阿呆サブリミナル

 ガキの頃ってのは阿呆で単純なんだけどさ、そのくせエネルギーだけは有り余ってるから、何かむしゃくしゃした時に勢いに任せて突飛なことをしでかすんだな。……え、何だい。そんなに子どもじゃないし馬鹿じゃないって? そうかもしれないな。なんてったって、君はこうして立派に喫茶店を切り盛りして、僕のことをもてなしてくれてるんだから。年の数は少ないかもしれないけれど、それとは関係なく、もう大人なのかもしれないね。


 ああ、ゴメンゴメン。大丈夫。君が経営してるわけじゃないことくらいは僕にも解るよ。制服を着ているし、高校生……。あ、中学生? ああ、そうなの、へえ。じゃあやっぱり立派なものだよ。少なくとも、僕が中学生の時よりは随分……イヤ、僕なんかと比べるもんじゃないな。


 まあ、ロクでもない奴だったよ。今も変わらないかもしれない。子どものまま、ずっと変わってない。アテもなくそこらを巡り巡って、日銭を稼いでその日暮らし。放浪者ってやつさ。放浪って言うと恰好つけすぎかな。宿無し、落伍者ってなくらいが丁度良いね。時代には合わないかもしれないけど、僕の性に合ってるし、これでも結構楽しんでるからそこは良いんだどね。


 でも、それとは別に旅を続ける理由もある。探してる人がいるんだ。ガキの頃からずっと。……はは、もちろん。君じゃないよ。うん、そう。僕が丁度君くらいの年の頃だから、君はまだ生まれてないと思うよ。……その時分に、僕も随分阿呆なことをしでかした。そしてその時に出会った、名前も良く知らない人をずっと、探してるんだ。


 それでここからが大事なんだけれど、実は、僕はこの喫茶店にその人がいるんじゃないかって、そう思ってる。何となく、もの凄く近い所に、その人がいるような気がするんだ。もちろん根拠もある。それについてはまた後で……。つまり、その、僕が想像していることは、その人が、君と知り合いなのかもしれないってことなんだ。……まあ、気のせいだって言われたらそれまでだけど、人探しっていうのは、直感に対してとことん愚直になることが必要なんだよ。


 ともあれ、今から話すことに心当たりが無いか、ご家族や親戚に聞いてみてほしいんだ。誰に……っていうのも、話しながら説明するからさ。ロクでもないガキんちょから、立派な大人のお姉さんへのお願いってことでさ。……本当? ああ、よかった。本当にありがとう。助かるよ……え、その代わりにもう一杯コーヒーを頼めって? イヤ、そんなに長い話でもないし、言っちゃ悪いけどここのコーヒーはあんまり好みじゃないから……ああ、待って待って。わかったよ。頼むよ。ブレンド1つ、ホットで。……本当、立派なもんだ。


 さて、その人との出会いの前に、まず僕がどんな阿呆なことをしでかしたのかについて話しておかないといけない。おっと、大丈夫。そんなに長々と話すことでもないし、手短に済ませるからさ。


 僕は東京の郊外で生まれて、そのままそこで育った。そうそう、都会っ子ってやつだよ。君の思っている通り、傍から見たら特に不自由のない、恵まれた生活をしてた。でもね、どんな所にも不満のタネは転がっているものなんだ。僕の場合、それは自分が周りと比べて落ちぶれているっていうコンプレックスだったんだ。


 これといった特技も好きなことも無い。勉強が嫌いで、成績が悪い。それなのに学校に行かなければならない。行きたくない。でも大抵の人はそんな不満を何とか飲み込んだり、噛み砕いたり、或いは何かで発散したりするんだろうけど、僕にはそういう器用なことはできなかった。自分の内にため込んで、ため込んで、ため込んで、ある時フッと思いついたんだ。——逃げようって。


 とにかく学校から逃げ出したかった。学校にいる間が一番ツラいっていうことに気づいたんだ。だから、逃げよう。でもこれは簡単なことじゃない。中途半端に逃げても、親や教師みたいなオトナにすぐ捕まって、怒られて、まあそれで終わりだろう。元通りになってしまう。それは嫌なんだな、でもとにかく逃げなければならない。じゃあ——どうしたと思う。


 ……そう。うん。やっぱり君は賢いね。立派だ。僕は阿呆だったから、そんなことは思いつかなかった。色々考えるのも嫌になって、とうとう腹を括って、ただ歩き出したんだ。こう、テクテクってさ。なにも馬鹿正直に歩きっぱなしって訳じゃない。ときどき走ったり、止まって休んだりはしたさ。え? そうだよ、比喩じゃない。ただ歩いた。ずっと。ずっと。ずっと。手元に千円ばかし持ってたけれど、後は何にも無い。うん。電車は使わなかったよ。多分、自分以外の何かしらに頼るのが嫌だったんだ。はは、そう。阿呆なんだ。笑えるだろ。でも、何事もやってみるものでさ、幸か不幸か、これが結構上手くいったんだよ。


 とにかく西へ向かおうと思った。東北の方は何となく怖い感じがしたんだ。森ばかりで、本当に死んでしまうような気がした。だからと言うべきなのか、西へ向かうのにも、海沿いを通ろうと思った。二日も歩き通して、熱海に着く頃には追手の心配は無くなったけれど、今度は金の心配をしなければいけなくなった。まあ金が無ければ無いなりに、どうにかしようと思えばすることができたし、実際どうにかなった。君が考えているようなスマートな方法じゃなくて、もっと泥臭くて、ここではとても言えないような方法でね。


 歩いて、走って、食べて、寝て、また歩く。そんなことを繰り返して、五日か六日が経った頃に、まあ、いくらエネルギーがあると言っても中学生だからね、限界が来た。疲労と、不安によるストレスが原因の発熱。はは。口で言うと大したこと無いね。でも、もうこれで死んでしまうんだと信じ切ってしまうくらい、当時の僕には絶望的な辛さだった。全身が怠くて重苦しいし、暑いのか寒いのかもよくわからなくて、吐き気とめまいのせいで立ち上がることもできなかったな。小さな道の端っこで座り込んで、壁にもたれかかって、くすんだ芝桜を見てた。前の日に雨が降ったせいだろう。花びらが散っているのもあったし、枯れてるのもあったな。それを見て、理由も無いのに鼻っ柱が熱くなって、どうしようもなくボロボロ涙が湧き出て止まらなくなった。


 その人とは、その時、その場所で会ったんだ。声をかけられたのさ。「おい、そこの、捨て犬。おい、お前だよ。犬っころ、あたしについて来い」ってね。おや、そんなに可笑しい? まあそうだよな。酷いよな。普通は言わないよ。犬っころ、なんてさ。濡れネズミくらいが関の山だろう。いくら汚い服を着てるって言ってもさ。親しい間柄どころか、知り合いですらない人に向かって、ねえ。でも……つまるところさ、その人も阿呆だったんだろう。今になって特にそう思うね。


 正直言って訳が分からなかったけれど、僕はその人について行こうと思った。人間、弱ってる時は誰かに縋りたくなるのさ。それが得体の知れない、口の悪い女だったとしてもね。そう、そして僕は体力的にも精神的にもだいぶ弱っていたからね。


 それで、ついて行こうと決めたのは良いもののやっぱり具合が悪くて、上手く立ち上がることすらできない。その人は僕に背中を向けて、もう歩き始めていたんだけど、振り返って、また近づいて来た。親切心からだろうな。飴玉を一つ僕に投げて渡したんだ。その人は僕が地面に落ちたそれを拾って、包みを開けて、口の中に放り込む間に、また背中を向けて、と言っても今度は僕の前でしゃがんでてさ、歩けない僕を負ぶってくれたんだ。それで、アア、この人は悪い人じゃないんだなって確信してさ、負ぶさりながら眠っちゃって、気が付いたときには、布団の中で横になってた。そうだよね。うん。君の言う通り、随分危険なことをしたと思うよ。本当に、悪い人じゃなくて良かったよ。


 そこで一晩と半日くらいぐっすり眠ると、身体はすっかり快復した。その人が看病してくれたらしい。快復してから初めて気が付いたのは、その人が随分若い人だってことだった。少なくとも自分よりは歳上だろうけれど、所謂僕の知っていたオトナとは少し違って見えた。不愛想な顔でカレーを作って食べさせてくれてさ、食後にコーヒーを勧められて、生まれて初めてコーヒーを飲んだ。砂糖を入れてくれたのに苦くて堪らなくてね、結局残しちゃった。いや、エスプレッソじゃないよ。うん、アメリカン。まあ、やっぱり子どもだったのさ。でも悪いことしたなあ。ああ、ごめん。どうも思い出しながら喋るから、話が脱線して良くないね。


 その人と二人で過ごす喫茶店——そう、そこは喫茶店だったんだよ。その空気はすこぶる悪くてね、とにかく気まずかった。僕の方に改めてお礼を言う器量も無かったし、その人も良く喋る方じゃなかったからね。沈黙の時間が殆どだった。



「学校は」

「行ってない」

「男なのに」

「関係ないよ」

「それもそうだ」

「どうして助けてくれたの」

「なんとなく」

「ここはどこ」

「見りゃわかるでしょ。喫茶店」

「そうじゃなくて」

「あんた、どっから来たの」

「……東京」

「ふうん。帰らないの」

「……わかんない」

「ふうん。…………あ、あんたさ、アレどう思う?」

「別に」

「別に、じゃなくて。そうだなあ。好き? それとも嫌い?」

「…………。……嫌い」

「ふうん。なんでよ」

「……わかんない」

「わかるよ」

「え?」

「わかるっつってんの。あたしには、あんたがアレを嫌いな理由がわかる。ビクビクしてて、オドオドしてて、オトナと一緒。だから、嫌い」

「…………」

「図星でしょ。ふふ、やっぱり。思った通りだよ。やっぱり、あんたを助けて良かった。あんたに会えて良かった。やっぱり直感には愚直に従うべき」

「馬鹿みたいだ」

「あたしも、あんたもね。ああ、阿呆らしい」

「阿呆らしい?」

「そうでしょ」

「……馬鹿らしいじゃないの」

「違うのよ。阿呆ね」



 こんなことを互いにぽつり、ぽつりと話してた。


 翌日になって、僕は半ば無理矢理電車に乗せられて、東京へ帰らされた。切符代はその人が払ってくれた。「楽しかったから返さなくて良いよ」なんて言ってたな。結局その人の思惑も、言いたかったことも、何も解らないままだ。それで、あとはお察しの通りだよ。今の今まで、僕はその人と会えてない。


 ……ほら、丁度コーヒー一杯分だよ。中々の話し上手だったでしょう。後はさっき頼んだように、君の知り合いでこの話に心当たりのある人がいないか確かめて欲しい。今日のところはこれで失礼するよ。近いうちにまた。……ああそれと、窓ガラスの前に置いてあるアレ。オジギソウ。見事だね。葉の付き方が随分綺麗だ。え、嫌いなんじゃないかって? それがね、今は、不思議と、そこまで嫌いってわけでもないんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る