うき目

 眼球が圧迫されて痛いので目を覚ました。身体は仰向けで、天井が見えたので、圧迫されているのは頭の後ろ側の眼球である。ままにしているのは苦しくて息がつまりそうなので、横向きになって、何となしにスマートフォンの電源を入れた。丁度七時になるところで、目覚ましのアラーム音が鳴るのとほぼ同時に、妹が私の部屋の戸を叩いた。朝ご飯の準備が出来たと言うので、すぐに行くとだけ答えた。段々目が覚めて、頭が冴えてくると、どうして頭の後ろ側に目玉がくっ付いているのだろうと不思議に思えてきた。私の知る限り、奇病とか、あるいは妖怪変化の類の中に、頭の後ろ側に目玉の付いた三つ目と言うのは知らない。後頭部の眼球と脳髄のうずいとがどう結びついているのかも解らないし、後ろ側の眼を開こうとしても、毛髪が入って来るのが嫌で上手く開けないから、常に閉じている他に無い。邪魔な毛髪をき分ければ開けないこともないけれど、何しろ後ろ側の眼を使わずとも、自分の後ろがどう言う状況であるのか知りたければ、其の方向に振り向けば良いのであって、前側にある両眼があれば、普通暮らすのに足りないと言うことは無い。それよりも斯様かような奇怪極まりない器官を他人に見られて、遠巻きに気持ち悪がられたり、さげすまれたりするだけでも嫌なのに、物珍しいが故に解剖とか、実験の対象にされてしまっては事なので、元々使うつもりもないけれど、出来る限り後ろ側の眼は開けない方が良いと思った。

 朝食は母と妹とで囲む。この二人はよく動き回るので、背後を歩かれる度に、後ろ側の眼が見つかりはしないかと何度も冷や冷やした。しかし毛髪に隠れている、さらに閉じたままの目玉と言うのは案外気づかれないもので、無事に家を出てから、通学路や午前中の課業をやり過ごしている内に、後ろ側にくっ付いている目玉を見つけられ云々と言うふうな不安や怯えはすっかり消え去ってしまった。そうして心にゆとりが出てくると、今度は自分が他人と違って、三つの眼を持っていると言う事にどきどきして、自分は何か特別な宿命を背負ったのかも知れないと思った。三つ目の目玉がどうして後頭部にくっ付いているのかという疑問については、いくら考えてみても納得のいく答えを導き出すことが出来なかったけれど、何時いつ何処どこかで何かの役に立つ時が来るのだろうと言う、楽観的な結論で一先ひとまず満足しておいて、後ろ側の眼については、今後特に困ることも無さそうだったし、潰してしまう気にもなれなかったので、しばらくの間は放っておくことにした。夜になってベッドで横になり、これからは医者にかかり辛くなるかも知れないと、のん気なことを考えて、開いている二つの眼を閉じた。

 奇妙な事は続くもので、翌日になると今度は右手の甲に眼がくっ付いていた。まぶたは閉じているけれど、睫毛まつげの生え方から察するに、どうやら手首側が上で、指先側が下らしい。顔の正面右側の眼を閉じると、手の甲の眼の方は自然と開いたけれど、視界がうねうねして、気持ち悪くなったのですぐ元に戻した。新しい目玉も、元からある目玉も、どちらも私の目玉であることに変わりないらしいけれど、私の物であるにも関わらず上手く使いこなせないと言うのは、締まりの無いことで、どうにも具合が悪い。もしかすると、今は大人しく閉じているだけで、何かの拍子に新しい目玉たちが開きだして、私の意思と関係なく、好き勝手にぴくぴくうごめき始めるのかも知れない。そう言えば、今度のは、毛髪に覆われているわけではないから、気を張っておかないと、すぐにでも周りの人たちに異変に気付かれてしまうかも知れない。あまり大袈裟おおげさにならないように、適度な大きさの絆創膏ばんそうこうをあてがって、その日一日は事なきを得たものの、また翌日になると三度みたび、今度は左手の甲に、全部で五つ目となる眼がくっ付いていたので怖くなって、辟易へきえきした。得体の知れない眼球のくっ付いた両手を見ても、其れが自分の両手であると信じられなくて、いっその事今すぐ切り落とした方が良くないか知らと思う。妹が私の部屋の戸を叩いたので、急いで左手の方にも絆創膏を貼った。

 日をまたごとに、腕、肩、胸、腹、首、背中の順に一つずつ目玉は増えて、上半身を大方埋め尽くした後で、ついに足の甲にも現れた。靴を履くと歩く度に痛むので、その日から学校に行くのを止めた。身体中がむず痒くて、掻きむしりたいけれど、くっ付いているのはあくまで眼なのであって、薄い瞼の下にはもろい水晶体があるに過ぎないから、あまり乱暴に扱うと傷が付いてしまって良くない。部屋の戸に鍵をかけて、青白い蛍光灯がちかちか光っている下に、独りでじっとしていると、嫌な予感ばかりが浮かんだ。立ったり座ったり、或いは肩を下にして横たわるところにも、程なくして目玉がくっ付いて、何をしていても、こうしてじっとしていても痛くて、堪らないと言う風なことになるかも知れない、肘や膝のような関節部に目玉がくっ付いてしまったら、曲げたり伸ばしたりするだけでも痛くて、ほんの少しの身じろぎでさえ嫌悪するようになるかも知れないと想像して落ち着かない。頭を思い切り殴ってみれば落ち着くかも知れないけれど、当の其の頭にも既におびただしい数の目玉がくっ付いているので躊躇ちゅうちょした。

 右大腿だいたいに目玉が六つ並んだ時くらいに、私の部屋の戸の向こう側から妹が心配して頻りに話しかけてきた。暫くすると母もそれに加わり、父も気にかけてくれているようで、三人で一時に具合をたずねてくる時などは、部屋の前の狭い廊下がぴっちりと埋まっているのだろうと思われる。部屋の戸には鍵をかけて、更に、そこらにある重い物を置いて、万が一にも開けられないようにしておいたけれど、家族は決して無理に扉を開けようとはせず、ただ毎日のように「出てくるのを心待ちにしている、何時でも出て来て良いから、きっと元気な姿を見せて欲しい」と言う風なことを言って、食事を置きに来るだけであった。其の食事を廊下から慎重に回収して、じめじめした部屋の中でむさぼった。不条理に対する怒りと、自らの不甲斐ふがいなさに呆れ果てて涙が止まらなかった。心遣いを受ける度に、「すみません、すみません」と言う言葉だけが口をついて出た。目玉は日に日に数を増やしている。身体中を覆い尽くすまで止まらないのだろうと思う。その時になってし自分が死んでいなかったらと考えて、ぞっとした。

   □

 妹が、どうやったか知らないけれど、部屋の戸を開けて、中に入って来たらしい。眠っている顔を覗いて、手を握ろうとするのだから、当然、異変に気付いたのだろうと思う。妹はさめざめと、時折嗚咽おえつを交じらせながら泣いて、暫くすると部屋から出て行った。私は其の様子を眺めていた。自分の背中が見えて、その中央に黒子ほくろがあるのを初めて知った。目を閉じて、また開けると、私は一つの眼球となって、妹の泣いている様子を見ていたのだと解った。私は、その眼球よりももっと高いところに位置していた。浮かんでいる眼球は瑞々みずみずしくて、未だ生きているように見える。もう一度目を閉じて、開いてみると、また更に高いところから、浮いている二つの眼球を見ることが出来た。気分が良くなって、もう一度目を閉じて開くと、浮いている眼球は三つになった。

   □

 何度か眼を閉じて、その度に眼を開いた。母が、今まで一切目を合わせていなかった母が、妹に連れられて部屋に入って来た。妹は其の眠っている生物いきものの姿を見て嘔吐した。一度見ている筈の生物なのに、もう一度嘔吐した。母は膝から崩れ落ちて、手で顔をおおって、ぶるぶると其の身体を震わせていた。暫くすると二人は部屋から出て行った。

   □

 また何度も眼を閉じて、おそらく、同じ回数だけ眼を開いたのだと思う。その内、父が妹と母に連れられて部屋に来て、寝ている生物を猟銃で撃ち殺した。生物の亡骸は母に蹴飛ばされた。ぶるぶると身体を震わせて悲しんでいた母に蹴飛ばされた。そして、妹による慈愛に満ちた抱擁ほうようを受けていた。二度の嘔吐を経て、それだけで、抱擁出来るにまで至ったのだろうか。

   □

 北の空から日が昇り、空が白みがかって、白鳥の鳴き声が透き通るように聞こえた。私たち家族は、四人で、仲睦まじく食卓を囲んでいるようである。父と、母と、妹に囲まれて、化物は笑っている。

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