散髪
かねてより妻君から、髪を切れ髪を切れと言われていた。今日は用事があって外に出るのだけれど、誰かと約束をしていると言う訳では無く、古本屋に目当ての本を探しに行くだけのことなので、時間に
ところが床屋が近づいて来るにつれて、今日は髪を切るべきでは無いと言う考えが
つまるところ、その根拠とは次のようなことである。
一、 髪を切らないでいることによる、身体的、或いは精神的な苦痛が、例えば髪を洗って乾かすのに時間がかかるとか、目に髪の毛がかかって来て
二、 髪と言うのは、生きている限り生えるし、伸び続けるものである。
三、 床屋と言うのは、支払った金銭の対価として髪を切る、若しくは整える
四、 無料で散髪してくれるような知人はおらず、また私も妻君も、散髪の技術を持っていないし、※
以上を鑑みると、床屋で髪を切ってもらうのは、もう少し時間が経って、髪が伸びて、身体的・精神的な苦労が到底許容されないようになってからにするのが良い。
このようなことで他にも似たようなものがある。例えば風呂は、毎日入らないと不快ではあるけれど、だからと言って「毎日入らなければならない」という強迫観念に駆られて、義務を果たすように入浴するのは
我慢できる内は我慢して、後にまとめてしまって良いと言うことであれば、食事もこれに当てはまる。散髪や風呂ほど長い時間耐えられる訳では無いけれど、それでも例えば朝寝坊をしたときなどは、朝食を食べないで昼食を多く食べるようにするし、もう少し遅く起きてしまったとしたら、夕の一食だけでその日一日分の食事を済ませてしまうこともある。
これに類する事には他にも、庭のお手入れ、服の洗濯、しわ伸ばし、靴底の交換など、枚挙すれば際限が無いのでこの辺りで止めておいた方が良さそうである。
反対に、いくらしても損にならないと言う事もあり、こちらは出来得る限り行っていた方が良いと思われる。
これには例えば小説を書く(これは書けば書くだけ稿料を頂けるからである)、医者で健康の検査を受ける、読書をする、あるいは勉強をする、旅行をする、と言った事がある。
この稿を草するにあたって、この、すればするだけ得になる事には、身近な人に感謝をすることも含まれると言う事に気が付いた。少々恥ずかしいような気がするが、次に郷里を訪ねたときには、改めて両親に感謝の辞を述べようと思い、ここで筆を置く。
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※ 見た目に気を配らず、むさくるしいこと。
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