Episode 2. その先に何があっても
1. 沈黙は金(たまには黙っててほしい)
とりあえず話を先延ばしにするのは死神の共通ルールか何かなんだろうか。傍らを見上げると、迅は相変わらず器用に片眉を上げて笑って、僕の額を白い指先で弾いた。
「俺にそんな顔しないでよ。あいつの件は俺は
「誤魔化すなよ。あんただって仕事だとか言ってたじゃないか。全然事情を知らないとは言わせないぞ」
襟首を掴んで顔を寄せると、迅はそれでもますます笑みを深くして、僕の顎を掬い上げるように引き寄せた。
「珍しく勘がいいね。察しの悪い君にしては上出来」
出たな自動嫌味製造機。近頃なんだかやたらと
「おやまあ、ずいぶんご機嫌斜めだね。嫌味はともかく理不尽なことなんて言った記憶はあんまりないけど?」
「自覚がないなら余計に問題だろ」
頬を膨らませてそう言うと、後ろからぷっと吹き出す声が聞こえた。振り向けば夏月さんがくすくすと楽しげに笑っている。さすがにバツが悪くなってカウンターの中に戻ろうとすると押し留められた。
「耀と話があるんでしょ。もう今日は店じまいするから、ゆっくりしていって」
「え? でも……」
「早仕舞いの分をバイト代から引いたりしないよ。差額は耀に請求しておくから心配しないで」
「そこで何で俺に来るんだ?」
響きだけはいい、うんざりしたような声が割って入る。荷物を下ろしてついでにシャワーでも浴びてきたのか、やたらとさっぱりした顔だ。僕の視線に気づいたのか、耀がまさに欧米といった感じで肩を竦める。
「この国の夏は湿度が高すぎる。よくこんなところで暮らせるな」
「あんたのとこはそうでもないの? っつーかアメリカのどの辺?」
「西海岸の方だ。雨季もなくはないがこれほどひどくはないな」
あんまり地理には詳しくないが、サンフランシスコとかロサンゼルスとか、その辺がある方、くらいはわかる。どっちかっていうとニューヨークとかボストンとか勝手にその辺を想像していたのでちょっと意外だった。そういえば、今まで僕が見てきた死神よりやたらとラフな格好——今もTシャツにハーフパンツという勤め人からするとありえなそうな——をしているのに、何でだろう。
「ああ、仕事は基本そっちの方だ、よくわかったな。だが向こうでは今でも反りが合わない連中の方が多い」
口の端を上げて笑いかける様子はごく親しげで、なんだか旧知の間柄みたいな親密な感じがする。なのにやたらと背筋がぞわぞわしたから思わず一歩下がろうとしたら、後ろに立っていた迅に肩を掴んで受け止められた。
「俺の相棒を脅かさないでくれる?」
「誰がだ。愛想よくしてるつもりだったのに、そんなに警戒されるのは不本意だな」
「前科があるから仕方ないでしょ」
「人を犯罪者みたいに言うな」
似たようなもんだろ、と反射的に言いかけてとっさに口元を押さえた。僕だってそれなりに学習するのである——口は災いの元、くらいは。
口をつぐんだ僕にふっと迅が笑う気配がして、それから背中を押してカウンターの席につくように促される。しぶしぶ座ると、右隣に迅が、反対側に耀が腰を下ろした。でかくて物騒な死神二人に挟まれて、居心地のいいはずのカフェが一刻も早く抜け出したい危険地帯に早変わりしたような気がした。
縮こまってため息をついてる僕を哀れに思ったのか、夏月さんがアイスコーヒーをそれぞれの前に置いてくれた。ついでにちらりと耀の方に視線を送ったけれど、本人はグラスに口をつけたものの見向きもしない。夏月さんは気にした様子もなく、それじゃあとエプロンを外すとそのまま荷物を持って本当に出ていってしまった。最後に振り向いた時に、せめて僕も一緒に、と縋る眼差しを向けたが華麗にスルーされた。
もう一度内心でため息をつきつつグラスに口をつけると、迅の静かな声が上から降ってきた。
「基本的に俺たちは
迅の口調はいつもと変わらないようでいて、僕でさえどこかひやりとするような冷たくて鋭利な響きを宿している。
「言っただろう、正式な調査だと。お前のところの上司も把握済みだ」
耀は表面上は余裕なポーズを崩してはいないが、その表情はどこか強張っている。しがない人間の僕からすると耀も十分凶悪だが、共謀者のいない死神にとって迅は輪をかけて鬼門なのかもしれない。
「……まあ、ならご自由にどうぞ。俺には関係のないことだからね」
興味なさげにグラスに口をつけた迅に、だが耀は真剣な表情で首を横に振る。その表情には先ほどまでのそれとはまた別の緊張——というよりは何かを憂える気配が浮かんで見えた。
「この辺りで存在が確認されている
「だから?」
「だから……ってお前なあ」
「相手があの狂った死神程度なら、遅れを取りようもない。俺に万が一のことが起きて、傷心のナギにつけこむことを期待してるなら、さすがに見込みが甘すぎるよ」
鼻で笑った迅に、耀はわずかに顔を顰めた。もしかして図星だったんだろうか。迅があんな連中との戦いで命を落とす? そんなことがありうるだろうか。どっちかっていうと僕の寿命が尽きる方が先だろう。
思い切り顔に出ていたのか、耀はしかめた顔のまま首を横に振る。
「そうでもない。そいつはお前を守るためなら相当な無茶もする。でなければあんな危険地帯へ踏み込んだりしないだろう。それに、お前の母親は——」
「舌を引っこ抜かれたくなかったら余計なおしゃべりは控えることだよ、
迅がいつになく低い声でそう言った瞬間、金髪の死神の顔色が変わった。
「貴様——!」
金髪の陽気な死神を包む気配が一変する。警戒心をむき出しにした獰猛な獣みたいに物騒な、ぴりぴりとした緊張感が伝わってくる。普段はご機嫌なでかい猫みたいなくせに。
「
「俺を縛るつもりか⁉︎」
一方の迅も、表情と声はいつも通りなのにその身に纏う気配だけが恐ろしいほどに尖っている。
「先に喧嘩を売ってきたのはそっちの方だろう? 他人の
名前。そういえば、死神は名を呼ぶことで相手を自分の影響下におくことができる、と言っていた。それは死神にも有効なんだろうか。何はともあれこの二人に任せておいたら話が進まない。
「迅、ちょっと黙ってろ。話が進まない」
「ナギ、君ねえ——」
「うるさい。今は事件の話をしてるんだろ」
僕にだって我慢の限界ってものがある。横柄な僕の言い方に驚いたのか、目を丸くしている
「次の標的が僕って、その犯人はこの周辺にまだ潜んでるってこと?」
「正直わからん。この国はやたらと
不意に僕の目の前を銀色が横切る。ずいぶん前——初めて迅と出会った時に一度だけ見た、銀色のナイフが耀の眼前に突きつけられていた。黙っていろと言ったら、今度は実力行使に出たらしい。物騒な奴め。
「話を遮るなって言ってんの!」
「……はいはい、わかったよ」
「聞き分けのよろしいことで」
また余計なことをと思いながら目を向ければ、耀は懲りた風もなく、立ち上がって冷蔵庫を開けている。本当に勝手知ったる我が家のようだ。
「話をするんじゃなかったのか?」
首を傾げた僕に、耀は顔を顰めたまま輸入物の
「目の前でいちゃつかれて
「男の嫉妬は醜いよ、ヨウ」
「何の話だよ? いいからもう話せよ」
迅の茶々には構わず真っ直ぐに見つめると、耀はため息をついて、ボトルを口につけて呷りながらカウンター越しに僕の正面に立つ。
「ナギ、実際のところ、お前は死神というものがどういう存在か知っているか?」
「人間の命を刈って、その余命を
「そう、死神と人間は捕食者と被捕食者の関係にある。つまり、本来は
でも、僕や夏月さんは実際に契約を結び、彼らと過ごしている。いまさらのように、それがとても異常なことなのだ、と突きつけられた気がした。
「ああ、そういうことを言いたいわけじゃない。だが、この現状を気に入らない奴らがいるんだ」
「気に入らない?」
「そうだ」
耀はじっと僕の顔を見つめ、言葉を続けた。
「連中は、人間と死神が共存することなどありえない。そう主張している。そして」
——死神に力を与える
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