2. 真実の行方(どこへいく?)

『裏切り者』

 その言葉の鋭利な響きに背筋が冷えた。迅と出会い、契約を交わしてから、僕は迅が人間を手にかけるのを何度も目にしてきた。平然と首を落とし、こぼれた命を小瓶に閉じ込める。死神はそれを糧にする——とは言っても、僕は迅がをするところを見たことはなかったけれど。


 いずれにしても、死神の相棒は人殺しの手助けをしている。それは間違いのないことだ。同じ人間でありながら、捕食者の側についていることを裏切りと言うのはその通りなのだろう。

「馬鹿馬鹿しい」

 目を向けると気遣いのかけらもない、心底呆れた様子の顔が目の前にあった。

「死神が刈る人間の命より、人間同士が殺し合う数の方が圧倒的に多い。俺たちは大量破壊兵器なんて使わないからね」

 それに、と迅は冷ややかな眼差しのまま続ける。

「もっと極端な話をしようか? 人間が殺す家畜の数に比べたら、俺たちがいただく人間の命なんて圧倒的に少ないよ」

「それは比較にならないだろう」

 口を挟んだ耀に、迅は馬鹿にするように鼻を鳴らして頬杖をつく。頑是ない子供の駄々をいなすみたいに。

「どうして? 生きとし生けるものは何かを殺さずには生きていけない。菜食主義者ベジタリアンだって植物の命を奪っているだろう。それと同じだよ」

「話をすり替えるな。これは犠牲者の数や自然の摂理の話じゃない。捕食者と被捕食者の関係について、だ。狼と羊が共に暮らすことはできないだろう」

 絵本でそんな話があった気がするけど、今は言及しないことにしておく。迅は耀の言葉に肩を竦めて、それでも先を促した。

「いくら取り繕おうと、死神おれたちが人間に対して敵対者である事実は変わらない。まして、共謀者を得た死神おまえは遥かに脅威だ」

「御託はいい。、そう言ってるんだい?」


 そうだ。死神と共謀者の関係なんて今に始まったことじゃない。なのに、それが問題になるなんて——よりにもよって僕がである時に限って。


「もしかして僕の不幸属性のせい?」

「関係ないでしょ」

「関係ない」

 思いの外ぴったりと合った声に、死神たちが互いに嫌そうな顔をしている。そういうところは子供みたいだ。

「なら、いったい誰が?」

「……協会だ」

「教会? ってキリスト教の? カトリックとかプロテスタントとかそういうやつ?」

協会ザ・ソサエティ、だ。唯一神を崇めているという点においては近いが別物だな。正統オーソドックスからは外れている、影の組織とでも言えばいいか……。彼らは尋ねる者Inquisitorと呼ばれている」

「尋ねる者?」


 呟いた僕の後ろから、またひとつうんざりしたようなため息が降ってくる。迅は、相変わらずの呆れた表情だったが、その金の瞳には少し違う色が浮かんでいる。怒り——とは少し違う、それは、微かな苛立ちと怯え、だろうか。


「このご時世に、異端審問とはね」

「イタンシンモン?」


 ——異端審問。聞きなれない響きが、少しおいてから意味を形作る。それほどオカルトに造詣が深いわけじゃない。でも、世界史の成績は悪くない方だったし、どこまでが事実でどこまでが風評なのかはわからないけれど、ジャンヌ・ダルクが魔女裁判にかけられた、くらいは知っていた。その無惨な最期も。


「連中の主な目的は信仰心というよりは権力か金か、あるいはその両方だ。いずれにしても死神の相手をするほど暇だとは思えないが」

「ところがそうもいかないんだな。死神の行為が『神のご意志に逆らうものだ』と断じて魔女狩りならぬ死神狩りが始まっているらしい」

「馬鹿馬鹿しい。死神おれたちも『神のご意志』とやらのうち。そう折り合いをつけて千年以上もやってきたんだろう?」


 迅の表情にはあざけるような色さえある。死神は人の死を看取る。それだけではなく、悪人の命を狩り、その寿命を掠め取る。それは何度も聞かされてきた話だが、細かい規則ルールについては何も知らないままだった。

 世界には死が溢れている。人は生まれ、そうしていつか死ぬ。それが早いか遅いかだけで。穏やかな死を迎える人もいれば、道半ばで非業の死を遂げる人もいる。誰かを遺していってしまうことも。

 もうずっとどこかに置き忘れていた記憶がざらりと胸に引っかかって、ずきりと心臓が痛んだ気がした。僕の両親も、僕が気づかないうちにそうやって死神に看取られていたんだろうか。


「世界が落ち着かないのは死神のせいじゃない。だいたいそんなことをしている暇があったら神への信仰を取り戻すべく敬虔けいけんに祈るなり伝道に励めばいいだろう。何をどうやったら死神狩りなんて無駄な行為に走るんだ」

 僕の感傷など気づかないまま、苛立ちを隠そうともしない迅に、耀は少し目を見開いて、それから僕を見つめてなるほど、と訳知り顔に頷く。その表情が気にならないわけではなかったけれど、先を促すと脇に置いていたリュックからタブレットを取り出して、地図アプリらしきものを起動した。

 見慣れた世界地図のあちこちに、赤と黒のピンが立っている。東の大陸にはわずかに、ヨーロッパ方面には数本、そして、日本にはその面積に比しては重なって見えなくほどの数が。

 僕の疑問に気づいたのか、耀は地図をクローズアップしながら日本のある一点を指し示す。


「そいつが言う通り、死神自体は古来より吸血鬼と同じくらいポピュラーな存在だ」

「え、吸血鬼って実在すんの⁉︎」

「何だ今さら。この国はそういった怪異の宝庫だろう」

「え、そうなの?」


 迅を見上げたが、奴は肩を竦めるばかりだ。幽霊どころか虫の知らせレベルの霊的なものさえ感じたことがない僕にとっては、死神だけが特異なのかと思っていたけど、そうでもないのか、単純にからかわれているのか。


「ともかく、だ。連中の狙いは俺たち死神というよりは、その相棒たちだ。ただの人間であるあいつらにとっては死そのものである俺たちを相手にするのはさすがに分が悪い。わかってはいるんだろう」

「そこまでわかっていて、そんな連中に遅れをとるような奴がいるの?」

「お前ならそう言うと思った。だが、一般的には共謀者とそのパートナーの死神の絆は深い。相手を人質に取られれば身動きが取れなくなることもあるだろう」

「挙句に狂って無差別殺人を始め、さらに連中に死神を排除するための理由を与える? そんな関係ならない方がマシだね」

「本当にそうか? なら、俺に譲ってくれても構わないぞ」

「情に溺れて守りきれないような奴に、ナギはあげられないよ」

 ふふんと笑って、迅は僕の腕を引いて立ち上がる。

「大体の状況は理解した。情報提供感謝するよ、東の執行官殿」

「感謝するなら対価が欲しいところだけどな。まあいい。ひとまずはナギに危険を伝えたかっただけだ」

 瓶ビールを呷りながら、空いた方の大きな手が伸びてきて、僕の頭をくしゃりと撫でる。思いの外優しい手つきだった。

「……耀ヨウ?」

「たとえどんなに非難されようと、それでも手放せないこともある」


 意味ありげな言葉の真意を尋ねる間もなく、僕は迅に腕を引かれてカフェを後にした。

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