27 言い争い
大学を休んだまま、金曜日になった。今日の三限はゼミがある。
さすがにゼミを休むと卒業に響く。それに今日は、ゼミの中の私が入っていない班が『平家物語』の因果律について、研究発表するはずだ。平時忠の因果律は興味があるので、聞き逃す訳にもいかない。昼夜逆転生活で眠い身体を叱咤しつつ、三限に間に合うよう車を出してもらった。
ゼミ室に早く着いたので、ゼミ論文の為の資料を漁っていると、玲子ちゃんが来た。
「月乃ちゃん! 来ていたの?!」
「ああ、うん。ゼミに出たかったし。……後で私が休んでいた講義のノートを見せてくれる?」
「それはいいけど……。こんなに休むなんて、何があったの?」
私は曖昧に笑って、何でもないと誤魔化した。
「何でもない訳ないでしょ。携帯に電話してもメールしても繋がらないし。……放課後毎日、瀬戸くんが大学の前まで来ていたよ」
「え?」
「瀬戸くん、サークルの日はコートまで来て、私に月乃ちゃんが来ていないか訊いていたよ。……瀬戸くんと、何があったの?」
「……別に」
そこで教授が入ってきたので、講義が始まった。
……征士くんは、私と婚約解消して清々したはずなのに、何の用だろう。携帯はずっと電源を切っていたので、ここ一週間誰とも連絡をとっていないから、状況がわからない。
研究発表のプリントが配られている間、玲子ちゃんは下を向いて携帯を操作していた。講義中に携帯を弄るなんて、真面目な玲子ちゃんらしくない。内容が好きな『徒然草』ではないからだろうか。
発表が始まると私は集中した。平家の主だった人物は盛者必衰の謳い文句通り、次々と死が確定していく。それが因果律だ。しかし平時忠は清盛の義弟という立場でありながら流罪で済んでいる。そこが私の論文のテーマだった。
発表が終わり、時間になると、ゼミは解散になった。私は書きかけのゼミ論文を持って教授へ質問しに行った。
質問が終わる頃には、私を待ってくれていた玲子ちゃん以外、ゼミ生は全員いなくなっていた。私は教授にお礼を言って、ゼミ室を出た。
「月乃さん!!」
何故かゼミ室の真正面に、征士くんが陣取っていた。私は驚いた。
彼は制服姿で立ちはだかっている。高等部は授業中のはずなのに、どうしたのだろう。
「……瀬戸くん? 授業はどうしたの?」
「神田先輩から月乃さんが来ているってメールもらって、抜け出してきました」
玲子ちゃんがさっき携帯を操作していたのは、征士くんにメールする為だったのか。私が玲子ちゃんを見ると、彼女はばつが悪そうに俯いた。
「それより、月乃さん! 婚約解消ってどういうことですか?!」
叫ばれて、ぎょっとする。玲子ちゃんも驚いて、隣で目を見開いていた。廊下を歩く学生が、じろじろ私達を見ながら通り過ぎていく。
「せ、瀬戸くん。もっと声を小さくして」
「これが落ち着いてなんていられますか! 理由は?! 事情は?!」
大きな声の制服姿の高等部生は、嫌でも目立つ。
私はこっちに来て、と征士くんの腕を引いて渡り廊下を渡り、人気のないリスニングルームへ彼を押し込んだ。玲子ちゃんは遠慮したのか、ついてこなかった。
「それで月乃さん。どうして急に婚約を解消するなんて言ってきたんですか?! 前に絶対婚約解消しないって言ってましたよね!」
征士くんは苛々した様子で詰め寄ってきた。
「どうしてって……。瀬戸くんが一番わかっているでしょう?」
「わかりませんよ! この一週間考えていても、婚約解消される意味がわからなかった! 何か気に障るようなことを、僕はしたんですか?!」
「気に障るも何も……。虹川の家が強引に婚約を持ちかけて、縛り付けるような真似をして……瀬戸くんには悪いことをしたって、私も父も思っているわ。ごめんなさい」
私は深々と頭を下げた。征士くんは、そんな私の肩を掴んで顔を上げさせた。
「それは弁護士さんにも散々謝られました。でも月乃さんにも、月乃さんのお父さんにも、弁護士さんにも謝られる心当たりが全くありません。僕が、何をしたっていうんです?!」
「だって……」
私は少し躊躇ってから、口を開いた。
「だって瀬戸くん。好きな人が出来たんでしょう? それなのに私と婚約しているなんて……。辛かったんでしょう? だから婚約を解消しようって思って……」
「好きな人が出来た? 僕の好きな人なんて一人しかいませんよ! 誰のことを言っているんですか?!」
「だからそれは、志野谷依子さんなんでしょう?」
征士くんは驚愕したように、絶句した。
「…………志野谷? どうしてここで、志野谷が出てくるんです? 志野谷はただのクラスメイトですよ?」
「キスまでしておいて、ただのクラスメイトじゃないでしょ。志野谷さんも瀬戸くんと好き合っているって言っていたし」
「はあ?! キスした? ふざけないでください! 身に覚えがありません!」
写真まで送りつけておいて、今更何で否定するのだろう。意味がわからない。
私は鞄に入れていた封筒を差し出した。征士くんは怪訝そうな顔で受け取った。
「何ですか、これ……。って、ああ、志野谷が何でか顔を近づけてきたとき! 何でこんな写真があるんです?! それに僕がパスケースに入れてなくしていた写真! 探していたのに、どうしてここに、こんな千切れてあるんですか?!」
「白々しいわね。私と別れたいから、送りつけてきたんでしょ。宛名も差出人も、瀬戸くんの字じゃない」
彼はしきりに封筒をひっくり返して見つめていた。
「僕はこんな手紙、送っていません。誰かが僕の字を真似して、何か企んでいる奴がいるはず……」
「企むも何もないでしょう。志野谷さんはきちんと話してくれたわ。瀬戸くんと好き合っているから、あなたを自由にしてくださいって。遠回しにこんな手紙で別れたいなんて言わないで、志野谷さんみたいにはっきり話してくれる方が好きだわ。きちんと婚約解消の心構えが出来るじゃない」
「…………志野谷と好き合っているなんて……。志野谷がそんなことを……」
征士くんは頭を抱えて呻いていたが、やがてきっぱりと顔を上げた。
「確かに志野谷から、何回も付き合ってくれって言われていました。でも、僕には父親経由で決まっている婚約者がいるって、ちゃんと断っていました。月乃さんへ送られた写真も、志野谷が話した内容も、全部でっち上げです!」
「嘘よ!」
私は反射的に叫んでいた。予知夢では全部、征士くんと志野谷さんは仲睦まじくしていた。熱烈に口付けを交わしていた。婚約解消した後も笑い合っていた。
「嘘なんかじゃありません! 僕が好きなのは、昔から月乃さんだけです!!」
「はあ? 私のことが好きですって? 見え透いた嘘はやめて頂戴!」
今更何を言うのだろう。私のことが好きですって? きっと、今頃になって私の家の資産でも欲しくなったんだわ。私と結婚してから、愛人と仲良くしている姿の予知夢なんて視たくもないわ。
「とにかく好きな人がいるならば、遠慮なくそちらへどうぞ。慰謝料ならばいくらでも払うわ。言い値でいくらでも。無理な婚約を押し付けて悪かったわ。これで満足でしょう」
私は踵を返して、リスニングルームを出ようとした。途端、腕を掴まれて征士くんの方を向かされ、抱きすくめられる。そのまま、無理矢理唇を重ねられた。
「…………!」
私は思いきり、彼を突き飛ばした。出入り口に向かって走り、出口のところで振り返った。
「大っキライ!! 二度と顔を見せないで!」
私はリスニングルームを飛び出し、そのまま校舎を走り去った。
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