4. 初仕事、進捗どうですか #1(そんな暇ない)

 ファッションセンスに多々難がありそうなその男は、拳銃を構えて鈴鹿の方に狙いを定めている。いやちょっと待って何だこのハードボイルドな展開は、と心の中でツッコミながらも、何しろ初めての事態に、凍りついたように体が動かない。だが、鈴鹿といえば、平然と茶碗を眺めている。


「これはこれでいい出来だと思うんだけどなあ。ちゃんとした窯元で焼いてもらったやつを、いい感じに偽装してそれっぽくできてるだろ?」

「偽装した時点でアウトだろうが!」

「お前のそのゲス顔が板についた顔よりはセーフじゃねえ?」

 シャレも何もなくただ相手を貶めるだけの暴言に、言われた男も素直に歯軋りをして、両手で拳銃を握りしめる。その手がぷるぷると震えているように見えるのは、僕だけだろうか。咄嗟に懐から出した割には、慣れていそうな感じがしない、というか。率直に言って、狙いが逸れてこちらに弾が飛んできそうで、すごく怖い。


「いっぺん死んでこいやァ——!」


 やばい、となすすべもなく見守る僕の前で、男が引き金を引こうとしたまさにその時、突然黒い影のようなものが割って入った。ぐいと拳銃を握っている男の手首を握ってひねると、その勢いのまま、男が地面に沈んだ。ぐぇ、と蛙が潰れるような声が聞こえて、それから男の足がデスクにぶつかって、上から花瓶が落ちてがしゃんと派手な音を立てて粉々になった。


「……あ、これは人命救助と、より深刻な器物損壊防止を優先した結果の緊急避難的なアレなんで、弁償とかはなしで」


 無機質な声に目を向けると、黒い影に見えたのは、黒いロンTに、黒いジーンズ、おまけに黒い手袋までした黒ずくめの男だった。前髪が目にかかるくらいの長さだが、きちんと後ろは整えられていて、鈴鹿ほどではないが背も高い。黒ずくめの服装から逆に引き立つほど肌が白く、切れ長の目が印象的で、このメンツの中ではどちらかと言えば爽やかな部類に入るだろうか。


「ユキ、何さらすんじゃ貴様ァ!」

「いや、こんなところで発砲したら警察来ますよ。銃刀法違反で逮捕された挙句、保釈金とか払いたくないですし。白河さん、もう預金おかねないでしょ、こないだその茶碗買ったせいで」

「何じゃ貴様、兄貴分が逮捕されたときにも、そんな金勘定するのか!」

「しますよそりゃ。俺、子供の頃から金には苦労してきたんで」

 わかります? と不意にこちらを向いて、じっと僕の方を見つめる。基本的には無表情なのに、なぜだか話を聞いて欲しい、とありありとその顔に書いてあるように見えた——白河と呼ばれたクレイジーなファッションセンスの男の腕を捻り上げ、膝でその背を踏み押さえたままの体勢で。


「……その人、大丈夫っすか? 放してあげたほうが……」

「いや、放すと人様の迷惑なんで」

「なんじゃと、ワレェ!」

「はいはい。それで、さっきの話なんですけど、俺、子供の頃に両親ともに蒸発しちゃって、施設で育ったんですよね」


 いきなりヘビーな告白だ。無表情ながらもユキと呼ばれたその青年は、目元に憂いを浮かべながら、話を続ける。


「で、まあ意外とみんな親切にしてくれたんですけど、進学とかうまくいかなくて。金がないって辛いんですよね」

「そうっすね」

 そればかりは身に染みていたので頷くと、だが青年はそれだけではないとばかりに首を横に振る。

「俺、それに惚れた女にも何度も裏切られてて……一昨日も散々貢いだ女にもう顔も見たくないって言われて……いや、俺もあと二人付き合ってる女がいるんで、別にいいっちゃいいんですけど」


 ——こいつも屑だった。

 ちょっとだけ気が合いそうに見えたのに。


 それにしてもこの話、いつまで続くんだろう。何とか話を切り上げかったけれど、青年は細いながらも僕よりは十センチほどは高いその背を丸めて、どうしてだか捨てられた子犬のような目でこちらを見つめる。とはいえ、ただでさえ疲弊している今、女たらしの重い身の上なんて、聞きたいとは思えないので恐る恐る切り出してみた。


「え……っと、すみません、僕このあとちょっといろいろ事務処理とかしないといけないみたいで、そろそろ帰ってもらってもいいですか?」

「あ、すみません。じゃあ、この話はまた次の時で」

 意外とすんなり青年は姿勢を戻して立ち上がる。ほっとしながらも、その言葉が引っかかった。

「え? 次って……?」

「こらユキ、離さんかいィィ!」

 僕の戸惑いをよそに、ユキはどこか寂しげな無表情のまま、まだ暴れている紫色の男を軽々と肩に抱え上げると、落ちた拳銃を拾って事もなげに懐に入れ、一礼して去っていってしまった。


 ようやく部屋の中に沈黙が下りる。なんとなく全身から力が抜けて、ソファに座り込むと、笑みを含んだ声が降ってくる。

「気に入られたな」

「ええっ、どのポイントで⁈」

 鈴鹿を見上げると、やれやれと肩をすくめながら笑っている。

「あいつは、やたらと心の闇を見せたがるから、一瞬でも隙を見せると懐かれるんだ」

「鈴鹿さんにも……ですか?」

「まあな」

「ていうか、あのおかしなファッションセンスの人、何だったんです?」

「あいつ? マフィアの親分」

「……はい?」

「ヤクザっていうかマフィアっていうか、まあそんな感じのいわゆる極道者だな」

「……そんな人に贋作売りつけたんですか?」

「お得意さんだしな」

 にっこり笑うその意味がよくわからない。屑を中心として屑が惹き寄せられているのだろか。屑の玉手箱か、いやそれを言うなら屑の見本市か。とにかくあまり関わりたくない、と思いつつも、体が重くて動かない。ついでにぐぅぅとびっくりするくらい大きな音で腹が鳴って、ようやく空腹なのに気づいた。

「ああ、腹減ってるのか。なんか食いにいくか?」

「ええと……僕」

 金がなくてと続けようとした時、今度は静かに扉が開き、すみません、という静かな声が聞こえた。


 ソファから半身を乗り出してそちらを見ると、長い黒髪が印象的な、綺麗なお姉さんが立っていた。鈴鹿が身を乗り出して、にっこりと営業スマイルを向ける。

「いらっしゃい、何か御用ですか? こちらは事務所なので、古美術品をお探しでしたら、表の店の方で伺いますが」

 黒髪美人はだが、きょろきょろと部屋の中を見渡して何かを探しているような様子だった。

「あの……?」

「ああ、すみません。こちらにユキさんがいらっしゃると思って」

「ユキ? あいつに何かご用ですか?」

「用といいますか……こちらにいらっしゃるんですよね?」

「いや、あいつなら先ほどもう帰りましたが」

 鈴鹿がそう言うと、だが黒髪美人の表情が不意に険しくなる。なんというかそれはもう恐ろしげに、例えて言うなら——般若のように。

「嘘ばっかり……! 隠したって無駄だわ。ここにいるのはわかってるのよ!」

 言いながら、自分のスマートフォンの画面を鈴鹿に突きつける。そこには地図が表示され、中心点にはマーカーがプロットされている。多分アレだ。

「位置情報追跡アプリ?」

「そうよ、あの人ったら連絡しても返事をくれないことが多いから、いつでも私が会いに行けるように入れておいたのよ!」


 ——また、やばいやつだ。


 黒髪美人は眼をギラギラさせて、鈴鹿に詰め寄っている。なぜか鈴鹿はこちらを見やり、急に猫撫で声で話しかけてくる。

「凪くん、ユキは帰ったよな?」

「そうですね、今しがたお姉さんが入ってきた扉からお帰りになりましたよ」

「……何、あんたも隠し通すつもり? アプリでは、はっきりここってなってるんだから、絶対いるはずよ」

「じゃあ、電話でもかけてみればいいんじゃないですか?」

 そう声をかけると、彼女は本当にかけ始めた。すぐにぴろりろり〜んと何やら緊張感のないデフォルトではなさそうな電子音が響く。立ち上がって、音の鳴る方——デスクの下を探ると、黒光りする林檎マークでお馴染みのアレが落ちていた。

「ああ、さっき大立ち回りをした時にきっと落としたんですね」

 言って、鳴り続ける電話を差し出したのだが、彼女は釣り上げたまなじりを下げようともしない。


「どこに隠してるのよ?」

「……はい?」

「どうせあたしが来たからって、慌ててどこかに隠れたんでしょ!」

 僕を睨む眼が尋常じゃない。背筋がぞくりと震えて、僕が思わず一歩引くと、さらに一歩詰め寄ってくる。その手にいつの間にか光る何かが握られているのに気づいた時には、それが振りかざされていて、かろうじて横に避けるので精一杯だった。昨夜殴られたのとは反対の頬に、鋭い痛みが走る。

「凪くん!」

 頬に手を当てると、手のひらが真っ赤に染まった。ぱっくりと割れているらしいそこは、痛いと言うよりは感覚が麻痺しているのか、じんじんとして、熱い。


「次はその喉首掻き切るわよ。早くユキさんを出しなさい」


 その表情はとても冷静に見えるのに、台詞が不穏すぎて怖い。続く混乱と流血のせいでぼうっとしていると、恐ろしい形相の黒髪美人は本当にナイフを僕の喉元目掛けて振り下ろしてくる。ひどくその動きがゆっくりに見えて、ああこれが走馬灯ってやつかな、と思った。どうせ、そんなに悲しんでくれる人もいないし、まあいいか。

 諦めたその時、ぐい、と後ろに体を引かれた。背中に硬いものが触れて、それでもひどく温かい。


「ねえ、俺、お仕事を頼んだはずだけど、もしかして進捗ゼロ?」


 何だかもう聴き慣れてしまったその嫌味っぽい声に、それでもどこか安堵する自分に嫌気が差した。


「ほんと、世話が焼けるねえ、ナギ」


 おちおち昼寝もできやしないと言うその顔は、今は眼鏡をかけていなくて、金色の眼を爛々と輝かせながら、どうしてだかものすごく、愉しげに笑っていた。

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