7. 嘘も方便(ほんとうに?)
膝から崩れ落ちる直前に、力強い腕に抱き止められる。いつもはさらりと流れる黒髪が見えなくて、代わりに見えた淡い色の金髪と、あいつと同じ色の瞳に余計に混乱する。
「なん……で……いないんだよ」
半ば無意識に洩れた呟きに、ぐい、とさらに肩を強く掴まれる。
「
何を言われているのかわからなくて、それでもやけに必死な色を浮かべた金色の双眸を、途切れそうになる意識を必死に繋ぎ止めて見つめ返す。
「
飄々とした屑っぽい表情はどこへやら、僕の体を抱きしめて間近に目を合わせて言う耀の顔は真剣そのものだ。言っていることの半分も理解できなかったけれど、この目の前の男が、何とか僕を救おうとしてくれていることだけは伝わってきた。
耀はどこからともなく小瓶を取り出す。それは、何度も見たことのあるものだった。人の命——余命を閉じ込めた不可思議な
何をされているのか、いつもより回らない思考のせいで理解が余計に遅れた。舌で歯列をこじ開けられて、流しこまれた液体はひどく苦い。後頭部を押さえられて逃れられず、無理やり飲み込んだそれは喉を焼き、胃に落ちる間にひどく不快な感覚を呼び起こす。どくどくと首から流れ出るそれを束の間忘れてしまうほどに。
「この状況で飲み込めるなら、相性は悪くない」
やけに甘い顔で笑って、それから耀は何か聞き取れない言葉の連なりを呟く。同時に傷口が熱くなって、さらに体から力が抜ける。何か、僕を構成する大切なものが抜け出していくような。無理やり引き出されるそれは、先ほど流し込まれたそれと同じくらい不快で、動かない体でそれでも何とかもがいたけれど、耀は腕を緩めない。
「もう少しだけ辛抱しろ。悪いようにはしない」
間近にある金の瞳は今は不可思議な熱を浮かべている。それでも腹の奥にたまった不快感と痛みのせいで、それが何かにまで理解が及ばない。
「お熱いことだな。だが、隙だらだけだ」
皮肉げな声に目を向ければ、声通り嫌味に笑っている若い死神と、セツと呼ばれていた女の子が怯えた顔でこちらを見下ろしていた。死神は耀の真後ろで三日月型の鎌を振りかぶっている。
「もうやめて……! この人たちは関係ないでしょ!」
か細い声に、死神がちらりと視線を向ける。けれど、その表情は揺らがなかった。
「こいつらを逃せばまた追ってくる。いまここで糧にする方がいい」
「俺を始末しても、また別の誰かがやってくるだけだ。今のうちに
「それで何が解決する? セツにはもっと余命が必要なんだ。大体あんな奴ら、殺したところで誰も困らない。むしろ有効活用だろ?」
不遜な表情に、耀があからさまに顔を顰める。その動揺を、若い死神は見逃さなかった。
「少しでも俺を——俺たちを憐れむ気持ちがあるのなら、大人しく逝ってくれ」
言葉だけは殊勝なのに、その表情は勝ち誇った皮肉げなそれだったから、救いたいという願いと、殺人の快楽がそいつの中で矛盾なく溶け合ってしまっているのが容易に見てとれた。耀が避ければ、真っ直ぐにそれが僕の上に振り下ろされるであろうことも。
逃げろ、と口を開けかけて、けれど言葉を失う。ご機嫌だった表情が凍りついて、驚いたように大きく目を見開いたまま、ごとりとその首が落ちた。すぐ近くから悲痛な、絶叫にも似た悲鳴が上がる。
「まったく、手間をかけさせてくれるよねえ。こっちは忙しいっていうのに。ああ、悲鳴はほどほどにね。珍しく今日は気が立ってるから、手が滑って君の首も落としてしまうかもしれない」
聞き慣れた声の、聞き慣れない冷ややかな響きに一気に意識が覚醒する。目が合った瞬間、いつものシルバーフレームの眼鏡をかけていない金の双眸が、燃え上がったように見えた。ふっとその姿が揺らぎ、気がつけば僕はそいつの腕の中にいた。見慣れた黒いスーツに、嗅ぎ慣れない鼻につく——この匂いは何だろうか。花火の後のような——。
「ああごめんね。シャワーを浴びてる暇はなかったから。君は、関わり合いになる必要ないものだよ。それにしても、だから外には出るなと言っておいたのに」
悪い子だね、とまるで悪魔のように笑った顔に、それでもひどく安堵してしまった自分に気づいてうんざりする。そんな僕の内心さえも多分見透かして、迅は嫌味な表情のまま、僕の首に顔を寄せる。ほんの少しだけその眉が痛ましそうに顰められたのは気のせいだろうか。
「これで塞いだつもり? 下手くそにも程があるでしょ」
「うるさい、緊急事態だ。そもそも契約者がこれだけの危機に陥っているのに駆けつけてこない方がどうかしている。お前の共謀者なんだろう? 貴重な相手だ。もっと大事にしたらどうだ」
耀の言葉に、ふっと周囲の温度が下がったように感じられた。それでも何かを言う前に、迅は僕の首筋に唇を寄せる。いつも通り、何かの音の連なりと共に、身体中を巡っていた不快感と痛みがあっさりと消えて、急に呼吸が楽になった。
「……どこ、いってたんだよ。大変だったんだぞ」
「ごめんね、ちょっと野暮用で。君がそんなに寂しがるとは思ってなかったから」
揶揄うような口調に、それでも混じる複雑な響きのせいで、心臓の奥がざわりと騒ぐ。この男の不在中に知った、いくつかの新事実と、それから余命の大量投与だとかなんとか。あっさりと絆されそうになる自分に呆れながらも、ひとまずは今回の事件の方だと頭を一つ振って一人で立とうとしたけれど、迅は僕を抱いた腕を離そうとしない。
「ずいぶん血が流れてるからね。急に一人で立とうとすると倒れるよ。それでなくてもおかしなものを飲まされてるし」
「お前だって、凪に飲ませてるんだろう」
割り込んできた声に、金の双眸に不穏な光が浮かぶ。ゆっくりと声の主を振り返った顔は静かだが、ちょっとお近づきになりたくない猛獣の気配が漂っている。
「だいぶ余計な話をしてくれたみたいだね?」
「契約者なら基本的に伝えるべきことだ」
「それはそっちのやり方でしょ。こっちにはこっちのやり方がある。野蛮なやり方を押しつけないで欲しいね」
「黙って余命を盛ったり、契約内容をひた隠しにするのがお前らの言う『文化的な』やり方か?」
「少なくとも俺は、他人の契約者の力を勝手に引き出したり、理由も説明せずに毒を盛るような真似はしないよ」
「毒……?」
迅は僕を日に焼けたソファの上に下ろすと、手袋をとって頬に触れてくる。じっと僕の瞳を覗き込んでから、手を滑らせて首筋にできたばかりの傷痕に触れる。
「また傷が増えたね」
「傷がつくと困る? 便利な
ちょっと拗ねたみたいな響きが混じってしまった気はしたけれど、もう朝から厄介事まみれだった上に大怪我までさせられて、色々限界だったから仕方がないと思うことにした。迅は少し驚いたように目を見開いて、それから不穏な光をその目に浮かべてにっこりと笑った。やっぱり言わなきゃよかったかもしれない。
どんな皮肉が飛び出すのかと身構えていたけれど、迅はただポケットから青い
「迅、これ……」
「もう少し信用してもらいたいね。俺は君には嘘は
そう言って、僕の両目をやたらと綺麗なその大きな手で塞ぐ。そうして急激な睡魔に襲われて、ふざけんな、と毒づく間もなく、僕の意識は柔らかい闇に溶けていってしまった。
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