009 日米合同演習〈リエクス〉
〈リエクス(Regain of the Island Exercise)〉。
自国の離島防衛の一環として新たに計画された、日米合同の大規模な実働演習だ。
既存の離島防衛訓練としては米国主導の〈ドーン・ブリッツ(Dawn Blitz)〉などがあるが、この度の〈リエクス〉は、より艦隊行動を重点に置いた内容となる。
参加人員約18,000人、実施期間は約3ヶ月半。
実際のところ、これまで最大規模とされてきた多国間合同演習〈リムパック(Rim of the Pacific Exercise)〉にも匹敵する規模ながら、参加国が日本と米国だけという排他的な構成に対する批判はかなり挙がっていた。
しかし昨今、一部国家による強行的な太平洋進出は看過できないケースが散見される。
そのため、日米安全保障条約に基づく太平洋防衛の重要性が再認識され、日本の海上自衛隊および米海軍太平洋艦隊の更なる即応力強化が求められるようになったのだ。
本演習には”占拠および基地化された離島および周辺海域の奪還”を目的とした、広範囲かつ攻撃的な演習が含まれている。
その機動力と火力を示す事で、不当な海洋進出を企てる国家に対しての抑止力として、相当の役割を発揮する事になるのだ。
『アビー、あなた宛てに手紙が来ているわ』
『あら、ありがとう』
女性水兵がベッドルームに戻りがてら、1通の手紙を同僚へ手渡す。
『ふうん、パパからだわ』
『パパと仲が良いものね、アビー』
ハワイ、ホノルル港に停泊中のニミッツ級航空母艦〈アーノルド・モーガン〉。
5,680名もの人員を擁する、米海軍第3艦隊所属の巨大な軍艦だ。
大規模演習〈リエクス〉へ参加する艦艇が続々と向かって来る間、ひと足先に到着した本艦は現在、補給も含めて簡単な調整を行っている最中である。
一部の乗組員は時間に余裕があるため、自室でくつろいだり、ハンガーでバスケットボールを楽しんだりなど思い思いの時間を過ごす。
なお、ニミッツ級空母は居住区の部屋ごとに郵便番号が割り振られており、艦内の
さらに物資の空輸にも対応しており、本艦を住所として記入することでAmaz●nなどの通販も利用できるのである。
『そうよ。ふふっ、トーマスったらパパに甘えてるわ』
パパとじゃれあう愛犬の可愛らしい姿。
一瞬で顔がほころびたアビーはそのまま同封の写真を見つめ、軍人らしくない華奢な指で手紙の裏面を優しく撫でる。
『本当にカワイイわね。ボーダーコリーでしょう?』
『ええ、そうよ。帰ったらうんと遊んであげるんだから――』
『――おはようございます。マクドナルド中将』
『おはよう、三土海将補。よく眠れましたかな?』
『ええ、しかしここの朝食は美味いですな』
『ハハハ、それは自衛隊も同じ事でしょう』
日本からホノルルへ向けて航行中の揚陸指揮艦〈グレート・スモーキー〉にて歓談する男性2人。
海上自衛隊の三土慎一郎海将補と米海軍第7艦隊司令ケビン・マクドナルド中将は、演習の旗艦となるこの〈グレート・スモーキー〉にて朝食後の意見交換を行っている。
「……ふうむ」
今回、海上自衛隊側の担当官として参加している三土。落ち着いているように見えるが、実際はかなりのプレッシャーを感じている。
そもそもの話として、敵国基地の攻撃を想定した演習というのは、我が国にとってかなりセンシティブな設定だ。
それに加え、昨今の国際情勢は極めて不安定であり、そんな中で新たに策定された大規模演習となれば日本国内でも注目度はかなり高くなる。
その責任者という立場は、想像を絶する重圧との戦いでもあるのだ。
マクドナルドもそれは承知しており、自身としてもなるべく失敗は避けたい。
互いの連携をスムーズにする意味も含め、司令官権限で時折この〈グレート・スモーキー〉へ三土を客扱いで招待することとした。
結果的に互いの関係も良くなるだろうと踏んでおり、今後とも継続したいと考えている。今回がその一回目だ。
『しかし、いくら演習と言えども、オハイオ級潜水艦が本作戦に同行するのは流石に承服できかねるのですが』
穏やかな口調だが、三土はやや不満を抱いている。
〈オハイオ級〉原子力潜水艦は戦術核〈トライデントミサイル〉を運用しており、”自国へ大量破壊的な攻撃をした、もしくはしようとする他国への報復”を任務とする潜水艦だ。
そのため、自衛隊が共に行動を取るにはイメージが悪いという考え方も根強い。
『フム、これは先ほど知った情報だが、3番艦の〈フロリダ〉との事だ。となれば、〈トライデント〉は搭載しておらず、代わりにトマホークを154発保有している。それなら今回のコンセプトにはマッチしていると思うが』
『……それは判りますが、わざわざオハイオ級を導入しなくても良かったのでは? 何か意図があるとしか思えませんな』
実のところ、大まかな期間と艦隊構成以外、司令官であるマクドナルドですら詳細を知らされていない。
演習工程においては、全艦艇でホノルルを出港してから初めて開示される予定になっており、日本を出発したばかりの現段階ではそれほどやる事がないというのが実情だ。
なお、開示される内容は都度1週間分のみとの事。
これより毎週月曜日の午前中に、国防総省もしくは統合幕僚監部より〈グレート・スモーキー〉へ新たな演習工程の詳細が通達される。
つまり、前もっての入念な打ち合わせが出来ないのだ。
《硫黄島へ行け》と指示された1週間後には、《西海岸へ向かえ》などと命令されるかもしれない。
”即応力強化”がコンセプトとはいえ、ここまで臨機応変さを求める演習はそうそう無いだろう。
もはや幹部殺しとも言えるような、非常に難易度の高い演習となっているのだ。
『……正直、私も真意は判りかねる。ううむ、しかし我々は国防総省の意に従うだけだよ。ミスターミツチ』
マクドナルドも若干言葉が詰まる。
三土の言う通りでもあるからだ。
本演習では〈グレート・スモーキー〉はじめ、日本から派遣された艦艇は、ホノルル港にて米海軍第3艦隊の空母打撃群と合流する事になっている。
そこで共通の補給期間を1週間設け、全艦同時に出航する予定だ。初日は交流も踏まえ、日米の音楽隊による演奏会などイベントも予定されている。
なお、同艦隊にはバージニア級原子力潜水艦も含まれており、実際のところオハイオ級潜水艦を加えなくとも充分な敵基地攻撃能力を有しているのは間違いない。
それに補給艦隊も含め、既に各艦艇はミサイルなどの弾薬も満載だ。
当該艦においてどのような扱いを想定しているのか、マクドナルドも国防総省へ確認を入れていた。
しかし、『原子力潜水艦〈フロリダ〉に関しては本演習において専用の任務がある』との回答に留まるだけであった。
同行だけさせておけば良いとのことらしい。
『そして、この〈フロリダ〉だけは私の権限も及ばないとのことだ』
『同行……ですか。なんとも気味の悪い回答ですな……』
互いに腕を組み、頭を捻るように困り果てる2人であった――。
「――久々のハワイだ」
寄港した各艦艇より、隊員達が続々と下船する。
快晴。
真夏の日差しが肌を照りつけ、乾いた風が頬を撫でるように吹き去って行く。
「副長はハワイ好きですか?」
「ああ、好きだとも。結婚式も挙げたなあ」
護衛艦〈たるまえ〉より下船した後、たわいない会話を続ける渡辺と坂元。
「……あ、すみません」
マズい事を聞いてしまった。渡辺は既に離婚しているのだ。
「はっは、なにも悪い事はないだろう。結婚も離婚も俺が自分で決断した事だ。それも人生! 悔いるような生き方はしていないさ」
渡辺はどこまでもストイックな男だ。まるで人生のお手本のような聡明さを持っている。
木村がよく「副長みたいな歳の取り方をしたい」などと言っていたが、全くもってその通りだなと思う坂元であった。
「――副長、少し打ち合わせ願います」
各々が自由時間に入るのを尻目に、先任伍長の野村直子海曹長が渡辺に声を掛ける。
他の護衛艦幹部も交え、少ない情報を持ち合わせて可能な限りの打ち合わせを実施するようだ――。
「ふうっ、とりあえず腹減ったな」
任務から開放された曹士達は所定の手続きを終え、早々と散り散りになって行く。
この補給期間は自由時間が多く、ほぼ休暇のようなものだ。
初日は自衛隊と米海軍共同の会食パーティもあるというし、祭り感覚で楽しみにしている隊員も少なくは無い。
「本場のロコモコでも食いにいくか」
ゲームと料理が趣味のややインドア派男子、坂元拓人2等海曹。
料理は食べるのも作るのも好きである。
海上自衛隊に入ったのも、世界各国の料理を楽しめると思ったからに他ならない。
そして、その目論見は大当たりであった。
護衛艦勤務になると、運が良ければインド・フィリピン・台湾・タイ・エジプトなど、給料を貰いながら世界各国へ行って本場の食事が堪能できるのだ。まさに天職と言えよう。
「よぉ、坂元。早速飯か? ハワイといえば……ロコモコか?」
「おう、当然よ」
所定の手続きを済ませてバスステーションへ向かう最中、後ろから追いかけるように木村が声を掛けてきた。
「しかし、副長も先任伍長も今頃まだ仕事してるのか。幹部は大変だよな」
「そうだな。まあ、俺らよりも沢山いろんな国に行っているのは羨ましいけど……」
坂元は、とにかくいろんな国の料理を食べ、そしていろんな料理を作りたい。ゲーム以外はそればかり考えて生きている。
「ははは、お前らしいな。その向上心のおかげで俺らも美味い飯を食えるってもんだよ――」
『ねえ、アビー。あなたの夢の1つが叶うかもね』
『ふふっ。そうよっ! ああ、照れるわね』
空母〈アーノルド・モーガン〉より下船後、自衛隊との交流会を心待ちにしている女性水兵、アビー。
弱冠21歳の彼女にとって、本演習〈リエクス〉は海軍へ入隊後初の外国人との共同任務となる。
『ちゃんと練習してきたの?』
『わ、わかってるわよテイラー。「コ、コンニちワっ」』
『アハハ、大丈夫よ。まるでネイティブだわ』
アビーのたどたどしい日本語に微笑むテイラー。
3つ年下だという事もあり、アビーの事は同僚ながら我が妹のように可愛がっている。
『もう、こっちは真剣なのよ』
『わかっているわ。私はあなたを応援するだけよ。素敵なアジア系の旦那様が見つかると良いわね』
『……もうっ、いきなり旦那なんて早すぎるわ、テイラー!』
テイラーの言葉に赤面するアビー。もともとはK-POPにハマり、それがアジアへの興味を深めるきっかけとなった。
最近では動画投稿系SNSにおいて、韓国人や日本人が発信する動画を好んで視聴する程だ。
正直なところ、日本人と韓国人の細かい違いはまだアビーには判らないが、とにかく彼女は今、東洋人に首ったけなのである。
1週間の休暇があればお互いの交流もわりと自由におこなえるだろう。
それに彼女は今どきの若者だ。東アジア系外国人の友達を作る事こそ、この演習における彼女にとっての最大のミッションなのである。
「おっ、あの子かわいいな。うっひょー」
バス待ちの列に向かいつつ、こちら側に向かって歩いている女性水兵が目についた木村。
見えているのは小柄な金髪美女とスタイルの良いラテン系美女だ。
「お? へぇ、そうかい?」
既に坂元の頭の中はロコモコに支配されている。美女が何人居ようとも関係ない。
これから本場のロコモコを食べる事こそが、この演習における彼にとっての最大のミッションなのである。
「あっあれ、こっち側というより、俺たちに向かって歩いて来てる……?」
『――あら、気づかれたわね?』
『どうしよう、私の言葉が通じるかしら――』
個別に民営バスに乗るという事は、しばらく任務が無いのが確定している証拠。友達作りのため、アビー達はなるべく暇そうな自衛官を狙う事に決めていた。
寄港から間もないタイミングであり、まだ行動する自衛官はあまり多くない。
真っ先にバスステーションへ向かった坂元と木村は彼女達の目に留まりやすかったのだ。
「Hello, コ、コンニちワ……」
華奢な両手で口を押さえながら、恥ずかしそうに坂元達へ声を掛ける女性水兵、アビー。
小柄で金髪、ぱちくりとした青い瞳が可愛らしい、まるで少女のようだ。
テイラーはその一歩後ろでニヤニヤと様子を見ている。
「あ、ども。ハ、ハロー」
まっすぐ目を見てくる彼女に薄らと笑みを浮かべ、照れながら返事をする木村。
業務上、簡単な英語を使う機会はあるものの、リアルな英会話の経験は皆無なため戸惑いがある。
「……お、日本語」
坂元も、アビーが発した「コンニちワ」に時間差で反応して振り返り、そこでちょうど彼女と視線がぶつかった。
「ハ、ハジめましテ。わたシはの名前は、アビゲイル・トムソンでス」
「……はじめまして、トムソンさん。僕は坂元拓人と言います。
坂元の英語の発音は中々のものだ。
世界中の料理を楽しむため、密かに語学力を磨いていた事が功を奏した。
『……ワオ、あなたの英語、とても綺麗だわ』
日本人は英語が話せないと聞いていたが、目の前のサカモトという自衛官は流暢な英語が話せそうだ。
アビーはホッとした様子で英語を話し始める。
『ねえ、サカモト、どこに行くの? といってもハワイは私も初めてだからよく判らないけれど……』
『僕たち、ロコモコを食べに行くんです。トムソンさん達は?』
アビーと坂元が流暢な異文化コミュニケーションを始めた。
「……うひぇ」
少し戸惑いながら傍観する木村。
ニヤニヤとした表情でテイラーが後ろから近寄る。
「っおわ!?」
そして、褐色の健康的な頬が木村の肩に乗り、互いの視線が合う。
――お、落ち着け俺……。
ぷっくりとした唇と頬がセクシーなラテン系美女だ。
木村は少し頬を赤らめ、自分でも心拍数が上がっているのに気づく。
『あの二人、なかなか良い雰囲気だと思わない?』
「え? ぐっど……ああ、そうだねとてもvery good トゥギャザー」
木村は英語が苦手だ。
しかしテイラーが何を言っているのかは何となく解る為、コミュニケーションが全く取れない訳ではないが、それでもあの二人の間に入るのは難しそうだと感じてしまう。
『ねえ、私たちも付いていって良いかしら?』
「あ、ああ、Ok オッケートゥギャザー……えっ?」
あまりにも一杯一杯になり、何も考えずカタコトの英単語で二つ返事をしてしまった。
坂元はどうするだろうか――。
「――おおい、木村! この子も一緒に来たいってさ」
「お、おおっ! い、一緒に行こうぜ」
どうやら、アビーも同じような事を坂元に提案していたらしい。
円満に全会一致できた事に、木村は少しホッとする。
『良いってさ、トムソンさん。一緒に行きましょう』
『……本当っ? 良かったわ!』
はしゃぐように、顔の前で小さく手を叩きながら嬉しがるアビー。
純粋に、異国の友達が出来た事が嬉しい。
それに、言葉も通じるし機転も利く。アビーは坂元をえらく気に入った様子だ。
『ねえ、タクト!』
「んえっ、タクトっ!?」
まるで幼馴染であるかのように、突如としてフレンドリーな呼び方をするアビー。8つくらいは歳が離れているだろう。フレッシュでパワフルな彼女の立ち振る舞いに、真面目な坂元は少し戸惑いを見せる。
『あなた良い人だから、私の事はアビーって呼んでくれない?』
『わ、わかりましt――』
『丁寧な言葉は要らないわ、私たち友達よ!』
かなり必死な様子で、両目をギュッと瞑りながらありったけの要望を坂元に伝えるアビー。
坂元は若干たじろぐ。
『わ、わかり……わかったよアビー。こ、これで良いかな?』
「……Yes! very good!」
ついに、長年思い描いていた夢の1つを叶えられた。
アビーはこれ以上ないくらい幸せそうに、渾身のサムズアップで感情を表現する。
「うへぇ〜。俺も英語頑張っておけば良かったなぁ……」
「あら、今から頑張ればイイじゃない? 私手伝うよ」
後ろから木村の両肩に両掌を乗せながら、突如として流暢な日本語を話すテイラー。
彼女は学生時代に日本の大学へ留学していたため、日常会話程度の日本語なら造作もないのだ。
「……めっちゃ日本語喋るじゃん、アンタ]
「へへ、私日本語喋れないとは言ってないじゃん」
テイラーは、英語30点レベルの木村の対応を面白がっていただけである。
脳内をフル回転させて疲労困憊に陥っていた木村は、少し恨めしそうにテイラーを睨んだ。
が、屈託のない笑顔のラテン系美女がそこに居る。
すぐに心が洗われた木村は、もはや今日という日の幸運に感謝しかないのであった。
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