Episode 1. 相変わらずな僕(ら)
1. 派手な人(顔が良くて胡散くさい)
今日も今日とて
それくらいならまだいい。どうして大学からの帰り道に、僕はこんな事態に遭遇してしまうんだろうか。暴漢に襲われるとか、トラックに撥ねられそうになるなんてのはもう慣れたものだったけれど、比喩じゃなく深い穴に嵌るのは初めてだった。
いきなり道路が陥没するとか、信じられる? 僕は信じられない。しかし現実は厳しい。
そういえば最近、高速の地下化が進んでいて地下水の影響か何かで陥没事件があったとは聞いたけれど、ここからは遠く離れているはずだ。それにこんなに派手に陥没しているのに誰も通りがからないとか、もはや異界かここは。
現実逃避をしていても仕方がないので、何か登るための足がかりがないかと探る。散乱するアスファルトの破片と、周囲の土砂状況を思うと、むしろ生き埋めにならなかっただけ
ため息をついた時、上からやたらと陽気な声が降ってきた。
「生きてる?」
大体そういうふざけた声をかけてくるのはあいつだったから、ちょっとホッとしたのも束の間、ふっと隣に現れたのは暗い穴の中に差し込む光でさえ何だか目に眩しい赤い髪だった。
「あ、思ったより無事そう。それのおかげかな?」
黒いジャケットに、白いシャツの組み合わせはあいつと変わらないのに、何だか物凄くヒラヒラしている襟と袖と、物凄く長いバサバサしたまつ毛のせいで印象が全然違う。でも、きっとお仲間なんだろうな、というのは何となくわかってしまった。
「ご職業は?」
「産婦人科医兼死神だけど?」
「……全然相反するご職業に思えますけど?」
「ゆりかごから墓場まで、見守りサービス付き」
後ろにハートマークまでつきそうな喋り口調はあいつにそっくりで、思わず首を傾げた僕に、そいつはしたり顔で頷いた。
「うん、俺あいつの上司だから。かれこれ百年くらい?」
「万年平社員みたいなもんすか?」
「うーん、そうだね。あいつ出世に興味ないみたいだから。まあ君のおかげで最近成績はいいけどね」
「あのですね。一応ここ崩落事故現場っぽいので、世間話は後の方がいい気がするんですよね」
「お、確かに。思ったより状況判断が的確だね」
「馬鹿にしてます?」
「してないよ。あいつの
すごいすごい、と言いながら黒い手袋をした両手で音の鳴らない拍手をしている。あ、なるほどこいつ間違いなくあいつの古馴染だなと理解して、とりあえず目の前の崖に向き直る。こいつに助けを求めても無理な
「いやいや、ちょっと諦めが早すぎない? これだから最近の若者は。そういえばうちの娘もめっきり反抗期で全然構ってくれなくなっちゃって」
「え、娘さんいるんすか?」
死神にも子供とかできるのか。いやまあそういうのができるんだから、まあできるのか。
「うん、君なら知ってるでしょ、もう」
ニコニコしながら意味ありげな視線を向けてくるその顔は、嫌味だけれど確かに非の打ちどころのない美貌というやつだ。天はどうしてこうも無駄なことをするのか。まあ性格に問題があるから外見だけでも好意的に捉えられるようにしているのか。うん、なるほど納得。
「さすがあいつの
さりげなく言われた言葉が、何だかすごく心に引っかかった。それはまるで——。
「何やってんの、ナギ」
上から降ってきた声は、いつも通りの小馬鹿にした感じの声だった。見上げると、随分小さくもう見慣れた死神の嫌味な顔が見えた。どこかでホッとする自分に呆れる。
気がつくと、僕は迅に抱きすくめられていて、認識するより先に地上に跳んでいた。
「怪我は?」
手袋を外して僕の頬を包み込みながらそう尋ねてくる。覗き込んでくるレンズ越しの瞳が、いつもより少しだけ温度が高い気がした。大丈夫だ、とそう答えようとした時、やけに嫌味っぽい明るい声が割って入る。
「ふぅん、随分大切にしちゃってる? お前にしては珍しいね。運命の相手、みたいな?」
迅は振り向きもせずに、僕を抱え込むと、そのまま跳ぼうとする。
「迅、本当に大切なものは、今度こそ間違えずに守れるといいね」
どこか憐れむようなその響きに、迅の表情が珍しく揺らいだ。
「
「まあ、まだお互いに全然何もわかってないみたいだから、これからかな」
じゃあね、と派手な赤髪の男はひらひらと手を振って、非常識にその場からかき消えた。迅以外でそんなことができる相手を初めて見て、何だか背筋が冷えた。反射的に、迅の胸元を掴んだ僕に、少し戸惑ったような気配がして、それでもそれから珍しく柔らかく抱きすくめられた。何か、大切なものを守るみたいに。
「……何してんの?」
見上げた僕に、死神はやっぱりどこかいつもと違う顔をして、さあ、何だろうね、と呟いた。何となくその顔が迷子みたいに見えて、手を伸ばしかけて、でもその前に迅はいつも通りの嫌味な笑みを浮かべて跳んでしまった。
だから、結局それが何だったのか、僕が知るのはもっと後のことだった。
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