法と民主主義の守護者
しげ・フォン・ニーダーサイタマ
露出狂を取り締まれ
春の日差しが心地よい中、2人の男が閑静な町を歩いていた。一見すれば兄弟か友人同士でのどかな散歩を楽しんでいるようだが、その実彼らはコートに下の警棒と拳銃を隠し持ち、さらには国家権力で武装した私服警官であった。
今日は町議選の投票日であり、人出が多い。であれば投票に行くために家を空けた所を狙った空き巣が増加する可能性も高まり、それを防止するために彼らはパトロールを行っていた。投票所の警備も民主主義を守るための立派な仕事であろう、しかし選挙は日常生活が守られてこそ正常に運営出来るものだ。そのために彼らは町を練り歩き、陰から市民の生活を守るのだ。
「通行人を注意深く観察しろ。何も空き巣だけではない、薬物所持者、
薄手のトレンチコートの男、
「選挙の日にですか?」
モッズコートの男、田中が怪訝そうな顔で尋ねる。彼は諸出の後輩にあたる、新米警官だ。
「犯罪者にも投票権はあるからな。それが民主主義だ」
だが法を犯していれば容赦なく逮捕する、それもまた法の下の民主主義だ――その言葉で田中は己の浅薄な考えを恥じ、気を引き締めて周囲を見渡した。すると早速、怪しげな男を見つけた。
「先輩、あの男」
「ああ」
視線の先では、膝丈の黒いコートを着た男が歩いていた。ニット帽にサングラス、マスクを着用している。春の日差しが温かいこの日にしては、やや厚着と言えよう。「季節感のない服装の者は疑え」――パトロールの基本だ。早速2人は職務質問をしようと男に近づく。
「すみません、ちょっと良いですか? 警察のものです」
田中はモッズコートのポケットから警察手帳を取り出し、男に見せる。サングラスとマスクで表情は見えないが、わずかに揺れた肩から動揺が見て取れた。
「な、なんですか」
「職務質問させて頂きたく。ご職業は?」
「無職です」
「今は何をしているところだったんですか?」
「……せ、選挙に行くところです」
――ウソだ。田中の目が厳しくなる。何故なら男の進行方向は、投票所とは真逆だったからだ。
「なら入場整理券をお持ちのはずですよね? 持ち物、見せて頂いてもよろしいですか?」
「な、何も持ってないですよ!」
男はほとんど叫ぶようにして言い、一歩下がった。逃げる気か――そう思ったが、いつの間にか諸出が男の背後に回り退路を塞いでいた。彼は手練の警察官であり、男の行動を先読みしていたのだ。
「何も? 入場整理券はお持ちでない?」
「わ、忘れた! 全部家に忘れてきてしまいました!」
「そうなんですかあ。でも本当に何も持っていないか確かめさせてもらいますね?」
田中は男の身体を触り始める。やや強引だが、何か見つけてしまえばこっちのものだ。国家権力を盾に身体検査を行う。
「……?」
田中は奇妙な感触に戸惑った。コートのポケットや、モノを隠せそうな場所を一通り触ったが、何もなかったのだ。否、何も無さすぎたのだ――コートの下にあるべき服などの感触すら。田中は諸出に目配せをする。諸出は小さく頷き、男との距離を縮めた。
「お兄さん、ちょっとそのコート脱いで貰えますか」
田中の声色はもはや許可を取るなどという生易しいものではなく、言外に命令する力強さがあった。
「…………ウオオオオオオオオオオオッ!!」
突如男が咆哮した。破れかぶれになった彼は自らコートのボタンを引きちぎり、その中身――中年男性のたるんだ裸体を白日の下に晒した。
「そうさ、俺は露出狂! 両親が選挙に出かけているあいだお留守番の言いつけを守れず外に出てしまった元気な女子小学生に自分の陰部を見せることでしか性的興奮を覚えられない男だ!」
「なんたるニッチな性癖!」
2人の警官は戦慄し身構えた。既に男は公然わいせつ罪に該当し、今すぐ手錠をかけても良いところだ。しかし男の目には抵抗の意思が宿っており、何をしでかすかわからない鬼迫があり――それが警官たちの判断をコンマ1秒遅らせた。
「あああああああああああああああッ!!」
そして男はその一瞬の隙をつき、背後に居る諸出に体当たりを仕掛け逃走を試みた。諸出は体当たりの衝撃を足さばきで逃し、男のコートの袖を掴んだ。しかし男は両腕を後方に突き出し袖から腕を引き抜き、全裸となって拘束を逃れた。さらには後方に腕を突き出した姿勢のまま――つまりNARUT●走りと呼ばれる特殊走法で逃走を開始した。
「待て!」
2人の警官が追い、全裸中年N●RUTOが逃げる。男が角を曲がり、一瞬その姿が見えなくなる。次の瞬間、甲高い悲鳴があがった。
「キャー! 助けて!」
「貴様ァ! その娘を放せ!」
追いついた2人の警官の目に飛び込んで来たのは、男が女児を羽交い締めにし、盾のごとく掲げる姿であった。女児は足をばたつかせるが、その身体は完全に宙に浮いており、足は虚しく宙を切るだけだ。
「助けておかあさーん! 両親が選挙に出かけているあいだお留守番の言いつけを守れず外に出てしまった元気な女子小学生でごめんなさい! 次の衆院選の時はいい子にしてるから助けてー!」
「ゲヘヘヘヘ! 警察に追われていたら、両親が選挙に出かけているあいだお留守番の言いつけを守れず外に出てしまった元気な女子小学生に出会うとはなんたる僥倖! オラァ、クソ警官ども、離れろ! この、両親が選挙に出かけているあいだお留守番の言いつけを守れず外に出てしまった元気な女子小学生がどうなっても良いのかァ!?」
「やめろ! あと長いから両親が選挙に出かけているあいだお留守番の言いつけを守れず外に出てしまった元気な女子小学生呼ばわりもやめろ!」
「この女児がどうなっても良いのかァ!?」
「よし……いや良くはない! 貴様ァ、その娘を解放しろ!」
田中は額に嫌な汗を滲ませながら判断に迷った。新人警官である彼はこのような修羅場は初めてだったのだ。横目で諸出を見る。
「先輩、どうすれば……!?」
「幸いヤツは
そう、男は全裸である。武器は持っていない――せいぜい股間の薄汚い槍程度のものだ。田中は頷き、モッズコートの前を開き、腰の警棒吊りから警棒を抜いた。諸出もまた、トレンチコートの前を開き、全裸の腰に巻かれたベルトに取り付けた警棒吊りから警棒を引き抜いた。
「えっ」
「あっ」
そう、諸出もまたトレンチコートの下は全裸であった。布といえるのは警棒吊り、拳銃をおさめるホルスターだけであり、その他はもろ出しであった。
「キャー! 全裸中年男性に捕まって2人の警官が助けに来てくれたと思ったら全裸中年男性が2人に増えた!」
そうだね。
「先輩……!?何やってるんですか……!」
諸出は田中の先輩だ。警察官としての実務を教え、教科書には書いていない様々なインストラクションを施してくれた。少なからず寄せていた信頼と敬意――そういったものは、田中が開いたトレンチコートから虚空に放たれたがごとく、抜け落ちてしまった。今や諸出は先輩警官ではなく、全裸で警棒を持っている、危険な武装全裸中年男性である。
「すまんな田中……お前には言ってなかったが、俺はコートの下を全裸でパトロールしている時にしか性的興奮を覚えられない男なんだ」
「言われてたらその時点で告発してますよ」
「田中、お前の失望もわかる。しかし今はあの露出狂を逮捕し、女児の安全を確保する事が先決だ」
「いやあんたも露出狂だが!?」
「考えてみろ田中、警察官が武装犯を射殺しても殺人罪には問われない。ならば露出狂が露出狂を逮捕しても私は裁かれないのではないか? 法と国家権力とはそういうものだ」
「国家権力曲解してんじゃねえ!!」
「キャー! 内輪もめしてないで助けて!」
そうだね。
「女児もああ言っている、一刻も早く助けてあげなければ!」
「釈然としないけど、わかりましたよ……!」
「私が交渉で隙を作る、お前はその瞬間にヤツを逮捕しろ」
「交渉……!?」
「露出狂同士、通ずるものがあるやもしれん」
「死ね」
田中の心無い罵倒をよそに、
「もうやめないか、君! そうやって女児を苦しませることがお前の性癖に適うことなのか!?」
「なんだと!?」
「君は、両親が選挙に出かけているあいだお留守番の言いつけを守れず外に出てしまった元気な女子小学生に自分の陰部を見せることでしか性的興奮を覚えられない男だ。今この状況――女児を羽交い締めにしている状態では、陰部を見せられないではないか」
「むッ、確かに」
男は愕然とした。諸出は手練の警官であり、犯罪者に自らのミスを気づかせ動揺を誘う手管にも長けている。その手管は一人の露出狂となった今でも褪せることなく発揮された。彼は追撃を仕掛ける。
「私はコートの下を全裸でパトロールしている時にしか性的興奮を覚えられない男。思えば警察官人生20年、もう十分に性的欲求を満たしてきたように思える。いや、満たしすぎたやもしれん」
「ねえ20年もそれやってたの先輩?」
「――私はもう満足した。そろそろ潮時だろう。だから君も、己の欲求を満たしてすっきりしよう。そして一緒にお縄につこう」
「ねえ何言ってるの先輩?」
「……日本は良い国だ。町議選、町長選、県議選、知事選、衆院選、参院選……偉大な先達たちが守った民主主義のおかげで、俺は頻繁に性的欲求を満たせた。ああ、確かに俺のような変態には出来すぎた国だ。そんな偉大な国の法を破り続けるワケにはいかねえ」
「きみ……!」
「俺、これを最後にお縄につくよ……すまない女児よ、こんな情けない俺をどうか、見送ってはくれないか」
意図に気づいた色室が駆け出すより早く、
◆
2人の露出狂が逮捕された。手錠をかけられた2人がパトカーで警察署へと護送されるなか、投票を終えた大人たちがそれぞれの帰路についていた。
やがて、両親が選挙に出かけているあいだお留守番の言いつけを守れず外に出てしまった元気な女子小学生のもとに、両親が帰ってきた。父親は、女児の隣に田中が立っていることを怪訝に思ったが、しかし誇らしげな表情で手を振った。
「おおーい、
「おかえり、パパ!」
女児にはまだ
「パパ、
「いいや、偉くなんかはないさ……これはね、大人の義務なんだよ。お前のお爺ちゃんや、ひいお爺ちゃんが作った大切なものを守るため。そしてお前たちにそれを受け継がせるため、必ずやらなくちゃいけないことなんだ」
この町の投票率は高かった。先達が作り上げた尊い法と民主主義は自分たちで守る。そしてそれを次世代に伝えなければならない。そのためには投票に行くしかない。――そういう気概に満ちていた。
田中はその様子を見て、自分が法と民主主義を守ったことを実感した。
今や夕焼けが町を照らし、パトカーの赤ランプを茜色で覆い隠していた――パトカーに乗せられた2人の露出狂の股間は、静かに
法と民主主義の守護者 しげ・フォン・ニーダーサイタマ @fjam
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