汗が額を伝うのを感じながらもそう尋ねると、男はニッと笑う。その問いを待っていたとでもいうように。

「ナギ、お前は死神に養われているんだろう? 連中がどうやって富を築いているか知っているか?」

 投げ返された問いに、相変わらず流血の止まらない胸の辺りがどくんと大きな音を立てる。僕と迅との契約は、この都市の最低賃金よりやや高めの日本円での報酬付き。狐や狸が化かすようにあれが贋金でない限り、なんらかの手段であいつが現金収入を得ているのは間違いない。そして、それが特段不正な方法で得たものでないことを確信する程度には、僕はあいつを信用してしまっている。


「この世に満ちる混沌。世界のあちこちで紛争が起き、人が死ぬ。その死を奴らは金に換えているんだ」

「どういう……こと?」

「より多くの非業の死を防ぐために、悪人を。そうして善良なる人々を守っているんだと。笑止だろう?」


 このところ迅が刈り取るのは余命少ない老人が大半だった。あるいは僕に襲いかかってきた厄介な連中くらい。でも——。


「僕の知らないところであいつは大勢の悪人の命を手にかけている……?」

「そうだ。なにしろお前の命脈はとっくに尽きているからな。余命を与え続けなければ、すぐにあの世行きだ。ついでに賞与もついてくるとなれば——日本語では何と言うんだったか……ああ、そう一石二鳥だ」

 何を言っているのか、意味がわからない。いや、わかるところもある。でも、僕の命脈が尽きている……? あの神父も同じようなことを言っていたけれど。

「知らないのか。遡ればお前の母親だ」

「母親……?」


 そう言えば、耀も何かを言いかけて、迅に脅されていた。男の口から紡がれる言葉が恐ろしい気がした。少なくともこいつから聞くべきじゃない、そう思ったけれど、耳を塞ごうも腕は縛られたままだし、胸元からは出血し続けている。そんな僕の内心を悟ったのか、男はより、嗜虐的な笑みを浮かべて、それから容赦無くナイフを僕の左肩に突き刺した。


「っああ……ッ⁉︎」

「いい顔だ。痛いだけじゃ辛いだろうから、快楽も与えてやろうか? 痛みで朦朧としているところに、性的快楽を与えられると人間は簡単におかしくなる。アドレナリンとエンドルフィンが混在するんだとよ」

「そんな……わけ……あるか……ッ」

 言いながらも確かに痛みと同時にどこかふわふわとしたおかしな感覚があるのに気づいた。苦しいのに、何だか恍惚とするような。

「まさ、か——」

「察しがいいな。そのために、このナイフには特殊な薬が塗ってある。神の御業の一つとでも言っておこうか」

「ただの……薬物中毒症状……だろ」

「ご名答。そして、快楽と痛みで恍惚としたまま無惨に切り裂かれた相棒の死体を見て、死神は自我を失うという寸法だ」

 男の手がベルトに伸びてくる。僕が男だとか、そんなことはもはや関係ないんだろう。逃れられない痛みと嫌悪とに歯を食いしばる。男はそれさえも楽しむように空いた手で胸元から流れ出る血を指ですくい、僕の唇に押し付けた。


「その様子じゃ知らないようだな。お前の相棒の死神は、かつてお前の母親を従属者Followerとしていた。当時、臨月だったお前の母親はお前を産むためにその寿命を伸ばすことを条件に契約を結んだらしい。だが、お前を産んですぐに母親は息を引き取った」

「そんなの、知らない……!」


 それでも、僕は父の死亡届の手続きをした時に、確かに僕が彼らの実子じゃないことを知っていた。それ以上詳しいことを知る気にはなれなかったから、もうすっかり記憶の底に沈めてしまっていたけれど。

 でも、それでようやく全てが繋がった。迅があれほど僕に話そうとしなかった理由も、あの神父が僕に「神の御許へ」と言ったその意味も。


「……僕は、本来生まれてくるはずのない子供だった」


 突き立てられたナイフの根本からじんじんと尋常じゃない痛みと熱が伝わる。意識から切り離そうとしてもしきれない、圧倒的な痛み。それでも致命傷でないのはわざとやっているんだろう。

「そうだ。死神は人の運命を狂わせる。だが、それも万能じゃない。本来尽きているはずの命を補填するには、それなりの対価が必要だ。命の対価は命。お前はそうやってあいつが悪人から奪った命で生かされているんだよ」

 酷薄に笑う男の顔は、ごく愉しげできっと獲物を前にした肉食獣だってこんな顔はしないだろう。人間だけが、こんな風に同族をいたぶって楽しむ。だからこそ、死神は人を狩る。他の生き物じゃなく、こんなにも


 僕の顔を見て、男が満足げに笑う。その瞳に映る自分の顔を見なくても自分がどんな顔をしているかはわかった。けれど、心の奥底から湧いてきたのは、悲しみや絶望とは違う感情だった。


「いい加減にしろよ。それもこれも僕が望んだことじゃない。みんな勝手に人を巻き込んでおいて、死ねだのなんだの、そんなのはいそうですかって受け容れられるか!」

 肩に突き立てられたままのナイフが抉り込むような痛みをもたらしたけれど、怒りに任せて、足を可能な限りバネのように跳ね上げた。不意をつかれた男が倒れかかってくるのをぎりぎり避けて、ついでにナイフを咥えて引き抜くと、ぐるぐる巻きにされていた手首のテーピングを切り裂く。縄じゃなくて助かった。

「威勢がいいな、坊や」

「もうだいぶストレス溜まってるんで」

 すぐに体勢を立て直した男に、小さなナイフ一つで立ち向かえるとは思えない。それでも、僕は何となくそれを確信していた。血が流れ出る肩を押さえてその名を呼ぶ。祈りとは違う、契約者への怒りを込めて。


「いつまでちんたらやってんだよ、迅! 早く来い!」


 あとはもう、ご想像の通りってやつ。

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