26 婚約解消

 今日は土曜日で、大学の講義は取っていない。

 椎名さんは一応、妥当と思われる金額の慰謝料を持って出かけていった。

 あちらが金額を不満と思うのならば、いくらでも上乗せして構わないと父が言っていた。



 随分陽が傾いてから、椎名さんは戻ってきた。瀬戸家は全員在宅していたそうで、寝耳に水の話に大分驚いたらしい。婚約解消の理由をかなり問われたようだが、それは椎名さんに話していないので答えようがなく、それで時間がかかってしまったとか。

 慰謝料は遠慮されたとのことだが、一方的な婚約破棄なので強引に置いてきたと椎名さんは言った。

 応接間で話していると、豊永さんが電話の受話器を持って入ってきた。


「月乃さん、征士さんからお電話です」

「私に、電話?」


 正直征士くんとは話したくない。婚約解消の理由を問われるに決まっている。理由は、彼が一番わかっているだろうに。


「電話に出たくない……。私は具合が悪いということで、申し訳ありませんが、椎名さん代わっていただけます?」

「わかりました」


 椎名さんが電話に出てくれた。


「お電話代わりました。先程お伺いした椎名です。…………申し訳ありませんが、月乃さんの体調がすぐれないので代理とさせていただいています。…………ですから先程説明させていただいた通り、虹川家の事情での婚約解消です。こちらの事情ですので、理由はお話出来ません。慰謝料や勤務先状況など、不都合がございましたら、先程お渡ししました私の名刺に記入してある電話番号におかけください。それでは失礼いたします」


 椎名さんは電話を切った。私はお礼を言った。


「電話代わっていただいて、ありがとうございます」

「とんでもないことでございます」

「ああ、椎名。あちらの勤務先などの電話がかかってきたら報告してくれ。慰謝料は言い値で構わない。何かあったら連絡するように」

「わかりました」


 会釈をして椎名さんは帰っていった。



 部屋へ戻ると携帯のランプが点滅していた。見ると、征士くんからの着信やメールばかりだった。

 メールを読む気にもなれず、私は携帯の電源を切って机に置いた。


 ♦ ♦ ♦


 私は眠ってしまったようだった。夢の中をたゆたう。

 征士くんと志野谷さんが笑い合っていた。征士くんが幸せならばいいな、と思いつつ夢を渡る。あら、コマーシャルで見たこの会社、随分業績が伸びるようだわ。コマーシャルがユニークだったものね。

 眠る……眠る……。



 ものすごく眠ってしまったようだ。日曜日の夕陽が眩しい。

 豊永さんを内線で呼んで、軽い食事を用意してもらう。

 食べ終わってから、予知夢の内容を報告する為、父の書斎へ行った。


「ほう。ここの工業会社の業績が伸びそうか」

「あとは北関東産の織物の値段が上がりそうです」

「今日は随分夢を視たな。一日中眠っていたからな」


 父は機嫌良さそうに笑った。今日の夢は当たっているといいけれど。


「そういえば昼間、征士くんが来たぞ。もう跡取りでないから来なくていいと言った。月乃も顔を合わせにくいだろう?」

「……征士くんが来たんですか? それはやっぱり私も顔を合わせにくいですね」

「そうだろう。……色々あって、お前も疲れただろう。しばらくゆっくりしていていいんだからな」


 父の言う通り、精神に休養が必要なようだ。



 夕方まで眠ってしまったので、夜になっても全く眠くならない。私は図書館で借りた本や、ネットで調べた情報をもとにゼミ論文を書き始めた。

 ゼミ論に飽きたら、家で取っているたくさんの種類の新聞を読む。特に経済面は目を皿のようにして読み込む。ここで得た情報は、多少なりとも予知夢に関係するからだ。

 やがて明け方近くになって眠くなる。月曜は語学の必修科目があるが、一日くらい休んでも平気だろう。後で玲子ちゃんに訊けばいい。

 私は扉の外に『起こさないでください』と紙を貼って眠った。



 夕方目を覚まして、また父に報告する。

 大学を休んでも誰も何も言わない。

 私はそんな昼夜逆転生活を、だらだらと続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る