5. 初仕事、進捗どうですか #2(ようやく契約条件提示)

 進捗あるように見えるかよ、と毒づいてやろうと思ったけれど、少し口を動かそうとしただけで激痛が走って目眩がした。その男が支えていなければ、もう倒れていたと思う。ぐいと、後ろから抱きすくめるように僕の体を支えながら、ジンと呼ばれていた男は、すい、と何もない空間に腕を振る。


 すると、あの時見たのと同じ、三日月型の大きな鎌が現れた。流石にそれを見て、黒髪般若美人がぎょっとした顔になる。

「な、何それ……!」

「それはこっちの台詞だよ、お嬢さん。せっかく綺麗な顔にそんなに魅力的な体をしてるのに、もったいないなあ」

 ニイッと口の端を歪めるその笑みは、端正さを保っているけれど、ひどく邪悪な感じがした。

これ・・は俺のだから、勝手に傷とかつけられると困るんだよねえ」

 言いながら、また般若の形相と化した黒髪美人に鎌の柄の先を向ける。昨夜、あの男にしたのと同じように、その鎖骨のあたりをとん、と突くと、少しだけたたらを踏むようによろけて、それからきっとこちらを睨みつける。

「な、何するのよ!」


 その瞬間、また膨大なテキスト情報が流れ込んでくる。


山城やましろ 佳菜かな、二十八歳。東京都某区出身。大学卒業後、大手システムインテグレータ企業の事務職として就職』


 ざっと流れてくる最初の方のテキストを見る限り、この黒髪美人——山城は、おおよそ無難に就職し、無難に業務をこなしているように見えた。だが、不意に赤の太字が現れる。


『交際中の既婚男性から別れを切り出されたことにカッとなり、ワインのボトルで殴打。当該男性は、それ自体は致命傷とはならなかったものの、よろけて後頭部をテーブルの角に殴打し、死亡。しかし、相手の希望により、交際を秘密にしていたため、捜査の交友関係に浮上せず、被疑者不明のまま迷宮入り』


 いきなりヘビーなのが来た。だが、赤字はそれだけに留まらない。


『翌年、新たに交際中の男性が浮気をしていることに気づき、ネットで毒物を購入。微量ずつ与えて死に至らしめた。こちらも迷宮入りのまま』


 その後も続々と、彼女の交際相手への凶行がリストアップされた。被害者総勢五名。


連続殺人犯シリアルキラーじゃん……」

 頬の痛みも忘れてそう呟くと、死神が嬉しそうに笑う。

「いいねえ、ナギ。さすがだよ」

 目線を上げると、やっぱり不吉に笑って、なぜか僕を後ろから抱く腕に力を込める。

「契約二日で、生きのいい獲物が二匹。向こう二ヶ月分の目標寿命ノルマをもう達成だ」

「な、何なのよ、あんたたち……!」

 我に返ったかのように、山城が叫ぶ。死神は僕を抱いていた腕を離すと、奇妙に優しくソファの上に下ろして、それから彼女に向き直る。

「さてお嬢さん、楽しい人生もおしまいだ。ユキに伝言があれば伝えるよ?」

「おしまいって何よ……⁈」

 目の前に迫る鎌の鋭さを目にして、それでも信じられないという顔で死神を睨みつける。大した度胸だ、僕なら何としても逃げ出している。

「せっかく綺麗な顔だから、すっぱりいくのがいいかな、やっぱり」

「おい、ジン、部屋ここは汚すなよ」


 不意に割って入った声は、鈴鹿のものだった。すっかり存在を忘れていたが、ジンの方にそれまでとは少し異なる険しい眼差しを向けている。たぶん、死神こいつが何をしようとしているか知っていて、止めようとはしないけれど、それでもその行為を不快に感じている、そんな感じだ。


「ええ? 汚さない地味なやり方でもいいけど、そっちの方がくる・・っていう人も多いんだけどなあ」


 まあいいか、と肩をすくめるとその手にあった鎌が不意に消えた。そのままゆっくりと彼女の方にもう一歩、踏み出す。誰もがその意味を理解しかねて動けない中、死神はその長い髪を揺らして、ひどく優しく笑った。前に僕に手を差し伸べてきた時のように、慈悲をかける神父みたいに。


「カナ、次はもう少し、まっとうに幸せになれるといいね」


 それから、その白く長い指が彼女の喉元に触れる。両手で包み込んで、まるでキスでもするみたいに顔を近づけて、耳元に何かを囁いた。山城の目が驚きに見開かれて、それから何かに絶望したみたいに昏い目になった。死神は微笑んだまま、その長い指でぐっと細い首を握り込む。やがて、僕はごきりと確かに何かが砕ける音を聞いた。

 ぐにゃりと歪んだ細い首にその手を食い込ませたまま、ちらりと死神がこちらに視線を向けて、片眉を上げて笑う。多分、ひどい顔をしているだろう僕を嘲笑うように。


 そのまま彼は懐から前と同じように何かの瓶を取り出して、もう動かない顔の口元にそれを突っ込む。すぐにふわりと白く光るものが瓶の中に閉じ込められた。


「はい、おしまい。じゃあ、今回は綺麗に片付けておこうか。ナギが精神的外傷トラウマを負ってここで働けなくなると困るからね」

 そう言って、彼女の体を抱きしめて、その髪に口づけると、ふわりとその姿が幻のように消えてしまった。

「な……ッ」

「お片付けも完了っと」

 手品師のように両手を広げて一礼して、それから僕の方に歩み寄ってくる。

「ずいぶん派手にやられたね」

 ぐい、と傷口にえぐりこむように指が触れて、思わず声を上げると、ああ、悪い悪いと言いながら、血に濡れた手をぺろりと舐めた。

「このままだと病院で縫ってもらわないといけないし、痕が残るかもしれない。ヤクザ者みたいな傷、残したくないよねえ?」


 この男は何を言い出すんだろうか。ただただ目の前で起きた無惨で非常識な事態に心も体も麻痺したように動かず、声を出すのも億劫で目線だけを向けると、奴はカウンセラーみたいに穏やかで優しい笑みを浮かべる。


「俺と契約を追加するなら、その傷、治してあげるよ?」

「けい……やくの……追加?」

「詳細は後、悪いようにはしないから、頷いちゃいなよ?」


 じゃないとまた出血多量で倒れるよ、とまるで親身になっているように囁くその声と、奇妙に優しく頬を撫でるその手に、血の足りない頭は思わず頷いてしまって、多分後から後悔するんだろうなと、ぼんやり考える。

「Okay, 契約成立Deal

 どこか小馬鹿にするようにそう言って、血が流れている頬に男の顔が近づいてくる。ぬるりとした感触が伝わってすぐに離れた。

「はい、契約締結完了。これで、ナギ、あと一ヶ月タダ働き追加、トータル最低二ヶ月契約でよろしく」


 語尾にハートマークでもつきそうな、蕩けるような笑顔でそう言ったけれど、その内容はほぼ奴隷契約だ。

「な……ッ、どういうことだよ……⁉︎」

 ようやく声を上げて、そして頬の傷の痛みがほとんどなくなっているのに気づいた。触れてみると、まだ傷跡は残っていたけれど、血の痕跡さえもない。


「最初のは初期契約、手首の傷、およそ全治一ヶ月の治癒の対価として、俺の共謀者Collaboratorとして任命。今のは追加契約、同じように全治一ヶ月の怪我の治癒の対価として、同期間、俺に従属しつぎしたがってもらうってこと」

「全然意味わかんねえよ! 何なんだよ、共謀者って……! 大体僕はあんたの名前だってちゃんと知らない……!」


 玩具おもちゃみたいに切り落とされた首から流れ出た真っ赤な血と、握り潰されて力なく項垂れた細い首。ようやくそういった全ての異常事態が、痛みが消えた今、現実として突きつけられる。


「人殺しだけでもわけわかんないのに、死体が消えるとか、契約とか従属とか、僕が惹きつけてるとか、全然……ッ」


 ——それに。


「悪人だからって、あんな風に殺すなんて——!」

「うん、そうだね」

 でも、と男は続ける。

「それが俺のお仕事だから。正式な自己紹介がまだだったっけ? 俺は鳴神なるかみ じん。君が片棒を担ぐことに同意して契約した、人殺しが生業なりわいの死神だよ」

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