5. The truth finally comes out (迅)
彼にとって、標的以外の人間を相手にすることなど、長い死神人生でも初めてのことだった。大体、他者と関わることさえ面倒くさすぎてほとんどの時を一人で過ごしてきた。厄介ごとに巻き込まれれば即回避が基本。
なのに、そんな面倒な事態に対峙せざるを得なくなったのは、守れなかった彼女との約束、そのためだけに。
失えないものがあるというのがこれほどに厄介だと彼は今さらのように思い知る。
「よそ見している暇があるのか?」
静かな声は挑発というよりは単なる確認のようで、本気を出せば首を落とすのも容易い相手に、防戦一方というのはかなりフラストレーションがたまる。だからこそそちらに気を取られすぎていて、彼はその気配に気づけなかった。
「
切迫した声に瞬時に振り返ったが、
「隙だらけだぞ、死神」
意識が逸れた隙に迫ったダガーを苛立ち紛れに大鎌の柄で薙ぎ倒すように振り払う。バランスを崩しながらもぎりぎり踏み留まった相手の腹めがけて思い切り蹴りを繰り出した。
「ぐっ……ふ……」
地面に仰向けに倒れ込んだ神父は、腹のあたりを抑えてうずくまっている。ぼきりと嫌な音がしたから、肋骨の一、二本は折れているかもしれない。同情する気には到底ならなかったが。
迅は倒れ込んだその右手を革靴で踏みつけながら凪の気配を探る。そうして、それを改めて確認して愕然とした。
「気配が、ない——?」
「……
「
その手を踏み砕こうとしていた右足の力をわずかに緩めて皮肉げにそう言った迅に、神父の少年は顔を顰める。
「お前は悪魔じゃない。それに悪魔だとしても、あの青年は人間だろう。捕らえた挙句、非道な仕打ちをすることなど神がお許しになるはずがない」
吐き捨てるように言って見上げてくる青い瞳には強い光が浮かんでいて、心底嫌悪しているように見えた。信仰のいきすぎた若い神父、という肩書はすでに読み取ってはいたものの、真っ直ぐな性根は間違いないらしいとわかって足を何もない地面へと一旦はスライドさせる。
「殺そうとしていたくせに?」
「それとこれとは話が別だ」
迷いなくそう言い切る少年に、迅はやれやれとため息をつく。
可及的速やかに神の御許に送る。
死を
この目の前の少年にとって、それらは全く異なることとして認識されているらしい。
いずれにしても、今はのんきに世間話をしている場合ではない。目を閉じて気配を探っても、届くのは断続的に弦を弾くような音の、ごく微かな響きだけ。間違いなくまだ生きていることだけはわかっても、場所を特定することさえできない。ぎり、と拳を握り、歯を食いしばった彼に、ゆっくりと立ち上がった少年が不思議そうな目を向けてくる。
「まるで、本当に大切な相手のようだな」
「何しろ『貴重な』相手だからね。君だってそう言っていただろう」
面倒くさげに応えた迅に、少年——マルコはそれでも納得のいかない様子で腹を押さえながら、小さく祈りの言葉を呟く。その手元から微かに光が生まれ、消えると同時に乱れていた呼吸が明らかに収まった。
「それが
せせら笑った迅に、それでも少年は言われ慣れてでもいるのかただ静かに首を横に振る。
「さあ、僕にはわからない。司教たちが語るような神の御声など僕には聞こえないから。それでも、確かに感じることはある。それと、少なくとも以前、僕の国で出会った死神の共謀者はとても幸福そうには見えなかった」
青い瞳が真っ直ぐに迅を見つめる。それは言い訳をしているわけではないが、何らかの譲歩を見せているようではあった。
「だから殺したの?」
「そう乞われたから」
「共謀者本人に?」
「そうだ」
死神の目を盗んで彼の元に告解に来たその女性は、もうこれ以上死を目の当たりにし続けるのが辛いとそう訴えたのだという。人としてはあり得ないほどの長い生を死神と共に過ごし、多くの死を看取った。善き人々も悪しき者たちも。
いずれにせよそれが死神の在り方であり、それ自体は否定されるべきものではなかったけれど、とマルコは言葉を続ける。
「人の寿命は
その言葉は、鋭利な刃物のように迅の心の奥深くに突き刺さる。あるいはすでに突き刺さり、深く残っていた傷を思い出させた。
ささやかな花束を受け取るたびに見せた真っ直ぐな笑顔と、たった三行の手紙とさえいえない走り書きのようなメモ。選択肢を与えてしまったことが、彼女の運命を歪めた。そうして、本来生まれるはずではなかった命は、誰よりも彼を愛してくれた養父を失った瞬間から、世界から拒まれてでもいるかのように不運に見舞われ、常に危機に晒されている。
彼女は、その子にその名の通り、誰よりも穏やかな日々を願っていたのに。
——けれど。
「俺は自己中心的で我儘で屑な死神だからね。君たちがどう思おうが、ナギがたとえそう願うとしても、あの子を手放す気はないよ。もちろん、何度も言ってるけど君に渡す気もない」
振り返りもせずに、その瞳に自身でも気づかぬほどに強い光を浮かべて言った迅に、届いた何かを諦めたようなため息は二方向からだった。
「……それで愛じゃないって?」
「気色悪いからやめてくれる?」
大型の猫科の獣のようにするりと喫茶店のドアから滑り出してきた耀は、呆れと哀れみが半々のような眼差しで迅を見つめ、それからマルコを見下ろす。
「あんたがヴァチカンから来た神父か。『協会』の潜伏先を知っているだろう。教えてくれ」
「何で僕が……」
「悪いが上に話は通してある。
どういうことだ、と目線で尋ねた迅に、耀はついぞ凪には見せたことのないような不穏な笑みを浮かべる。
「連中はやりすぎた。
「は?」
「死神の共謀者を拉致監禁し、無惨な遺体を見せて死神を狂わせる。そこに怪しげな呪術を重ね、
「……何その超世俗的っぽい理由?」
「それだけじゃない。ヴァチカン美術館から、非公開の宝物品がいくつも不自然に消失しているのがわかったそうだ」
「馬鹿な……」
「なるほど?」
唖然とするマルコに対し、迅はようやく耀の言わんとすることを理解して、その口元に我知らず皮肉げな笑みを浮かべていた。
神の愛を説く善良な神父には手を出せなくとも、俗世の欲にまみれた悪人なら、彼らの獲物だ。
「さて、『狩り』の時間だ」
どうする、と片眉をあげてウィンクをした金髪の死神のやけに恩着せがましい余裕な顔に、苛立ち紛れに蹴りを繰り出したがあっさりとかわされる。不機嫌さを増した迅の耳に、神父の深いため息が聞こえてきたけれど、他に選択肢などあろうはずもなかった。
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