9 征士くんと若竹くんの試合
試合が終わった夜、征士くんから電話がかかってきた。
「試合、観たわよ! 勝てておめでとう」
『ありがとうございます。おかげさまで今年も優勝出来ました』
疲れているのか、いつもより声に元気がない。優勝する為に、きっと何試合も頑張ったのだろう。
「優勝したのね。お疲れ様。たくさん試合したんじゃない?」
『いえ、大丈夫です。月乃さんのお弁当のおかげだって、皆喜んでいました。今年も差し入れ、本当に感謝しています』
「とんでもないわ。テニス部の実力よ。皆にもおめでとうって伝えてね」
差し入れのお礼に疲れているのに電話してくるなんて、征士くんは律儀だ。
「わざわざお礼の電話、ありがとね。じゃ……」
『あ、あの……』
私が電話を切り上げようとしたら、躊躇いがちに征士くんが言葉を割り込ませてきた。何だろう。
『……えっと、あの』
「?」
『……今日、一緒に試合を観ていた方は、どなたですか?』
一瞬訝しく思ったが、若竹くんと観戦していたのを見ていたのか、と考えに至った。そういえば目が合った気がする。
「ああ、見えていたのね。たまたま同じサークルの同期の男の子と会ったの。若竹くんっていうんだけど、一年生に弟さんがいるんですって」
『若竹……? ああ、新入部員の……』
どうやら知っているらしい。私はふと、若竹くんとの約束を思い出した。
「あの、あのね。無理なお願いだって思うんだけどね。出来たら若竹くんが、征士くんと試合をしたいって言うんだけれど……。あ、勿論断ってくれて構わないからね?」
私のお願いに征士くんは黙った。それはそうだろう。いきなり見ず知らずの大学生に試合を申し込まれて、戸惑うに決まっている。
しかし沈黙も束の間、征士くんはあっさり了承した。
『いいですよ。大学まで行きましょうか』
「え、いいの?」
『はい。日時や場所が決まったら、教えてください』
そう言って、挨拶してから電話は切れた。私は若竹くんとの試合を受けてくれたことを意外に思った。
ともあれ、きっと若竹くんは喜んでくれるだろう。私は若竹くんに、征士くんが試合を引き受けてくれた旨をメールした。
♦ ♦ ♦
いつもの大学の第二テニスコート。
私は予め、部長の関さんを始め先輩方に、今日の征士くんと若竹くんの試合の許可を取っていた。
ついでに征士くんには『虹川先輩』と呼んでもらうことを約束していた。何だか学校内で名前呼びは恥ずかしい。
征士くんは時間通りにコートへ現れた。言っておいたのに、黒髪の美少年が姿を見せると女子達がざわついた。私は征士くんに近寄った。
「わざわざ大学まで来てもらっちゃってごめんね」
「構いませんよ。僕もいい勉強になります」
「その子が瀬戸くん?」
いつの間にか、弥生さんと玲子ちゃんが背後に来ていた。
「あ、はい。中等部の瀬戸征士くんです。瀬戸くん、こちらは同じ文学部の千葉弥生さんと、同級生の神田玲子ちゃん」
「千葉先輩と、神田先輩ですね。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ。若竹が無茶言ってごめんねー?」
それから関さんや他のサークルの人達にも紹介した後、いつものように皆で身体をほぐした。
「やったー! 瀬戸と試合が出来る!」
若竹くんは今日を待ち望んでいたようだ。見ていて微笑ましい。
一番端のコートで先輩に審判を頼み、征士くんと相対した。当たり前だが、征士くんより若竹くんの方が身長も高いし身体つきもしっかりしている。
若竹くんは大学生として、征士くんに先にサービスを譲った。
私は弥生さんと玲子ちゃんとコート脇に陣取って、試合を見守ることにした。
「では、試合始め!」
先輩の言葉に従って若竹くんは構えを取る。征士くんは高くボールをトスした。
「えっ?!」
征士くんのサービスは、目にもとまらぬ速さでサービスラインぎりぎりを掠め、更に横に飛んでいった。若竹くんは一歩も動けなかった。
「すっげー……。初っ端からノータッチエース」
「しかも、すごいスライスだったね……」
私は弥生さんに耳打ちした。
「今の、全然若竹くん動けなかったみたいですけど……」
「ああ、中等部の子があんな速さで変化球を打てると思わなかったんだろうね。だけど、本当にすごいスライスだったなあ」
「変化球? 見分けがつきませんが……」
話しているうちにまた征士くんがサービスを打つ。若竹くんは必死に球を追うが、全く届かなかった。
1ゲームの中で、若竹くんは一回もボールに触れなかった。
今度は若竹くんのサービスの番だ。若竹くんはテニス大好きと公言するだけあって、普段先輩達との試合でも良い勝負をしている。決して下手な訳ではない。むしろ、サークルの中では上手な方だ。
しかし、あっさりゲームはブレイクされてしまった。征士くんのスマッシュはすごすぎだ。
最後の方はようやく征士くんのサービスに対応出来るようになってきたが、あっさり打ち返されてしまう。結局若竹くんは1ゲームも取ることが出来ずに、試合は終わってしまった。
「ちっくしょう!」
若竹くんが悔しそうに叫んだ。まさか、中等部の二年生相手に1ゲームも取れないなんて! とタオルを叩きつけている。征士くんは「ありがとうございました」と、すっきりしたような、涼しげな顔をしていた。
征士くんはその後別の先輩達に何試合か試合を申し込まれ、試合をしていたが、サークルで一番上手な三年の石田さんには苦戦していた。
石田さんは上背がある男子学生で、打つ球も力強い。さすがの征士くんも石田さんには負けてしまった。
「また来てね!」
「今度はゲーム取るからな!」
「是非、初心者も見てやって欲しいなあ」
征士くんは帰り際、サークル仲間達に口々に声をかけられていた。
私も来てくれてありがとう、とお礼を言った。
「いいえ、こちらこそいい練習になりました。……若竹先輩に勝てて、良かったです」
「若竹くんに勝てて? 若竹くんが試合を申し込んだから?」
「まあ……そんなところです。では、また」
そう言って、征士くんは帰っていった。
若竹くんがそれから猛特訓を始めたのは、別の話。
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