7. 死神の本音(そろそろ素直に?)

 振りかざされた三日月型の鎌が想定外に機敏な動きで振り下ろされる。とっさに反応なんかできなくて、呆然としたまま馬鹿みたいに突っ立っていた。ああ、死ぬかも、とぼんやりしている間に腕を思い切り引かれて、風を切る音で我に返った時には前髪が数本風に舞っていた。びてるように見えたけれど、切れ味は悪くないらしい。


 こちらを見下ろす男は古びたコートを身に纏っていて、顔色の悪さと相まって、ザ・死神みたいな感じがする。そんなことを考えているうちに、また刃が迫ってきた。

「っぶね……!」

 ぎりぎり身を引いてかわすと、ヒュウという小気味のいい口笛と共に嫌味な声が降ってくる。

「ようやく調子出てきた? 反応は悪くないけど、もう少し運動でもしたら?」

 前に出ながら不敵に笑う秀麗な顔は、こんな時ばかりは頼もしく感じられるのがしゃくさわる。

「あんたと違って僕は頭脳労働派なの」

「単なる記録係レコーダーを頭脳労働と言っていいものかねえ」

 皮肉げに笑いながら、ブンと風を切って振り下ろされた鎌の刃を柄で受け止め、すかさず相手の腹に蹴りを叩き込む。全体的に均整が取れているから忘れがちだが、人並外れて背が高い上に脚も長くてリーチが長いのは羨ましい限りだ。

「シャーロック・ホームズだってワトスンを書記として重宝してただろ」

 だいぶ小馬鹿にはされていた気はするけど。そういえば皮肉屋なところはそっくりだなと、一人で悦に入っていたら、頭をぐいと押し下げられた。その直後にヒュンと鈍い色の刃が頭上を掠める。

 正面には相変わらず無表情で虚ろな錆色さびいろの目がこちらを見つめていた。あんまりにも空虚なのに、殺意だけが明らかで背筋が冷える。

「何で僕ばっかり⁉︎」

「運命を捻じ曲げることは許されない」

「え……?」


 思いの外はっきりとした返事に思わず目を見開くと、すぐ側で迅の苛立ったような舌打ちが聞こえた。腕を引かれ、視界を塞ぐように背の後ろに庇われる。追い打ちをかけるように刃同士が擦れる音と、掠れてはいるがはっきりとした低い声が届く。


「愚かな。そうやって庇い立てしていれば永遠を過ごせるとでも?」

「関係ないでしょ。この子は俺の相棒で、きちんと書類申請ペーパーワークも済んでる。お前みたいなOOOポンコツ無法者アウトローにどうこう言われる筋合いはないよ」

「私が無法なら貴様も同じだろう。なぜそいつは許されて、あいつは命を落とさなければならなかったのだ」

 ほんのわずか、空疎な声に何かの色が混じる。怒りや憎しみよりも、もっと切実なそれはきっと後悔や悲しみのようだった。死人みたいなその男にはひどく不似合いなのに胸の奥がざわりと騒いだ。その響きを、僕はもっと間近で聞いたことがあった気がしたから。

「あいつって誰?」

 考えなしにこぼれた問いに、男はじっと僕を見つめる。何かを見極めようとするかのように。

「私の相棒だ。永遠を共に、と誓ったのに私を置いていってしまった」

 錆びたような声に混じるのは明らかな悲嘆。死神はパートナーを義務を負う。この男もまた、そうやって誰かを養っていたのだろうか——他人から刈り取った『余命』で。


 それが、僕にも大量に投与されていると、耀ヨウが言っていたその意味は——?


 戸惑う僕を置き去りにして、迅が風のように踏み込み、男の胸を切り裂いた。古びたコートとシャツの切れ目から鮮やかな色が流れ出す。モノクロ映画にそこだけ色がついたみたいに。その違和感が目の前の凄惨な光景をやけに非現実的にしていた。


 よろけた男の首に刃がかけられる。見下ろす迅の顔は薄く笑っていて、金の双眸はいつになく爛々と苛烈な光を浮かべていた。

「自分の力と覚悟が不足していただけなのに、こっちに八つ当たりするのはやめて欲しいね。誰に吹き込まれたのかは知らないけど、従属者Follower共謀者Collaboratorもただの契約関係だ。それ以上のものを押しつけようとするから、失ってしまうんだよ」

 自嘲するようなその響きに、きっと僕だけでなく男も気づいたのだろう。ほんのわずか、口の端を上げた顔は呆れと憐れみが混じった笑みを浮かべているようにも見えた。

「そうやって誤魔化しているうちに、なくさないように気をつけることだ。失われたものは二度と戻らない」

 嘲笑うような声に、けれど迅は顔色一つ変えなかった。ただ平然と、その眼にどこまでも冷徹な光を浮かべて鎌の柄を握り締める。

「言われなくても、そんなことは知っているよ。だから——」

 言いかけた言葉はそれ以上紡がれることなく、僕が何かをいう間ももちろんなくて、迅はただ静かに刃を引いた。


 ごとり、と落ちた首からは血は流れなかった。そのままさらさらと灰のように粉々になって風に吹かれて消えていった。それはひどく凄惨なのに非現実的な光景で、でも、心のどこかが麻痺しているように恐怖も嫌悪も浮かんでこない。凍りついたようにその場から動けない僕の頬を、近づいてきて手袋を外した迅の手が包み込む。


 いつになく静かな表情はそれだけ見れば相変わらず端正イケメンで、しかもほんの少し触れれば砕けてしまいそうな脆いガラスみたいに見えた。

 あの死神の言葉に、迅は「そんなことは知っている」と答えた。それはつまり——。

 

「あんたも、大切な誰かをなくしたことがある?」

 そう尋ねた僕の声の方が震えていたかもしれない。

「ないよ」

 嘘だ、と僕が言うより先に、迅は視線を外して眼下に広がる風景を眺める。満月を煮詰めたようなその瞳は、あの錆色の瞳の男が見せたのと同じような光を浮かべていた。そうして、その口から、ぎりぎりいっぱいに注がれていたコップから水が溢れるように低い呟きがするりとこぼれ落ちた。


「大切だと気づいた時には、もうなくしていたからね」


 ——だから、をなくしたことはないよ。

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