7. Happily Ever After..(んなわけあるか)

「全く、こんな子供に無茶をさせるなんて」

 やたらと艶やかな長い黒髪を揺らして僕を覗き込んだその人は、それでもてきぱきと傷を確かめて僕の腕に点滴の針を刺した。それから、胸元のポケットから煙草を取り出し、咥えてからベッドの脇に立つ長身の三人組を睨みつける。


「傷がないからってバレないとでも思ったのか。大量の血を失えば傷を塞いだところで、ショックで命を落とすこともある。肩の傷もほぼ治癒しているように見えるが、肉体は痛みと傷を忘れないものだ。腕を切り落とされた傷病兵が無くしたその腕の幻肢痛を感じるのと同じように、存在しない痛みをずっと引きずることにもなりかねない」

「別に俺たちが何かしたわけじゃないんだけど」

「死神が三人も揃ってこんな子供一人守れないなど無能にも程がある」

 鋭いフレームの眼鏡をかけたまま、自分より上背のある死神たちを睨みつけるのその人は、どうやら医師らしいのだが、迫力が半端ない。

「カナン、俺は無実だ。無能なのはこの二人……」

「言い訳は無用だ。私はそんな情けない男を夫にした覚えはない」


 おっと新情報だ。迅ですらちょっと一目置いているらしい赤髪の死神上司は、既婚者だった上に、奥さんに頭が上がらないらしい。覚えておこう。


「ナギくん、君、顔に出過ぎ」

「無能なのは本当だから仕方がないでしょ、レン

ジン、他人事みたいに言ってるけど、そもそもお前が見失ったりするからだろう。自分の共謀者のくせに。おまけに連中のアジトを爆発炎上させるとか、どこのハリウッド映画だよ。始末書ものだからね?」


 呆れたように言う死神上司の言葉通り、あの後すぐに飛び込んできた迅のキレっぷりたるや、鬼神もかくやというものだった。もともとあの神父の協力で——どうやったのかは知らない——すぐ近くまでたどり着いてはいたらしい。

 あのラテン男の顛末は言うや及ばず、とある港の倉庫街にあったその隠れ家は、何やら物騒な代物が溜め込まれていたらしい。死神の鎌の一振りと火花で、打ち上げ花火のように盛大に燃え上がる様子は、そりゃあもう確かに映画のクライマックスシーンの如きド派手さだった。


「もともときちんと情報を開示しなかったあんたのせいでしょ。俺もナギも被害者。大方、耀ソイツも知ってて決定的な事態になるまで泳がせていたんだろう。死神は善良な人間を狩ることはできない。人間同士のいざこざにも基本的には不介入だ。明確な証拠か、あるいは

「つまり、僕はエサにされたってこと?」

「そういうことだね」

「おい、そこまでは……」

「最低」

 耀が何かを言いかけたけれど、さすがに問答無用だ。

「出てって」

「ナギ、俺は——!」

「出てけ」

 冷ややかに言い放った僕に、耀はなおも何かを言いかけたが、死神上司に連れられ、奥さんと一緒に出ていった。小さな診療所の一室に残されたのは、僕と迅だけ。


 黒いスーツ姿はいつもと変わらない。着替えたのか、切り裂かれた袖はもう見えなかった。

「……怪我は?」

「何ともないよ。君の方がよほど重傷」

 ゆっくりと近づいてきてベッドの端に腰掛ける。黒い手袋を外して、僕の頬に触れたその手はいつもより少し冷たく感じられた。

「熱があるね」

「え、マジか。まあ過労だろ」

「そうかもね」

 言ったままじっと僕を見つめる金色の瞳は、いつも通りに見えてやっぱり少し揺れている。それが何に由来するものか、僕はもう大体知ってしまっていたし、今さら聞くことでもないような気がしていた。それでも。


「迅、僕はこの先も生きていてもいいの?」


 率直な問いに、迅がその金の双眸を見開いた。まるきり全然予期してなかったみたいに。そんな表情は珍しいから、思わず吹き出した僕に、迅は顔を顰めて、それから、僕の腕に刺さった点滴の針を無造作に引き抜くと、ぐいと僕を引き寄せた。

 周囲がぐにゃりと歪むような感覚の後、雑に針を抜かれた腕の微かな痛みはすぐに癒やされて、ただ間近にやけに真摯な金色が迫る。

「あとであの医者センセイに怒られるんじゃないのか」

「君をあんなところに置いておけないからね」

 苦笑して手を離す。そこは、いつかも来たどこかの屋上だった。あの時は結局ゆっくり話をしている暇もなくなってしまったのだったけれど。


「アキとはこの病院で出会った」

「アキ……?」

「君の本当の母親。俺と出会った時、彼女の寿命はもう尽きかけていた。どうやってか俺を死神だと見抜いた彼女は、俺に『死にたくない』と言ったんだ」


 ぽつりぽつりと、本当にこいつらしくないことに、静かに迅は僕の母親との出会いと別れを語った。生きたいと願いながら、迅のために生を手放した。生まれたばかりの赤子ぼくと一緒に。


「彼女はそれでも君を愛していた。君の養父母となった人たちも。だからこそ君はこうしてここにいる」

「父さんが亡くなったことと、僕の不運属性は関係がある?」

「ああ。この世の中には守護者Guardianと呼ばれる強い光を持つ人間がいる。彼らは死さえも寄せつけない。明希の決意を知った煉が、君がその素質を持つ人の元に引き取られるよう手を回したと聞いた」

「そして、父さんを亡くしてしまったから、あんたは僕を拾った?」

「それは——偶然だ」

「そう、なのか……?」

「俺は運命なんてものは信じないからね」


 迅はそう言って笑って、もう一度僕の頬に手を伸ばす。何かを確かめようとするかのように。親指が頬を滑って、目の端に触れる。


「君は俺の共謀者Collaboratorだ。君が俺に力を与える代わりに、俺は君の命を保障する。言っただろう。君が何と言おうと君を手放すつもりはない。何しろ俺にとっては貴重な相棒パートナーだからね」


 ——せいぜい役に立っておくれ。


 いつかと同じセリフなのに、あの時は混じっていた皮肉げで嫌味な響きがからっぽになっていることに、こいつは気づいているんだろうか。屑で嫌味で自己中心的な奴なのはその通りだけど、もう大切な誰かを失くす痛みを知っている。そうとは認めないだろうけれど。


 あの男や神父が言っていたことが真実なら、僕が生きていくこと自体、誰かの死の上に成り立つことになる。その重さを、僕は背負えるだろうか。


「ナギ?」

「……まあ、しょうがないか」

「何が?」

「何しろ僕は、死神あんたの共謀者だからな」

 その片棒を担ぐのはどうやったって綺麗事では済まない。それでもまあ、とりあえずは答えを先送りにしまま、僕はそうやって生きていく決意をしてしまった。

「あんたが、その寂しさを忘れられるまでは、そばにいてやるよ」

 ニッと笑った僕に、迅がすごく変な顔をした。


 たぶん、自分では気づいていないだろうけれど、僕を引き寄せた腕は思いのほか力強くて、だからそれはきっと泣き笑いに近かったのだと思う。


 死神の共謀者 第三部〈完〉

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