35 あしかの誘惑
めっきり寒くなり、冬休みも近づいた頃に、家に来ていた征士くんから話を切り出された。
「え? 水族館?」
「はい。もうすぐ高等部は開校記念でお休みでしょう。その日は虹川先輩の必修講義もないですし、出来たらお友達としてお出かけしませんか?」
「まあ、必修じゃなくても、休むのは気が引けるけど……」
まあ休んでいたこともあるけれど……と思いつつ、けどまた休むのもねえと考えてしまう。考え込んでいる私に、彼は悪魔のように美しい微笑で、あしか、と言った。
「前に言った、あしかに触れる水族館へ行きましょう。遠いですけど、一日で行って帰ってこられます。他にも、あざらしやセイウチにも触れるらしいですよ」
「えっ! あしかに触れる水族館? あざらしやセイウチにも触れるの?」
「そうらしいですよ。きっと平日だから空いています。ね、行きましょう?」
それは、何という誘惑……!
「い、行く……。講義は休む!」
「はい。ではその日は、一日空けてくださいね。約束ですよ?」
思い切り、海獣の誘惑に釣られてしまった。征士くんに操られすぎだ。
♦ ♦ ♦
水族館は新幹線にも乗っていくというので、動きやすい服装にすることにした。寒いので防寒第一。別にデートではないので、着飾る必要もない。温かいセーターにジーンズ、ダウンジャケットを着こんで、駅へ向かった。
先に征士くんが来ていて、一緒に切符を買う。片道四時間ちょっとの小旅行だ。
新幹線の中で、また征士くんがトランプを出してきた。
「ブラックジャックで、リベンジするんでしょう?」
「そうね。今日は絶対勝つわ!」
カードを切り、ゲームを始める。
「15……」
「僕は、20です」
また負けてしまった。運良く21になったときも、征士くんも21だったので引き分けだ。
「虹川先輩は思い切りが悪いですね。テニスでもサービスをラインぎりぎり狙わずに、甘いところへいつも打っているでしょう」
「むー。そうかもしれないけれど……」
結局引き分けを挟んで全敗した後、そう言われてしまった。もう何も言い返せない。
電車を乗り継いで、最寄りの駅へ着いた。タクシーに乗り込む。
「有名な岩の近くの水族館までお願いします」
「わかりました」
有名な岩? 聞いていないので、不思議に思った。
「有名な岩って何?」
「ああ、岩が二つ並んだ名所らしいです。そこも観てみましょう」
タクシーはすぐに水族館へたどり着いた。こぢんまりとした趣のある水族館だ。
「もうすぐそこの建物で、あしかショーですよー」
係員さんの言葉に急いであしかショーの場所へ向かう。あしかがプールで泳いでいた。ここの水族館は触れ合いがテーマらしい。係員さんが観客へ呼びかけた。
「お客様の中で、あしかにフープを放ってみたい方、いらっしゃいますか。あしかが首で受け止めますよ」
私は張り切って、はーいと手を挙げた。他の観客は気後れしていた。私は少し恥ずかしくなった。だって、フープを放ってみたかったんだもの……。
「お姉さん元気がありますね。はいフープです。あの子の首を狙ってくださいね」
「虹川先輩、僕が写真を撮りますよ」
二人に励まされて、気を取り直してフープを構える。放ると、見事にあしかが首で受け止めてくれた。
他の観客も私が放ったことで気を緩めたのか、次々に名乗り出て、フープを放っていた。あしかは全部受け止めていた。あしか、賢い。
「ねえ、デジカメで撮ってくれた?」
「フープを放ったところ、ちょうど撮れましたよ。あしかも写っています」
デジカメを確認して満足した後、建物を出て、外のあしか水槽へ行った。
タイミング良く、飼育員さんがあしかを外へ出していた。
「触って、写真撮ってもいいですか?」
征士くんが確認してくれた。飼育員さんが頷いてくれたので、私はおそるおそる、あしかに触った。あしかは大人しかった。私は念願のあしかとの触れ合いが出来て、嬉しくなった。
しっかり写真を撮ってもらい、お礼を言ってあしかから離れた。
「あしか、すごく可愛かったわねえ」
「そうですね。虹川先輩も、笑顔で可愛く写真が撮れましたよ」
「またまた、お世辞なんか言っちゃってー」
その後、あざらしやセイウチのショーを観て、更に触れ合いも出来て、非常に楽しい水族館だった。
水族館から出て少し歩くと、先程名所と聞いた岩があった。大小二つの岩が綱みたいなもので繋がれている。全国でも有名と聞いたので、近くにいた観光客の方に頼んで、征士くんと写真を撮ってもらった。岩を背景に二人で撮った写真を見て、征士くんはとても嬉しそうだった。
「ん? 何で岩の写真で、嬉しそうなの?」
「あの岩は、夫婦岩って言います。夫婦円満の祈願の岩です」
他の意味もありますけどね、と言いながら征士くんは丁寧にデジカメを仕舞った。
やられた……。先に意味を訊いておくんだった。
ま、まあ、私も何となく悪い気はしないし? 自分の気持ちと折り合いをつけながら、帰りのタクシーに乗った。
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