2. 一寸先は闇(相も変わらず)
血溜まりに触れないように、シャッターにもたれたまま少し横にずれてから、へたり込みそうになる足を何とか叱咤して体を支える。締め上げられた喉はまだ酸素を欲していて、ついでに鎌を持ったそいつがいつもの慣れた相手じゃなかったことに、今さらのように体が震えてきた。
そんな僕の態度に気づいたのか、男はスッと鎌を消して、ゆっくりと近づいてくる。
「そんなに怖がるなよ。助けてやっただけだろ?」
両肩を竦めて楽しげにそう笑った顔は、壁にもたれた僕の目線よりかなり上にある。どことなく国籍不明な迅とは違って、色白で欧米っぽい彫りの深い端正な顔立ちに、ちょっとオーバーリアクション気味な仕草。よく見るとおかしな文字の書かれたTシャツを着ていることも相まって、おのぼり感のある外国人旅行客として、この街にも違和感なく溶け込んでいたかもしれない。
薄い色のサングラスを外した目が、見慣れたあいつのそれによく似た金色でさえなければ。
「……死神?」
「ああ、やっぱり、ご同輩——じゃないけど関係者、だな?
ニッと笑う顔が爽やかなのに、何だか嫌味なところもそっくりだ。死神共通の特性なんだろうか。だいたいフォロワーって何だ。某SNSなら僕はやってないから知らない。鈴鹿のアカウントを見せてもらったことはあるけどカオス過ぎて参加する気にもなれなかったし。
「ああ、もしかして何も聞いてないのか? たまにいるんだよな、そういう雑な奴。だいたい問題行動を起こして消えちまうけど」
「雑……あんたに言われたくない気はするけど」
僕の知る死神は確かに問題行動ばかりだが、目の前でいきなり首を落としたやつに言われると何だかもやっとする。別に庇うわけじゃないけれど。眉根を寄せた僕に、男がふうん、と顎を撫でながら意味深に笑う。
「共謀者ってのは相性があってな。なかなか契約相手が見つからないんだが、やっぱり
カラッとしているわりに、何だかこう不穏な方向に話が持っていかれている気がした。だいたい今しがた人の首を
じっとこちらを見つめる金の瞳は面白そうに笑っていても、ぞっと背筋が底冷えするような感覚が走る。色こそ同じだけれど、その眼差しは迅が僕には決して向けたことがないような冷ややかなものだった。僕はようやく、今さらのように目の前にいるのが、人とは決して相容れない生き物だということに気づいた。
「だから、そんなに怖がらなくていいって——今はまだ、な」
もう一歩詰めてきた、その背の高い姿から逃れようと足を動かしたけれど、後ろはシャッターが続いているだけだ。ガシャン、という不自然な音にもあたりから覗き込んでくる人影もない。少し先には血溜まりと、首を落とされた死体。どれほどその状況が異常か、誰よりも僕自身が知っているはずだったけれど、どこか麻痺した思考は現実をうまく受け入れられない。
「まだ慣れてないのか。というか、随分甘やかされてるのか」
「何、が……」
「まあ、ちょっと話を聞きたいから、場所を移動しようか」
有無を言わさず腕を掴まれる。右手には黒いリストバンドのようなものが巻かれていて、なぜかやけに目を惹いた。
「ああ、これ? 死神を視認できるその眼なら、これの意味もわかるか?」
「何言ってるのか全然わからない」
断片で語るのは、迅もよく似ている。出会ってからもう数ヶ月が経っていたけれど、僕はあいつのことをほとんど知らない。知っているのはあいつが殺した人間たちの来歴と、身長と足のサイズくらいだ。酒と女の子の好みも聞いたけど、そっちは実際にどうこうしているのを見たことがないから本当かどうかは謎のままだ。
男はふうん、と僕の腕を掴んだまま、興味深そうにこちらを見下ろしてくる。
「共謀者っていうのはもっと絆が深いものだと思っていたが、そうでもないのか。君自身もよくわかってないみたいだし、利用されてるだけ、とか?」
その言葉に、冷たい氷を胸に差し込まれたみたいな気がした。
「ああ、図星か? まあいいんじゃないか。死神なんて、余程のことがなければ関わるべきじゃない」
「あんたがそれ言う? 絡んできてるくせに」
「俺は『善良な』死神だから」
ダブルピースみたいな仕草で指先を折り曲げて言うそれは多分強調表現だ。嫌味な感じは拭えなかったけど。欧米か、と突っ込むのは無意味すぎる気がしたのでやめておいた。
「まあ本当に、ちょっと
ぐっと腕を握り込む力が強くなったかと思うと、ぐらりと目眩がした。思わず目を閉じると、地球が回るみたいな感覚がして、次に開けた時には辺りの風景が一変していた。どこかのビルの屋上らしいそこは、見覚えがある気がした。
それは迅といる時には何度も体験していた異常事態で、もう慣れていたつもりだった。なのに、腕を離された瞬間に膝をついて、せり上がってくる不快感に耐えきれず、僕はその場で少し吐いた。朝ごはんは大して食べていなかったから、ほとんど胃液だけだったけど。
吐いてスッキリするかと思いきや、ぐるぐるとした目眩がよりひどくなって、その場に手をつく。
「なん……だ、これ……」
「ああ、悪い。説明してなかったか。空間を跳ぶ、なんてのは普通できない芸当だからな。ちょっとだけ君から借りた」
「借り……た?」
涙目で見上げる僕に、男は平然と笑う。
「
「あんた、わかってて……!」
「まあ、俺の相棒ってわけじゃないからな。いざとなれば替えが効く」
——あいつの関係者に、屑じゃない奴がいた試しがない。
そもそもどういう関わり合いがあるのか、と尋ねる前にぐっと息が詰まって、もう一度吐く。その場に倒れる寸前、きらきらと綺麗な淡い色の金髪が間近に目に入った。
「ああ、まだ名乗ってなかったっけ? 俺は
それは、
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