煙る草
「禁煙ですヨ」と言われて、仕方が無いので、点けたばかりの煙草の火を消した。店員はそれを見て軽くお辞儀すると、さっさと別の方へ行ってしまった。川本君が、「居酒屋でも吸えなくなっちまうとはナア」とぼやき、暇そうにしている店員を
一体煙草というものを知ったのは、小学校にあがる前のことである。私の家系で煙草を吸う人は母方の祖父だけで、他にも吸っている者がいたのかも知れないけれど、少なくとも私の目の前で吸っていたことは無い。毎年盆と正月には必ず母方の実家に赴き、歓談を中座して縁側に向かう祖父の後を追って、そこで煙草を吸う姿をまじまじと見ていた。未だ副流煙の有毒が世間に広まる前のことであったので、家の中で特にそれを咎める者はいなかった。祖父の口から煙の出てくる様子は、銭湯や蒸気機関の煙突を見ているようで面白く、また、時々鼻の穴から煙を出して見せてくれるのが好きだったので、
それから小学校に上がると、身近に煙草を吸う大人が随分増えた。勿論教員方が吸っていた訳ではなく、概ねボランティアで来てくれる親爺共が吸うのである。当時私は地域の少年野球チームに所属していて、休日にその練習日があったのだが、親爺共はそこに野球を教えに来て、練習の合間に木陰で煙草を吸った。それまで、祖父の年代になってようやく煙草を吸い始めるものだと思っていた私は、どう見ても父親世代の親爺共が煙草を咥えながら話しているのを見て、そうでは無かったのだと知った。そこでどんな理解の仕方をしたのか、詳しいことは覚えていない。しかし自分の父に
今では考えられないが、高校を卒業するまで、私はどちらかと言うと嫌煙派であった。小学校の高学年頃から徐々に煙草の有毒が世に知られはじめ、禁煙が推奨され、二十歳以上でなければ煙草が買えないようになり、禁煙外来なるものが出来始めた。煙草など百害あって一利なしという風潮なのである。私は保健体育の授業で何度も「煙草を吸い続けて真っ黒になってしまった肺の写真」を見せつけられた上で、煙草は肺病や癌のリスクを高めるということを教えられた。健康な肺とそうでない肺の違いは歴然としていたし、スポーツにのめり込んでいた当時のことだったので、健康な肺を維持したい、そのために煙草の煙は吸わないようにしなければいけないと思うようになった。丁度その頃は、祖父も禁煙に成功し、周りの大人が皆煙草を吸わなくなったので、私の中で煙草を悪とみなす意識が俄然高まり、煙を出来るだけ吸い込まないように努めていた。街中で歩き煙草をする親爺とすれ違うときなどは、わざわざ息を止めていたくらいである。
そんな風になっても、おそらく私の意識の根底には、煙草を吸うことの妙味、そのカッコヨサに対する憧れが残っていたのだと思う。だからこそ、高校を卒業して、スポーツ競技の前線から離れた後に、じりじりと燻ぶっていた情熱が、どうっと再燃し始めたのだろう。
喫煙のきっかけは人によりけりだろうけれど、私の場合、大学で小田という先輩に勧められて、ピースという銘柄の煙草を一本貰ったのが始まりだった。誤解の無いよう断っておくと、私は、小田さんのことを煙草道に引きずり込んだ外道扱いするつもりは毛頭無い。むしろ咥え方から火の付け方まで丁寧に教えてくれた、恩師とも言うべき存在である。小田さんは煙草の有害を十分認識しているようであった。それなのに
そのピースを契機に、私は何かにつけて小田さんに煙草を貰うようになった。初めて寄こされた銘柄こそピースだったけれど、小田さんはピースよりもウィンストンとか、キャメルなどを好んだので、自然と私もそれらを味わう機会が多くなった。色々吸っている内に銘柄毎の違いが段々と解ってくるのが面白く、他の物も味わってみたくなり、またいつまでも小田さんから貰い続けるというのは恐縮なので、自分で買う様になった。アメリカンスピリット、キャメル、キャメルシガー、ウィンストン、ラッキィストライク、ハイライト、という銘柄の変遷を経て、今はラッキィストライクを吸っている。紙巻を色々と試している途中で興味をそそられたので、葉巻も試してみたけれど、やはり紙巻の方で慣れているのもあり、またいちいち火を付け直すのも面倒臭かったので、その一度きりもう吸っていない。両切りも試して、こちらは変に味が濃くて、舌が馬鹿になりそうだったので止めた。刻んだ煙草葉をパイプやキセルで吸うというものもあるらしいが、それはまだ試していない。機会があれば吸ってみたいけれど、やはり紙巻に落ち着いてしまうのではないかと思っている。
ところで、私は煙草を吸っているが、有害でないと思っているから吸っているのではなく、有害と知った上で吸っている。嫌煙家の人にこれを言うと、怖さを本当に理解していないだの、身体に障ることを知って猶吸うのは馬鹿のすることであるだの、散々ないわれを受ける。しかしこちらにしてみれば、そんな良い分は、煙草の有毒の説明を詳しく出来ない人や、吸うことの妙味を知らない人からの無闇な否定に過ぎず、どれもこれも私を禁煙に至らしめることは無い。事実、元喫煙者で禁煙に成功した中で、他人が煙草を吸うことに否定的な態度をとる人を、私は今まで見たことが無いのである。
しかし煙草を吸うことによって他人に迷惑をかけるのは避けなければいけない。煙草を吸いたいという欲求のために、他人の幸せや心の平穏を踏みにじってはいけない。世間が煙草を悪とする以上、これからの愛煙家たちは、これまでよりも周囲に気を遣う必要があるのだと思う。例えば、私の知り合いに本田という人がいるのだが、この人は世の中に不義理をはたらくことを至上の悦びとしており、よく公共物を蹴飛ばしたり、平気で信号無視をしたりする。数多くのそのような不義理の中に、煙草の吸殻を路上に棄てるというものがあり、それも、火の始末をつけずに捨ててしまうので、私はそれを見る度に、その吸殻が原因で火事が起こりはしないかと気を揉むのである。そういう行為は良くないと思う。白状すると、本田君があんまり清々しい顔をしながら吸殻を捨てるので、少し気になって、一度だけ真似してみたことがある。火の点いたままの吸殻を投げてみると、空を舞う中でその先端が淡く燃え、更に、着地の瞬間に火花が散る様子は、線香花火が消え落ちる寸前の儚い輝きを彷彿とさせ、存外に綺麗であった。しかし矢張り吸殻がその後どうなったか忘れられず、寝つきが悪くなったので、以来吸殻の始末はきちんとつけるようにしている。
先日友人の羽瀬君が急逝し、その新盆に墓を参った時に、羽瀬君は酒と煙草を好んでいたので、それらをお供えしようと思っていたのだけれど、直前になって煙草の方は止めてしまった。煙草はあまり良いものでは無いという風に世間では認知されているということを承知しているが故に、そのようなものを墓前に供えるのは
川本君が麦酒を飲み干したところで、「もう出ようか」と言って、勘定を済ませた。そこらの道草で、「
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