2. 傍迷惑な人たち(どいつもこいつも)

 夏も盛りの八月半ば。猛暑日が続く夏はもはや恒例になってしまったけれど、それにしたって暑い。おまけに今年はゲリラ豪雨も相変わらずで、傘を持って歩いていたってずぶ濡れになる始末だ。食らっているのが僕だけじゃないのが救いな気もするけど。


「まあ前向きなご意見ね」

 くすくすと笑いながらづきさんが差し出してくれたタオルを受け取りかけて慌てて手を引っ込める。ここは彼女が経営するカフェ。ありとあらゆる備品に使用料金がかかる恐ろしい場所なのだ。

「失礼ね。さすがにバイトくんがびしょ濡れになってるのをそのままにしておくわけにはいかないでしょ」


 そう、実はあれからいろいろあって僕はこのカフェでバイトをすることになったのだ。何しろ身に染みついた不運属性たいしつのおかげでどこのバイトも長続きした試しがない。今のところ学費と生活費に関しては死神スポンサーのおかげで何とかなっているが、その上小遣いまでせびるのはさすがに気が引けた。たまたま前回寄った時にそんな話をしたところ、じゃあ手伝いをということで雇われたのだ。そうそう上手い話があるのかって?

 僕もその辺りは怪しいとは思ったのだけれど、一応あの金髪死神の関係者ということもあり、世間話をする相手が欲しいというのが本音だったらしい。

 それだけにしては条件が良すぎる——最低賃金の二倍の時給——ので、まだ何か裏はありそうな気がしないでもなかったけれど、一応迅にも伝えてあるし、あいつが釘を刺してくれていたからそう酷いことにはならない、と願いたいところだ。


「わあ、ものすごい疑いの眼差し」

 肩を竦めた夏月さんはポニーテールに一房ゆるくウェーブした横髪がたいへんセクシーでお美しい。襟元の開いたシンプルなTシャツにハーフパンツから伸びるおみ足も、日頃性格に難のある屑連中に囲まれている僕にとってはオアシスなのだ。

「他のとまとめて洗濯から乾燥までお願いね?」

「……承知しました」


 にっこり笑った笑顔が魅力的なのがずるいがまあ、バイト作業の一部に収まるような気もするから実質無料かもしれない。一つため息をついてから、受け取ったタオルで髪を拭っていると、夏月さんが首を傾げた。


「それにしても、凪くん、傘さしてたんじゃないの?」

「さしてましたが、横殴りの風が強くて」

「ふーん」

 何やら腑に落ちない感じで首を傾げているのを見て、僕も一緒に首を傾げる。そんなに惨状を呈しているだろうか。と、その時カランと店の入り口のベルが鳴った。入ってきた人物を見て、思わずあんぐりと口を開けてしまう。

「あ、ほら。普通濡れるって言ってもあの程度じゃない? なんでそんなに滝に打たれたみたいに濡れ鼠になっちゃうかなあって……」

「凪さん?」

 確かに入ってきた人物は、ずぶ濡れからは程遠かった。ちょっと肩先が濡れるくらいだ。だが問題はそこじゃなくて。

「ユキさん? なんでここに——」

 言いかけた時、また入り口のベルがカランと鳴った。とても嫌な予感がする。そして往々にしてこういう時の磨き上げられた僕の不運センサーは外れないのだ。

「うらぁユキ! なんでお前はそうやって人の話を聞かずに飛び出すんじゃ! おかげでこっちは命からがら——!」

 夏だというのに黒のロンTに黒ジーンズ、おまけに黒の指無し手袋まで嵌めたユキは、飛び込んできた男の首根っこをぐいと掴むと床に沈めた。上司じゃなかったんだろうか。なお床に沈んだ男——白河しらかわの本日のジャケットは目に鮮やかなスカイブルーにオレンジのシャツ、グリーンと白のストライプのネクタイという色彩だけなら夏色のビビッドカラーだ。服の形状との組み合わせが致命的なだけで、意外と前衛的なカラーセンスだけはあるのかもしれない。


「だけって何だコラこのガキ!」


 おっとうっかり心の声が漏れ出てていたらしい。すかさずカウンターの奥に引っ込んだが、ユキがそのまま右腕を捻り上げて膝でがっつりホールドしている。大丈夫なんだろうか。

「大丈夫ですよ、この人、頑丈なのが取り柄なので」

「誰がだ! とにかくどかんかい!」

「あーもうお店で叫ぶのやめてくれる? 出禁にするわよ」

 笑顔はいつも通りなのに、いつになく低く地の底から響いてくる声に思わず僕はカウンターからも距離を取る。

「そんな殺生な。あんたのクラブハウスサンドが楽しみで生きてるんだぞ、俺は」

「そういうのは彼女に言いなさいよ。だいたいあんたたちみたいな極道者がどうして凪くんと知り合いなの?」

「そりゃあこいつが詐欺師の骨董商のところに下宿してる一味からだな」

「え、ちょっとそれ言い過ぎ」


 僕の下宿先——というか元々は迅の——は、骨董商の二階だが、店主のすず鹿は確かに紛い物も扱っているが、基本的にはまっとうに商売をしているようだ。ただ、カモってもいい相手だけは遠慮なくカモっているようなので、まあ善良な一般市民とは言えないだろうけれど。


「夏月さん、この人たち知り合いなんですか?」

「知り合いっていうか、なんかうちの店を気に入って居付いちゃったのよね。この人たちが来ると他の客が寄り付かなくなっちゃうから、全メニュー料金倍増しにしてるけど」

「何ィ⁉︎」

「白河さん、気づいてなかったんですか」

「ユキ、お前気づいてたんなら言わんかい!」

「いや、ここしばらくは別にそんなに金に困ってなさそうだし、夏月さんも収入が増えたら幸せだしWIN-WINかなって」

 ユキは平然とそんなことを言っているけれど、夏月さんは秀麗なその顔にも特段反応する様子はない。やっぱりの顔を見慣れているせいだろうか。


 ともあれ、どうやら客らしいのでずぶ濡れのままオーダーを取りにいこうとしたら夏月さんに止められた。先に着替えてこいということらしい。こんなこともあろうかと、バックヤードには僕の着替えが常備されているのだ。そんなことが日常茶飯事あたりまえになってしまっていることについては深くは考えまい。


 着替えてホールに戻ると、白河とユキがカウンターに座っていて、白河の前にはクラブハウスサンドとコーヒー、ユキの前にはなぜかメロンソーダが置かれている。

「ユキさん、甘いもの好きでしたっけ?」

「いや、そんなに。でもこういうの頼むとギャップで喜んでくれる女の子も多いので」

 他の客もいないのに染みついた屑男ムーブは徹底しているらしい。あのメロンソーダがいくらになるのかは考えたくもなかったけれど、とりあえずは深くは追求しないが吉だ。

 食洗機から乾いた皿を取り出して食器棚に戻そうとしていると、後ろから声をかけられた。

「そういえば小僧、最近あの死神は元気にしとるのか?」

「え、迅ですか? さあ、ここ数日見てないけど、あいつのことだからいつも通りじゃないですかね」

「そうか……」

「何かあったんですか?」

「いや、何かここのところ、が神隠しみたいに消えちまう事件が立て続けに起こっててな。警察も騒ぎ出してるし、俺たちも痛くもない腹を探られるのは面倒なんだが、何しろ本当に痕跡がない。あいつがそういうことをしでかすタイプじゃないことは俺らもよく知ってるんだが、それにしても尋常じゃない感じがしてな」


 何やら難しい顔に、夏月さんと顔を見合わせる。彼女と知り合うきっかけになった耀ヨウと一緒に巻き込まれた事件は数週間前のことだ。あの件は、耀とその上司がなんとか揉み消したはずだった。


「それっていつ? 結構前の話じゃなくて?」

「今朝で五人目だ」

「今朝……」

 夏月さんも眉根を寄せる。この辺りはすごく治安がいい、というわけでもないけれど、失踪事件や殺人が頻発するような危険地帯でもない。五人の失踪はさすがに多すぎるように思えた。

「ただ単に借金とか女がらみで行方をくらましただけじゃないんですか?」

 ちらりとユキに視線を送ってみたけれど、心当たりが山ほどありそうな当の本人は動じた様子もなくメロンソーダのバニラアイスを口に運んでいる。

「そういうのなら、俺のところに情報が流れてくるんで」

「蛇の道は蛇って言うからな。まあ、そういうことだから、あいつが帰ってきたら連絡してくれ」

「はい?」

 突然名刺を差し出されて困惑した僕に、ユキがさらに何かを書いた紙を差し出す。

「こっちは俺の。いつでも困ったことがあれば連絡してくれていいですよ」

「え? え?」

 戸惑っている僕をよそに、二人は会計を——僕の知っている価格表からはおよそ三倍の料金で——済ませて出ていってしまった。

「夏月さん、本当に容赦ないですね?」

「情報料込みだからね。凪くんのおかげで弾んでくれたみたいだし。ありがと」


 語尾にハートマークでもつきそうな甘い顔で言われて反射的にへらりと顔が緩んでしまった僕が、すぐに厄介ごとに巻き込まれるのは、ご想像の通りである。

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