8. 終わりよければ(すべてよし⁉︎)
「また怪我させたのか」
「失敬だな。俺が怪我させたことなんて——一度しかないよ」
「あるんじゃないか。可哀想に」
聞き慣れた声の、わりと本気で憐れまれている声音になんだか落ち着かない気持ちになる。僕ってそんなに可哀想だったっけ。確かに致命傷だけでももう片手で足りない気がするから、それはそうかもしれない。
「おや、お目覚めかい」
覗き込んでくる気配にうんざりしながら目を開けると、いつも通りのどこか皮肉げな笑みを浮かべた端正な顔が見えた。今は眼鏡をかけているから、胡散臭さも二割増しだ。
「何、眼鏡がない方がいい?」
平然と外して晒された瞳は金。少し前まで見ていたもう一人と同じ色だ。そこまで考えてようやく現状を思い出す。
「あいつは? それにあの子は……」
「ずいぶん指示語が多いね。ここじゃなんだから、二階に上がろうか」
「なんだ、俺には聞かせられないような話か? いちゃつくなら外に出ててやるが」
「なんの話⁉︎」
鈴鹿の言葉に、起き上がって思わず叫んだけれど、途端にくらりと目眩がしてソファからずり落ちる。床に衝突する直前で、腰を掬い上げられるように抱き止められて、ほんの少し息が止まる。今日は他にもこんなことがあったなと思い出した。
「厄日か……」
「君の場合、ほぼ毎日じゃない?」
嫌味な顔に、それでもどこかホッとする自分にうんざりする。手を振り払おうとして、けれど逆に軽々と抱き上げられた。俗に言うお姫様抱っこというやつだ。
「ちょ……!」
「軽いねえ。ちゃんと食べてる? まさか食費ピンハネされてたとか?」
「え、食費って何」
鈴鹿の方を見やると、涼しい顔で、ああ客が来たな、などと呟いてそそくさと店表へ出ていってしまう。
「後でお仕置きが必要かな」
低い声はわりと冗談でもない感じがして、慌てて簡単なものくらいは食べさせてもらっていたことを伝えておく。予算がいくらだったのかは知らないけれど。
「大体、あいつがそういうやつだって知ってて食費を預ける方が迂闊だと思わないか?」
「そのあたりは一応信用してたんだけどねえ。まあ食べさせてもらってたなら見逃しておこうか」
言いながら階段を上がって、ベッドの上に下ろされた。迅もそのまま僕の頭の横あたりに座り込む。さっき感じた焦げたような匂いはもうしなかった。
「何か聞きたいことでも?」
「あんたの方こそ。あいつと何を話したんだ?」
聞かれたくないから僕を眠らせたんだろうし、だからまともな答えが返ってくるとは期待していなかったけれど。
「大したことじゃないよ。君に何をして、何を話したか、ちょっと聞かせてもらっただけ」
「……ちょっと?」
「まあ、一通り、全部?」
ニッと笑った顔は不穏で、だからどういう風に「聞かせてもらった」のかは容易に推測できてしまった。
「僕は全然知らなかった。死神の事情とか——共謀者のこととか」
「別に知りたくもないかと思ってたから。でも、ようやく俺のことが知りたくなった?」
茶化すような言い方は、きっとわざとだ。今ならわかる。そう言えば、僕がそれ以上追及しないとわかっていて。
「あんたは僕らの関係を
まっすぐに見上げた僕に、迅はほんの少しだけその瞳を揺らした。だから、僕もそのまま言葉を続ける。
「あいつは、僕に『大量の余命の投与の痕跡がある』って言ってた。あの青い飴、それがそうなんだな? そして、あんたがこのところ留守にしていたのも、それと関係がある」
「そうだよ」
思いのほかあっさりとした答えに、それ以上、どう尋ねていいのかわからなくなってしまう。ただ見上げる僕に、迅は手袋を外して頬に触れてくる。白くて無機質にさえ見えるのに、初めて会った時からその大きな手は意外と温かい。
「でも、それは君が思っているような理由じゃない。俺には俺の理由があって、それがどうしても必要だから、そうしてる」
そう言った視線はどこか遠くへ向けられている。まるでここにはいない誰かに言い聞かせるように。
「もう二度と、ためらわないと誓ったからね。たとえそれがいつか君を傷つけることになるとしても」
普段は嫌味な顔ばかりしているのに、今は全然違う印象を受けるのは、たぶん朝から酷い目ばかりに遭って、疲れているせいだ。
その横顔が、ひどく孤独で——寂しげに見えたなんて。
結局そのあたりのことはなんとなく聞けずじまいになってしまった。わかったのは、あの若い死神には余罪が随分あったらしいこと、そして、あの女の子があの後すぐに息を引き取ったらしいこと、だけだった。
「人の命なんて儚いものだからねえ」
「お前が言うと洒落にならんな」
「っていうかあんただって一緒だろ」
思わずツッコミを入れた相手はなんだかもう馴染んでしまった金髪の死神だ。
翌朝、そういえば支払いがまだだったと夏月さんのカフェを訪れた僕らを出迎えたのは、耀だけだった。どうやら定休日だったらしく、夏月さんは不在とのことで、おまけに耀は初めて会った時と同じように大きなバックパックを背負っていた。
「帰るの?」
「ああ、仕事は終わったからな」
「跳んで?」
「……あいにく、そんな芸当ができるのは共謀者を持つ一握りの死神だけだ」
「じゃ、飛行機とか乗るんだ。いいなあ」
「乗ったことないのか?」
「うん」
一応高校の修学旅行が飛行機で旅する地だったのだが、どういうわけか数日前から寝込んでしまい、結局行けなかったのだ。そもそもあまり遠出をする家族でもなかったから、空港に行ったことさえない。
「行ってみる?」
「え?」
不意に降ってきた声に目を向けると、迅がほんの少し悪戯っぽく笑う。
「まあ、暇だし」
そう言った瞬間、風景が変わった。真っ青な空の下、フェンスの向こう側には大きな飛行機がいくつも並んでいる。
「わぁ……すげー! いっぱい!」
「子供か」
口元を押さえながら呆れたように言った耀の顔色は、少し青ざめている。首を傾げた僕に、迅がニヤニヤ笑いながら肩を竦める。
「こういう
「へえ、そうなんだ」
まあ、僕が味わった苦しみに比べたら大したことなさそうだから、同情する気にはなれなかった。それにしても、死神のアレコレはまだ僕が知らないことがたくさんあるらしい。やれやれ、とため息をついていると、まだ青い顔のままの耀がゆっくりと口を開く。
「
「考え直すって何? 契約を破棄してあんたと再契約しろとでも?」
半ば冗談のつもりだったのに、耀は金の眼差しにいやに真摯な光を浮かべて静かに頷く。
「一つの選択肢だ」
「……死んでも構わないって言ってたくせに、急に手のひら返しで気味が悪いんだけど」
本当はこいつがそれほど悪いやつじゃないっていうのはもうわかってきていたけれど。耀は表情を変えずに続ける。
「貴重な人材が浪費されるのがもったいないと思っただけだ。それに死んでも構わないとまでは言っていない」
「人材じゃなくて、便利な道具の間違いじゃないのか?」
「まあ、
言いながら不意に近づいてきた顔がやけに甘い。そういえば、あの小瓶の中身を飲まされた時もこんな顔をしていたような気がする。
「俺と契約すれば、お前をほっぽらかしているこんな男より、よほど大事にしてやるぞ」
「それで、あんたが力を得られるから?」
「まあな。でもそれだけじゃない。顔も好みだ」
「え?」
何を言っているのか理解できなくて、思考が停止した。そのままフリーズしているうちに、腰に腕を回されて引き寄せられる。迅とは系統の違う端正な顔は眺める分には悪くないけど——ゼロ距離になっているのは絶対おかしいだろ。
我に返って全力でもがいたけれど、腕力で敵うはずもない。後頭部までがっちりホールドされて、そのままたっぷり数十秒は拘束された。
ようやく解放されて、酸欠でぜいぜいと肩で息をしている僕を見下ろしながら、金髪の死神は、海外ドラマの俳優みたいにウィンクして、僕の手のひらに何かの紙を握り込ませた。
「気が変わったら、いつでも連絡してくれ」
「するか!」
叫んだ僕などお構いなしに、hahaと陽気な笑い声を上げながら、ひらひらと手を振ってガラスドアの向こうに消えていく。
「欧米か⁉︎」
「……まあそうだろうけど」
呆れたような声に、そういえばさっきから隣に立っていたはずの男を見上げると、予想とは斜め上の、なんだかものすごくげんなりした顔をしていた。
「……迅?」
「ナギ、君、ああいうのがいいの?」
「はぁ⁉︎」
「趣味が悪すぎない? せめてもうちょっと可愛いのが好きなのかと思ってたけど」
「その金眼は節穴か! どう見ても嫌がってただろ‼︎」
「真っ赤になってるから、意外とまんざらでもないのかと」
「酸欠だわ! だいたい、のんびり見てないで助けろよ!」
「そうなの? じゃあやっぱり、首を落としておいた方がよかったかなあ」
スルーか不穏かの二択しかないのかよ、ともう突っ込むのも面倒になって、僕はまだ首を傾げている死神の腕を引く。
「何?」
「せっかく来たんだから、何か見て回りたい。お土産とか、レストランとかもいろいろあるらしいし」
「……珍しいね、おねだりかい?」
「犯人逮捕に協力もしたし、
「まあ、
「え、マジで?」
思わず目を輝かせて頷いた僕に、迅が珍しく屈託なく笑う。
そうして、そのまま空席のあった航空券を取って出かけた先で、散々な目に遭うことになるのだけれど、それはまた別の話だった。
第二部「Summer Vacation」完
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