3. 告白(あるいは告発)
腕を引かれるままに店を出てきてしまったけれど、まだ日は高いし活動に最適な時間とは言えなそうだ。裏路地の日陰でさえも、ジージーミーンミーンと様々なセミの声が響き渡って、夏の気配と暑さが倍増している。
そんなことを考えていると、一瞬影が射した気がした。ひやりとしたそれが、掛け値なしの殺意だと気づくより先に視界に真っ黒な迅の背中が立ちはだかる。
がきん、と何か固いもの同士がぶつかる響きと、続いてざくり、ともう聞き慣れてしまった、どこかが傷つく音。ついで漂ってくる、
「迅⁉︎」
シンプルな割に上等な仕立ての黒いスーツの袖がざっくりと切り裂かれていた。滲む赤はもう見慣れてしまった色だ。
「おや心配してくれるのかい。嬉しいねえ」
余裕な声に、さあっと引いた僕の血の気が戻ってくる。そう、こいつはこういう奴だ。でも、だからこそ僕を守るために傷つくだなんて、およそこいつには似合わないのに。
「そんな顔しないで。これくらいならほら」
そう言って、僕の頬をさらりと撫でた後、その手で血が流れ出している左腕をなぞるように触れた。
「……まさか」
耳に届いた掠れた声は僕のものじゃなかった。でも、僕だってほとんど同じ声を上げるところだった。
さっぱり綺麗に傷跡も残さず消えてしまった迅の腕を見れば、誰だってそうしたくなるに決まってる。
「……非常識にもほどがあるだろ」
「まあ、そこはそれ。君のおかげで?」
いつも通りの余裕綽々の笑顔で。でも、切り裂かれたスーツと血の滲んだシャツはそのままだったせいで、それが現実に起こったことだと認めざるを得ない。そして、心臓の鼓動さえ、人間とほとんど同じ機構を持つ身体なら、痛み自体は誤魔化せないはずだ。たとえ傷を癒すことができるとしても。僕はそれをよく知っていた。
「あんたのそういうとこ、嫌い」
「おやおや、随分な言い草だねえ」
襟首を掴んで締め上げそうになって、でも、低いため息が聞こえてそれどころじゃないことを思い出す。
「……
落ち着いた声は、それでもまだ若い。迅の向こう、路地の真ん中に相対して立っていたのは、小柄な影だった。短い金髪に、路地裏の影の中でさえ、はっきりと射抜くような鮮やかな青い瞳。
「さて、何のことだろうね。それにしたって、君は異端に関わりそうなタイプには見えないけど? どっちかっていうと『正統』な神父サマだ」
迅はそれこそ欧米かと突っ込みたくなるような、両手でピースするみたいなダブルクォートの仕草をする。
「神父? どう見てもイケメンモデルくらいにしか見えないけど?」
今度こそ思わず突っ込んだけど、迅は肩を竦めるばかり。僕と同じか、もう少し下に見える相手は、それでも否定もせず、微かに眉根を寄せて両手に握ったダガーを構え直す。
「僕には僕の理由がある。何より、天国の門をくぐり、神の愛を受けるべき魂を地上に留めおくなど許されない」
静かな声は、それこそ聖書を読み上げるのに相応しそうな、穏やかに澄んだ響きをしている。まさか本当に神父なんだろうか。迅はちらりと僕に視線を向けて小さく頷く。いつもの例のあれ——死神の力で知ったのなら、間違いがないのだろう。
「あいにくここは日本で、信教の自由が保障されている国だ。君の宗教観を押し付けないで欲しいね。まあそれは君の国もだと思うけど、マルコ?」
いつになく愉しげな迅の声と共に、相手が目を見開いて、がくりとその場に膝をつく。同じ年頃の、それもかなり整った顔の少年が苦しげに眉根を寄せている様子は、何だかこちらが悪いことをしているような気がしてしまう——実際そうなのかもしれないけど。
僕の迷いを見透かすように、彼がじっとこちらを見上げる。
「神は人を愛しておられる。君もその愛に身を委ねるべきだ。囚われたまま、いつまでも地上を
「まだ余計な口をきけるんだ。さすがは神父サマ、精神力だけは大したものだね」
迅が大鎌の刃を少年に向ける。真っ直ぐにこちらを見上げるその青い瞳は、それまで僕に襲いかかってきた誰とも違っていて、ひどく澄んで見えた。まるで本当に、慈悲をかけようとしているみたいに。
「どういうこと……?」
「死神は神のお創りになったこの世界の摂理から外れた存在だ。とはいえ彼らには彼らなりの存在理由があるんだろう。だが、君は人だ。ならば人としての運命を全うすべきだ」
「それはまあ、そうだろうけど」
迅の相棒になったからと言って、僕の何かが大きく変化したわけじゃない。
「なら、その
「黙れ、マルコ」
低く言った迅の声に、ますます少年が顔を歪める。額から冷や汗を流しながらも、それでも少年の青い瞳は真っ直ぐに僕を捉えて離さない。
「どれほど僕に苦痛を与えようと、真実は隠せない。死神の共謀者、その資質は二つ。死神を視認できる
迅が何かを言いかけて、でも口をつぐむのが視界の隅に入った。普段なら有無を言わさず黙らせるか、もう相手の首を落としていそうなのに。そうしないのは、相手が屑な連中じゃないせいなのか——あるいは、それが今さら避けようのない真実だからなのか。
僕は、ずっとどこかでそれを知っていた気がする。だから、もう黙って少年の静かな声を聞いていた。
「もう一つは、まもなく死すべき
——君は、本当にそんなことを望んでいるのか?
問いかける青い眼差しは、非難も嫌悪もなく、ただ哀れみを浮かべているように見えた。
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