8. 結局僕らは
いつだって飄々として、嫌味ばかり言う迅の、ほんのわずかに垣間見える脆い一面。それが、こいつの本質だ、なんていうつもりはない。それでも、普段僕に見せている姿が、迅の一部でしかないことを、僕だってもう気づいていた。
だから、今度こそはっきりさせようと——その人がが誰だったのかを尋ねようとした瞬間、もう聴き慣れてしまった高い声が割って入った。
「あいつはどこ⁉︎」
「和香ちゃん……?」
息を切らせて駆け込んできた和香は、先日の尊大な態度が嘘のように切実な表情で迅を見つめる。だが、迅は面倒くさそうに肩を竦めるばかりだった。
「悪いけど取り込み中だし、君の質問に答える義理もないね」
「あんたにはなくたってあたしにはあるの!」
叫んだ和香の切迫した声に、嫌な予感がした。
「
「言ったはずだよ、答える義理はないって」
「あるわ!
なぜあいつは、と悲嘆を露わにしながら僕に襲いかかってきた死神。
そして、死神のパートナーになれる資質が、ある程度は遺伝するものであるのだとしたら。
「和香ちゃんのお兄さんが、あの狂った死神の共謀者だった?」
「だった、って……
怒りに燃える眼差しは、不安の裏返しなのかもしれない。迅はそれ以上は何を言っても無駄だとでも言うように肩を竦め、ついでのように虚空に向けて語りかけた。
「
「あーもう、俺がちゃんと説明するって言っといたのに、なんでややこしいことするかね、お前さんは」
唐突に目の前に広がったのは炎のような緋色の髪。いつかも見たその男——迅の上司は、わなわなと震え、今にも泣き出して崩れ落ちそうな和香を抱き寄せるように包み込んだ。
「俺に任せておきなさいといったのに、君も何で無茶するかねえ」
「信用がないからだろう。だいたい本命がいるくせに、そんなのを引き込んで叱られないのか?」
「そりゃあもう、彼女からは圧倒的な信頼しかないから」
「惚気を聞く気はないよ。失せろ」
「はいはい。じゃあ状況報告だけお願い」
震える和香を抱き込んだまま、軽い口調で笑いながら言った迅の上司の眼差しは、それでも背筋が凍るほど冷ややかだった。逆らうことを許さないという強い傲然とした意志を感じさせるそれは、明らかに依頼ではなく命令だった。
思わず一歩下がってしまった僕に、迅が微かに笑う気配が伝わる。見上げた顔に、余裕を見てとってどこか安心する自分にうんざりしつつ、こっちは人間なんだから、死神同士の睨み合いに挟まれて平常心でいられるかよとはとりあえず口には出さないでおく。
「オーダーNo.204842『共謀者を失った結果、自我を失い暴走した死神の排除』の執行完了」
それまで聞いたことのない迅の事務的な声音。その内容を僕が理解するより先に、和香が声を上げた。
「失ったって、どういうこと⁉︎」
「そのままの意味だよ。それともそんなことも理解できないほど馬鹿なのかい?」
呆れたように言う迅の表情はいつも通りで、だから僕もその意味を改めて考える。オーダー——命令あるいは指示。あの狂った死神が僕の前に現れたのは、偶然じゃない。そもそも和香がそう言っていたように、僕を狙って現れたのだとしたら、迅もこの上司も、あの死神の素性もあいつが狂った理由をも知っていたのだ。
和香が僕らの前に姿を現したのがこの上司の差し金だというのだから、それはごく自然な結論だった。わからないのは、なぜ、だ。共謀者を失った死神がなぜ僕を襲うのか。和香とその兄に何があったのか。
僕の視線を受け流し、迅は死神上司に視線を向けた。
「
「はい、ご苦労さん。じゃあ俺たちはこれで」
「ちょ、ちょっと待ってよ。全然何もわかんないままなんだけど。和香ちゃんのお兄さんは結局どうなったんだよ?」
「本当に聞きたいのかい?」
迅と同じ色の、けれどもっと違う色の光を浮かべた瞳が僕をじっと見つめる。どこかおもしろがるように。ただ冷ややかなだけじゃなく、それでも温かいとは到底言えない、珍しい生き物を見るみたいな眼差しで。
「迅と契約を結んでいる以上、君はもう当事者の一人だ。だから本当に君が知りたいと言うのなら、俺は止めないよ。その覚悟があるなら、だけど」
「覚悟って……」
「煉、余計な話はなしだ。今回の仕事はここまで、そう言っただろう」
「子供じゃないんだ。選択は本人に委ねるべきだよ」
言い切った煉に、迅が眉根を寄せる。何かを言いかけて、けれどその視線に
出会って数ヶ月。
だったら、いつまでも知らずにいるわけにはいかない——それが、どんなに厄介な真実だとしても。
「和香ちゃんのお兄さんに何があったのか、そしてそれが僕にどう関係があるのか。僕は知りたい」
「では追加
「協力者?」
尋ね返した声は僕一人だけじゃなかった。迅もまた怪訝そうに眉根を寄せたけれど、煉はくつくつという低い笑い声だけを残して、和香と共にその場からかき消えていた。
襲いかかってくる死神に、血相を変えて飛び込んでくる女子高生。やたらと派手な死神上司。それらすべてが消えた屋上は、さっきまでの喧騒が嘘のように静かだ。その上、なにもわからないままで、徒労感がひどい。
うんざりしたため息を吐いた僕に、迅はいやに静かな表情でじっと見つめてくる。今は眼鏡をしていないその双眸はあの狂った死神とは違って、混じり気のない鮮やかな金色をしていた。
「性格は全然似てないと思ってたけど、物好きなところはそっくりだね」
誰と、とは多分聞かなくてもわかるような気がした。金色の双眸にやけに真摯な光が浮べて、僕の頬に手を伸ばす。そうして、かがむようにして顔を近づけてきた迅は静かに続ける。
「死神と共謀者、従属者はあくまで契約関係だ。それ以上でもそれ以下でもない。死神が人間を捕食する存在である以上、そもそも基本的に相容れない」
それは、迅の口から初めて聞く死神についての事情だった。相容れない、という言葉はそれでもどこか真実味がない。だって——とそう考えたその時。
「まったく、こんなところでいちゃつくな。やるならせめて屋内でやれ」
その声には聞き覚えがあった。視線を向けられないまま、迅のわずかに苛立ったような皮肉げな声が耳に届く。
「こないだ夏休みをとったばかりだと思ってたけど、そんなに暇なのかい?」
「あいにくとお前ほどじゃない。前回も今回も正式な調査だ」
含み笑う声に迅の気配が尖る。近づいてきた影を見上げた先には、日の光に照らされて眩しく光る短い金髪と、迅と同じ色の瞳。
「久しぶりだな、ナギ」
「
「カヅキから話は聞いていたが、元気そうで何よりだ」
いやに親しげに伸ばされた手は、迅の大鎌で振り払われる。いくらなんでも物騒なやり方に思わず目を剥いたけれど、陽気な死神は肩を竦めただけであまり気にした様子もない。
「前回と違って随分過保護だな」
「何の用? 他人の
「言っただろう、正式な調査だと。そっちの上司から聞いてないか?」
その言葉に迅がさらに顔を顰めたけれど、耀は構わず少し表情を改めて、真っ直ぐに僕を見つめる。
「共謀者を惨殺し、そのパートナーである死神の自我崩壊を唆す事件が世界中で起きている。特に共謀者の多い極東エリア——つまりは
「……はあ⁉︎」
一難去ってまた一難——どころか前代未聞な特大の厄介事がやってきたことを、僕が自覚するのは、あとほんの少しだけ先の話だった。
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