4. 可愛い子には……?(なんだっけ?)

 肩に届くかどうかという真っ直ぐな黒髪に、背筋の伸びた綺麗な姿勢。づきさんの少し大きめのTシャツから覗く首筋は細く頼りなげで、こんな子がどうしてあんな怪しげな奴に追われていたのかと首をかしげざるを得ない。

 どう声をかけていいか分からず立ち竦む僕の脇をすり抜けるように夏月さんがカウンターに入ってきて、電気ポットでお湯を沸かす。コーヒーは基本的にサイフォンでれるけれど、他にも紅茶やココアなんかはお湯を使うのでそちらは文明の利器を利用しているのだ。


 ジンはといえば、のんびりとコーヒーを啜っている。夏月さんは棚からマグカップを取り出すと、ココアの粉をお湯で溶かし、温めたミルクを注いだ。ふわりと甘い香りがして、差し出されたカップに口をつけた女の子の表情も和らぐ。

「美味しい、です」

「よかった。体が温まるから、ゆっくり飲んでね」

「ありがとうございます」

 こくんと小さく頭を下げて、それから僕ら三人をぐるりと見渡して不思議そうに首を傾げる。僕はともかく夏月さんも迅も人目を惹くタイプだから、その疑問もわからなくもない。

「あら、凪くんもわりとそういうタイプだと思うけど?」

「……人の心を読まないでください」


 従属者Followerが読めるのはパートナーの死神の心だけのはずだけど、夏月さんは客商売を営んでいるせいなのか、やたらと鋭い。そういえば、迅はそのことを知っているんだろうか。共謀者Collaboratorにはそんな特性はないらしいから、あいつはタカを括っていそうだけど。


 ともあれれた意識を女の子に戻す。夏月さんの顔をうかがってみたけれど、肩を竦められただけだった。聞きたいことがあるなら自分で聞け、ということなんだろう。マグカップを持った顔はだいぶ落ち着いている。事情を尋ねてもパニックに陥る、ということはなさそうだった。


 少しだけ悩んで、ショーケースの中にあったアップルパイを思い出して、一切れ取り出す。

「お腹、空いてないかもだけど、よかったら」

 白い綺麗な皿に載せてフォークと一緒に差し出すと、女の子は首を傾げたが、艶々のアップルパイには逆らえなかったらしい。

 さくりと割れたパイを口に含んで、さらにホッとした表情になったのに安堵して、僕はようやく問いを口にした。


「僕は駿河するがなぎ。大学の一年生。君は?」

「……しい和香わかです」

「和香ちゃん、高校生?」

「はい、高二です」

 高校二年生がうろつくには、このあたりはあんまり治安のいい場所じゃない。少し眉根を寄せた僕の表情に気づいたのか、和香も表情を曇らせた。

「わかってます。人を探してて」

「人探し?」

「お兄ちゃん——兄が、急にいなくなってしまって、パソコンの履歴を調べたら、この辺りの店を訪ねていたって聞いて」

 失踪事件——嫌な符合だ。迅の方を見たけれど、相変わらず素知らぬ顔だ。


 死神は人の命を刈る。それだけじゃなく、悪人ならことも許されている。僕はそうして狩られた人間の記録をいくつも見てきたし、それ以上に迅が何かを隠しているのももう知っている。それが、何らかのかたちで僕自身に関係していることも。


「お兄ちゃんが最後に連絡を取ったのが、この近くの事務所だって聞いて歩いてたら雨が強くなってきて……そして、急にあの男が目の前に現れて……」

 あの男の姿を思い出したせいか、それとも無惨な最期のせいか、和香が身を震わせる。それでも、夏月さんがそっとその肩に手を置くと、こくりと小さく頷いて先を続けた。

「あの鎌みたいなのを振り上げてきたから、とにかく怖くて、走って逃げてここにたどりついたんです」

「へえ、そんな偶然が?」

 不意に低く皮肉げな声が割って入った。視線を向けると、コーヒーを飲み終わったらしい迅が、黒い手袋をしたままの手で頬杖をつきながらじっと和香を見つめている。眼鏡の奥の眼は連続殺人鬼シリアルキラーを前にした時よりも、もっとずっと冷たい光を浮かべている。

「迅?」

「大雨の中、大鎌を振り回す異常者から逃げるなら、まずは大通りへ逃げるか交番へ向かうだろう。この店は路地のだいぶ奥にあるし、基本的にここに店があると知っていなければたどり着かないよ。オーナーがそう仕向けているからね」


 死神にしては真っ当な指摘だ。ちらりと向けられた視線に夏月さんは表情を変えなかった。確かにわかりにくいところにあるなとは思っていたけれど、そういえば白河たちへの料金も「情報料込み」だなんて言っていたことを思い出す。


「まあ大人気店というわけじゃないことは認めるわね」

 軽く肩を竦めたけれど、それ以上は何も言わなかった。僕が迂闊にも気づかなかっただけで、彼女は別に隠していたつもりもなく、自明のことなのかもしれない。和香は、先ほどまでの震えるような様子が嘘のように、どこか挑むように迅を見返していた。

「何が言いたいんですか?」

「さあ? 俺は事実を指摘しただけだよ。死神がえる君が、ただ偶然にアレに襲われたとは考えにくい」


 普段は口を開けば嫌味しか出てこない迅が、これほど饒舌なのは珍しい。目を丸くしていると、ちらりとこちらを見てから腰を上げ、和香のすぐ脇に立つ。座っているとバランスがいいからわかりにくいが、何しろ百九十センチもある大男、見下ろされるとなかなかの迫力だ。いつもより気配が不穏だからなおさらに。


「誰に吹き込まれたの? 狙いはナギ? それともカヅキの方かな」

「何のことですか」

「狂った死神を連れて、死神の従属者Followerがオーナー、共謀者Collaboratorがバイトしてるカフェに転がり込んだ理由を教えてくれるかな、って聞いてるんだよ」

 黒い手袋をした大きな手が、和香の喉にかけられる。ほんの少し力を込めれば、その息の根を止められることを僕は知っている。そんな光景を何度も見てきた。

「迅、やめろ」

「なぜ? 前にも言ったけど、死神の協力者パートナーになれる人間は世の中そう多くない。不思議とこの国にはやたらと多いらしいけどね。それでも、偶然に三人もの資質を持った人間が一箇所に集まるなんて可能性は、砂浜に落とした指輪を探すくらい低いと思うよ」

「指輪くらいなら頑張って探せば見つかるだろ。僕が間に入らなきゃ、彼女は斬られてた。あれが演技だったとは思えない」


 カウンターを回って肩に手をかけたけれど、迅は手を緩めなかった。迅を見つめる若の顔も、確かに不自然なくらい驚きや怯えがない。この店に転がり込んできた時には、あれほど震えていたのに。


「あーあ、共謀者の方はお人好しだって聞いてたから、誤魔化せるかと思ったのに」


 突然がらりと変わった口調と皮肉げな声に、一瞬ついていけなくて呆然とする。そんな僕をよそに、和香は平然と自分の首を絞めていた迅の手を握ると振り払う。迅も本気じゃなかったんだろう。それにしたって。


「和香ちゃん……?」

「説明するのも面倒だし、カワイ子ぶってればホイホイいうこと聞いてくれるかなと思ったのになあ」

「そのためだけにあんなのを連れてきたのかい?」

 不穏な響きを含んだままではあったけれど、それでもほんのわずか気配の緩んだ呆れたような迅の声に、和香はそれはそれは可愛く小首を傾げてにっこりと笑う。

「あれはついで。頼まれたから連れてきたの。どうせその人が危なくなれば、あなたが始末してくれるだろうからって。結構ギリギリかなと思ったけど、ちゃんと庇ってくれたから助かったわー」


 そう、僕は忘れていた。こいつの周りに集まるのは屑な連中ばかりだってことに。どれだけ見た目が可愛くても、だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る