夢の中

 ちち……ち……ちちち……ち……

 ……鳥の囀る音が聞こえる……。

 ちちち……ち……

 ……濃藍色のカーテンの裾から漏れた白光が彼の首元を照らす。僕はその明かりから逃げるように彼の脇下に顔をうずめた。

 ち……ち………………

 鳥はどこか別の場所へ飛んで行ってしまったようである。かといってそれであたり静寂に包まれることはない。車の走る音や風車のまわる音、ぺたぺたと眠たそうな隣人の足音。朝に立つ音を挙げていったらキリがないし、僕らは音を立てないと生きていけないのだから仕方ない。

 差し込んだ光の痣が首元を越えて顔にかかってくるくらいの時間になると、彼はのそのそと起き上がる。まだ開ききってない眼を手のごつごつした方で擦り、一つ大きなあくびをした。

「レビイ、今日も変な夢をみたよ」

 彼は跳ね上がった髪を手ぐしで撫でつけながら昨日や一昨日と同じようにそう言った。

「またその話かい? それで、今日も内容はロクに覚えていないんだろう」

「うん、あんまり。でも毎回同じ内容の、同じところで目が覚めるんだ」

「まったく仕方ないやつだ。君がそんなだから、ここのところ僕は昼寝の寝つきがすこぶる悪い。君の見ている夢の内容が気になっているせいさ。ずっと何日も同じ場面、同じ時間の夢をみるなんてそうそうないことなんだ。のんきなことじゃ困るんだよ。さあ、さあ、今日は何を覚えているんだ? 少しでもいいから聞かせておくれよ」

 僕が尻尾をびたびたとしきりに動かして興奮しているのと裏腹に、彼はまだ眠たそうに落ち着き払ってゆっくりと答えた。

「ううん……。なんだか、冷たかったなあ」

「冷たい? 冷たいって、何が冷たいのさ」

「そこらじゅう全部さ。レビイ。こう、手をこんな風になびかせるだろう。すると手の表も裏もまんべんなく、氷のように冷たくなるんだ。なびかせなくても、例えば頬や耳たぶも同じように冷たくなって、だんだん自分が外にいるのか、外が自分なのか、わからなくなってくるんだ」

 彼はうっとりと窓を眺めていた。窓の向こうでは相変わらず、平和ぼけた明かりで街路樹が気持ちよさそうに葉伸びをしている。それにしても彼の言うことはいつも要領を得ないものだ。寝起きはもとより、下手すると夕食を終えてもメルヘンチックな言い回しで会話をするものだから、僕はいつもその意味を少し考えなければならない。僕は賢いほうだからまだ彼の言わんとしていることを推理することができるけれど、もし僕が賢くなかったら彼はどうしていたのだろう。彼の言うことの意味なんてこれっぽっちも理解できずに眠ってしまい、起きて話してまた眠って、そのうち話すことすらしなくなって、彼は寂しい思いをするのかもしれない。

「君は僕が賢いネコだということにもっと感謝しなければね。とにかく、君の身体はとても冷たくなって、その上皮膚の感覚もなくなってしまったということはわかった。……いちおう確認したいのだけど、君は他の感覚、……例えば目で見たり耳で聴いたりすることは問題なくできていたかい?」

「うん、できていた」

「よし、そんなら良い。今日までに君が話してくれたこともそっくりそのままだったかい? 木の幹のようにくりぬかれた巨大な石で組み立てられた門、だらりと首を垂らした枝に色素の抜けた花をつけた梅のような木々、空から落ちてくる白い土、太い縄をぶら下げた大きな鈴、その下に置かれた格子天井の木箱……」

 彼は僕がこう言っている間、「そんなのもあったなあ」「よく覚えているねえ」と、頷きながらしきりに感嘆していた。なにも不思議なことはない。僕にしてみればそんな興味深いことを忘れられることの方がよっぽど感心することなのだ。彼がこれまでに話してくれた夢の内容、その一片一片をすっかり言い終えてしまうと、彼はおずおずと遠慮がちに尋ねた。

「ええと、開かれたままの紅い和傘のことは覚えてないかい?」

「覚えているも覚えていないも、そんなことを聞いたのはこれがはじめてだよ。そして、それは今までで一番おもしろいことだね」

「そうかい? レビイ。それは良かった」

 彼は照れくさそうにはにかんだ。そして僕は言葉で言っている以上に心躍っていた。それは尻尾がぴん、と天井に向かって伸びていることからもわかるのだけれど、彼はきっとそんなこと気づきもしないだろう。彼にとって僕の感情を読み取るのにはちょっとした口調の違いさえわかれば十分なのだ。まあ、これに関してはお互い様だ。

「うん。なぜかって、その傘が開いているからだ。傘はひとりでに開いたりしないだろう?」

「もしかしたらひとりでに開く傘があるかもしれないけれど、そうだね」

「この先君が夢の続きをみて、ひとりでに閉じることがあればそう言えるだろう。でも今はそんなファンタジーを忘れて聞いてくれ。傘が開いたままであることはとても不自然なことなんだ。君たち人間は雨があると傘を開いて、晴れ間が見えると傘を閉じる。つまり傘が開いているということは誰かそれを入用にしている人がいたと、こう考えられる。その人が移動すれば当然その傘も一緒に移動することになるけれど、しかし何故かその人は傘を開いたままその場に置いてどこかへ消えてしまった。傘を閉じる間もなかったと推理しても良いかもしれない。また、その人は君ではない。君は傘を見ている側だからね。つまり君の他にもう一人、君と同じ夢に入ってきている人が……」

 僕は背中を優しく撫でられて、はじめて自分が言葉を荒げていることに気がついた。推理した事象の面白さからくる高揚感とはまた違った火照りを全身に感じた。彼の手はひんやりとして気持ちが良かった。僕はそれ以上話を続けることはせずに喉を鳴らして感謝の意を伝えた。

「レビイ、心配しなくても君が一番の友であることは変わらないよ。夢の中のその人が仮にレビイと同じくらい気の合う友人であったとしても、やっぱり現実の……レビイの方が大切だからね。さ、顔をあらって。そろそろ朝食にしようか」

 洗面台へ向かう彼の背中を見送り、僕も前足を使って額の毛並みを整えた。足の裏に白い土がくっついているような気がしたが、あまり確認しないうちに彼に呼ばれ、朝食を食べているうちに消えてしまったようで、よくわからなくなってしまった。

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