011 ギリシャ神話の神
「――んっ。あれ? 気のせいかな」
一瞬、目の前が真っ白になった――。
瞬きをするよりも短い、閃光のような刺激だったと思う。
「にしてもウェーク島か。航空機部隊との連携訓練かな」
「え? 何だって?」
まや型護衛艦〈たるまえ〉のガスタービン員である木村。
エンジンの点検を行い、ハッチを閉める際にふと独り言を呟く。
その口元が同僚の目に留まってしまった。
「はは、ここじゃあ聞こえないわな」
「ええ!? 聞こえねーぞぉ木村!?」
ホノルル港を出航した演習艦隊へ最初に開示された工程は《ウェーク島へ向かえ》であった。
複雑かつボリュームのある演習だと知らされていたが、今週の指示はそれだけだ。
演習に参加している30隻以上の艦艇。
その搭乗員のほとんどが『あれだけ気構えていたのに』と拍子抜けしてしまう。
「1号
ガスタービンエンジンの点検を終え、機関長へ報告する木村。
長期間の演習となるため、気を引き締めて任務に臨んでいる。
「なあ、木村、さっき何て言ってたんだ?」
「え? ああ、ウェーク島か。ってね」
昼食時間、機関課の同僚と一緒に配膳の列に並ぶ。
艦内共通の話題は、やはり演習の内容についてだった。
「ウェーク島ねえ。ゲームでよく出てるよな」
「戦車で疾走するよな」
「っそれやるやる! ハハハ」
昼食のアジフライ定食をつつきながら、たわいなく談笑をする木村達。
付け合わせのポテトサラダが美味い。
そういえば「コンソメを入れると味がまとまりやすい」と坂元が言っていたのを思い出す。
「なあ木村、先週一緒に居たネーチャン達は一体何なんだ?」
「っん、ああ、あれね……」
結局、木村達は6日間あった補給期間の半分以上をテイラー達と共に過ごした。
謎の仲良しグループ誕生に、護衛艦〈たるまえ〉内でも多少の話題になっているのだ。
「そうですよ、木村2曹! 私も知りたいです」
「うん、成り行きだよ、成り行き!」
「っあー、そうやって隠すって事はもしかして……ナンパでもしたんすか?」
木村は間違っていない。
成り行きなのだ。
突如として美女2人に話しかけられ、坂元とアビーが意気投合し、その付属品として自分とテイラーがずっと一緒に居た。
「……ははは、そんな余裕ねえよ」
テイラーにイジり倒された記憶が蘇る。
少しだけ食欲が落ちたが、このアジフライは美味い。
木村はそのまま完食し、席を立つ。
「……ごちそうさま。ちょっくら休憩してくるわ」
「っえぇ、おかわりしないのか。珍しいな」
いつも2人前は平らげる木村だが、今日はおかわりせずにそのままランチプレートを洗い場に戻し、休憩のため自室へと向かう。
「……何かあったんじゃないすか、木村2曹」
「うーん、余計な事聞いちまったかな?」
木村に悪い事でも言ってしまったのだろうか、同僚達は少しだけ彼を心配しながら食事を続けるのだった。
「――っお、テイラーか」
自分のベッドで横になりながらスマホを弄り、テイラーから先週勧められた無料通話アプリ〈ハワユ〉をチェックする木村。
出航直前くらいに彼女からメッセージが届いていた。
「っはは、相変わらず良い笑顔してんな」
テイラーが自室で撮ったアビーとのツーショット。
2人とも本当に仲が良いのだなと思える程、屈託のない笑顔をしている。
「……よっと」
写真付きで返信したほうが良いだろう。
上体を起こし、木村はぎこちない笑顔で慣れない自撮りに挑戦する。
「難しいな……」
6枚程撮影し、良さげな写真をピックアップ。メッセージを打ち込みテイラーに送信する。
《送信エラー。ネットワークがありません》
「――あれ」
洋上だし通信ができないのは当たり前――という訳でもない。
かつて、出航後の護衛艦は通信環境や守秘義務の観点から、携帯電話など個人的な通信端末の利用は制限されていた事があった。
しかし、それも今や過去の話だ。
最近では通信技術の向上により、外洋でもほぼ自由にスマホで情報閲覧が可能となっている。
そして2026年現在、海上自衛隊の人員不足は深刻だ。
多くの若者から抱かれている閉鎖的なイメージ払拭の為、艦内でのスマホ使用は大幅に緩和されるに至った。
任務中や機密性の高い場所へスマホを持ち込めない以外は、どのような使い方をしようが個人の自由なのだ。
「なんで送れないんだ」
繰り返すも《送信エラー》となる。
戦闘態勢でもないし、通信制限がかかるなど周知は無かったはず――。
「よお、木村、なんだかスマホが繋がらんのだが、お前はどうだ?」
「おお、石川。俺もだわ」
スマホ片手に自分のベッドへ戻って来た同僚、石川
木村に話しかけながらベッド天井に手をかけ、何度か画面をタップしている様子だ。
やはり彼の端末も通信が取れていないようである。
「……圏外。妨害電波系の演習かな?」
「なら戦闘態勢とか、教練関係の周知があっても良くないか?」
休憩時間はゆっくり休めそうにも無い。
互いにスマホ画面を見ながら首を傾げる2人であった。
「――艦艇同士の通信は問題無さそうだがな」
あたご型護衛艦〈ようてい〉の司令公室に設置されている海上自衛隊司令部。
三土慎一郎海将補は艦長ら幹部と共に座り、各艦艇幹部を交えた緊急のビデオ会議に参加している。
ビデオ会議では日本語と英語が入り混じり、つい先ほどから発生している通信障害についての対策が協議されている最中だ。
{何かご存知ではないのですか、海将補}
本件について統幕から何らかの情報を得ていないかと、あさひ型汎用護衛艦〈うすづき〉艦長がビデオ会議を通じて三土に尋ねる。
しかし、三土は頭を捻るのみであった。
『さあ、先ほどから携帯電話やGPSが通じない。諸君は何故だと思う?』
旗艦となる揚陸指揮艦〈グレート・スモーキー〉に座上し、同ビデオ会議に参加している司令官、ケビン・マクドナルド中将。
国防総省からは何も情報の開示が無いまま音信不通となった。
原因や可能性を探るため、情報収集も兼ねて参加者全員へ質問を投げかける。
『やはり、これも演習の一部だと考えるべきではないですかな? 単なる通信障害にしてはあまりにも徹底的すぎる』
アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦〈イーサン・ロドリゲス〉艦長のガドフリー・サンダース中佐は、今回の通信障害は極めて不自然であり、人為的なモノであると主張する。
『ううん、そうですね、しかしながらGPSすら繋がりません。それも、気象衛星など含め全ての信号が拾えない。どこかの国の地上波放送など、微弱電波すら傍受できないのは流石に説明が付かないのでは』
別の米軍艦の艦長が返答する。
今回、通信ができるのは身内同士だけ――演習艦隊間の通信のみだ。
国防総省や統合幕僚監部との疎通さえできない。
『巧妙な妨害電波の可能性はないでしょうかね?』
自衛隊艦艇の艦長が英語で議論に参加する。
今週はウェーク島への航海のみが任務だ。
しかし、その過程でさまざまな妨害を想定した訓練が組み込まれている事は否定できない。
『……どうでしょう。艦艇同士の通信は極めて良好であり。ECMなどジャマーのような電波の乱れは一切確認できていません』
まや型護衛艦〈たるまえ〉の船務長、桐生和久3等海佐が返答する。
妨害電波にしては不自然だ。
何せ、どの周波数を使用しても通信設備は問題なく作動し、艦艇同士のやりとりに一切の悪影響が無い。
「まるで、我々だけ別世界の海に迷い込んだような状況ですね」
〈ようてい〉艦長の宮里
呑み込み難い状況だ。
レーダーも正常であり、互いを認識し合える。
「本当に、そうとしか思えん状況だよな」
三土はそう言うと、そっと目を閉じながら項垂れるように頷いた。
『マクドナルド司令、まずはGPSなど正確な情報把握が出来ない以上、座標の再確認が必要かと。ひとまず戦闘態勢を取って警戒を厳にしつつ、現在位置を調査するのはいかがでしょうか』
項垂れる三土を一瞥し、宮里は英語でマクドナルドへ進言する。
通信設備に異常が見つからないのでは原因の切り分けようが無い。
不審なモノが接近している様子も無いため、まずは艦隊全体で方針を決めるべきだと判断した。
『うむ。その辺りはすでに検討済みだ。この会議が終わり次第、全艦戦闘態勢を取り、その間ホークアイでホノルルとの正確な距離を再測定しようと考えている』
全艦のレーダーを用いても、午前中に出航したはずのホノルル方面には陸地が一切確認できない。
そこで、米海軍は空母〈アーノルド・モーガン〉艦載機の早期警戒機〈E-2:通称ホークアイ〉を飛ばし、これから最寄りの陸地の探索を実施するつもりでいる。
本来ならばハワイの沿岸からそれほど離れていないため、現在の正確な位置を割り出す事が出来るはずだ。
『やはり、他に面白い案は出て来ないかね。では、緊急会議を終了する。続いて全艦、戦闘態勢――』
『アー、テステス、うぉっほん』
マクドナルドが指令を出す直前、若い女性の音声がスピーカーから聞こえてきた。
『……なんだ、貴様』
指令を邪魔した甲高い声に、低い声で威嚇するように質問をするマクドナルド。
ビデオ会議の画面に注目すると、1人見知らぬ若い女が映り込んでいる。
『アッハハ、やりました♪ 電波ジャック成功〜』
各艦艇の代表者が並ぶビデオ会議に、突如追加された1枠。
白金の髪、西洋人のような顔立ちで、やや露出の多い白い服を纏った少女のような人物が映っている。
『フンフン、私の技術も捨てたもんじゃありませんね、ヘルメス』
『いえ、私の協力があってこそでは無かったですか? アテナ』
金髪の短いパーマをかけたような、同じく西洋人のような若い男が同じ画面に映り込む。
やはり白い服を着ており、ところどころ金の装飾品を身につけている。
『――で、貴様らは一体何なのだ? 電波ジャック? この通話には絶対に外部から侵入できん筈だがね』
一部では”鬼の中将”とも呼ばれ、”第7艦隊の中で絶対に怒らせてはいけない人物”としても知れ渡っているマクドナルド。
低い声に加え、見る見るうちに冷たい眼差しへと変貌する。
彼を怒らせた者は、例え大佐であっても直後数時間は廃人のように眼が死に、生気を失ったように意気消沈するらしい。
ひょうきんな態度で画面に映る2人の若者に対し、マクドナルドは明らかに苛立ちの表情を浮かべている。軒並みの米軍幹部達は顔が青ざめ、生きた心地を失うばかりだ。
『――あぁ、うぉっほん! 申し遅れました。私は、この世界の〈グリスの地〉を統べる〈オリュンポス十二神〉が1柱、アテナと申します』
『同じく、〈オリュンポス十二神〉が1柱、ヘルメス』
不機嫌な司令官を気にも留めず、突如として気品にあふれた振る舞いで名乗り始める2人。あまりの美しさに神々しさすら感じられる。
それに、彼らの音声はビデオ会議のスピーカー越しなはずだが、明瞭で非常に聞き取りやすい。
『……ふむ。自分達をギリシャ神話の神だと言うのかね』
依然、マクドナルドの表情は険しい。
演習の指令を邪魔され、何故か今は自称神の若者2人と会話している。
両肘を乗せている机を今にも叩き割りそうな形相だ。
『ああ、そうでしたね。あなた方の世界では〈ギリシャ神話〉として語られていたのでしたっけ』
左手の人差し指を軽く下唇に当て、何かを思い出すかのように視線を上げながら話す自称アテナ。
そして何かを思いついたように口角を上げ、ポツリと一言呟く。
『ウェーク島へ向かえ』
『『『――!』』』
ビデオ会議の参加者達がザワつき始める。演習工程の詳細は非公表であり、部外者は絶対に知る事のできない情報だからだ。
『貴様……アテナと名乗っていたか。それを知っているという事は、君は国防総省と何らか関係があるという事かね?』
『いいえ、関係ありません』
薄らと笑みを浮かべながら、きっぱりと返答するアテナ。
清楚を体現したかのような、邪心の欠片も感じられない透き通るような笑顔をしている。
『ですが、この指示は私達があなた方に通達しました』
続けてヘルメスが語る。アテナと同様、清楚で透き通った青年のような出立ちだ。
好青年――と言うよりは、古代の王族のような印象を受ける。
『――話が呑み込めん。つまりどう言う事だ?』
会議の流れに釣られ、三土も英語で問いかける。
『皆さん、ホノルルを出航した後、ほんの一瞬だけ閃光を感じたでしょう?』
続けてヘルメスが話し続ける。
そして全員、ヘルメスが言う〈閃光〉に心当たりがある事に気づく。
『あれは気のせいでは無かったのか』
『私も感じました。皆さんもだったのですか』
各艦の艦長達が互いに確認し合う。
確かに午前中〈閃光〉を感じた。瞬きをするよりも短く、単なる気のせいだと思っていた。
『確かに、そのあたりから隊員達が騒がしくなり始めたような――』
『ハイ、その通りです♪ 皆さんはその頃からこちらの世界にいらっしゃっています』
満面の笑みで嬉しそうに述べるアテナ。
どこか惹き込まれるような、まさに女神とも言える美しさを感じられる。
『ふうむ、しかし、電波ジャックはつい今しがた成功したのではなかったのかね』
鬼のような表情が薄れ、手の甲で頬杖を付きながら発言するマクドナルド。
その様子を見た各々は安堵し、ほっとひと息つく者もいた。
『ああ、そうですね。でも午前中のアレはジャックではなく、ただ情報発信しただけですよ』
『……いや、確かに電子署名は国防総省だったはずだが』
ホノルル出航後、予定では午前11時15分に旗艦〈グレート・スモーキー〉が国防総省からの通達を受けるはずであった。
それが実際には11時04分に届く。
発信元の周波数は事前の周知と一致していたし、電子署名も国防総省で間違いは無かった。
ひとまずは通達に従い、進路をウェーク島へ向けたのだ。
当然、時間のズレに関して疑問を感じていたマクドナルド達は国防総省へ確認の連絡を取った。
その直後辺りに、例の〈閃光〉を感じたのを覚えている。
とはいえ、電子署名を偽造することは基本的に不可能なはず――。
『そうですね、私達、神ですから』
『このような事、造作もないと言えば嘘になりますが、不可能では無かったですね。中々面白い暗号化でした』
涼しい表情で返答するアテナとヘルメス。
神なら何でも有りとでも言いたいのであろうか――。マクドナルドは少し眉を顰める。
『この艦隊は、私達の矛として、そして盾としてそのお力をお借り致します』
アテナの発言に、幹部達は再びザワついた。
『それは、決定事項なのか? どのような権限だ?』
まや型護衛艦〈たるまえ〉艦長の的場
まじまじと画面を眺めながら腕を組み、眉間をつまみながらアテナ達に質問する。
『はい。もう決定事項です。権限……そうですね、神の権限とでも言えばいいでしょうか』
『でもご安心を。あちらの世界では、あなた達は一生懸命本来の仕事をしていますから』
ヘルメスとアテナが交互に答える。
あちらの世界とは何か。日米双方の参加者達はいまだに理解が追いつかないでいる。
『これまでの常識は棄ててください。あなた方は既に異世界へと来られたのですから』
続けてヘルメスは、既にここは異世界であると語る。
一瞬とも言えないような不思議な刺激を感じ、気づけばGPSの信号が確認できなくなった。
確かに、待てど国防総省からの返答も無く、外部から一切の電波を受信する事も無いのだ。
根本的に人工の電波が存在しない世界――異世界。
気になる点を度外視して考えるならば一番筋が通る話ではある。
『埒が明かないな。異世界だと? 君達が神と名乗っている根拠は何だ? それとも、本当に神だと言うのならば証拠はあるのかね?』
サンダース中佐が問いかける。
神の気分に浸っている愚かなハッカーかもしれない。全てを鵜呑みにするのは時期尚早というものだ。
『うーん……そうですね。では――』
{――前方に2つの飛翔……浮遊物体を確認っ}
突如、各艦艇の艦橋にて航海員が声を上げ、即座にCICへ通達される。
前方に浮遊する2つの物体――人物のようなモノが視認されたとの事だ。
{護衛艦〈たるまえ〉CICより司令部。進行方向
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます