二章 日米演習艦隊

008 護衛艦の日常


{艦上体育を許可する。今日は右回り}


 まや型ミサイル護衛艦イージス護衛艦〈たるまえ〉艦内に響くアナウンス。

 隊体力錬成のための任務”艦上体育”開始の合図だ。


 午後の晴れた洋上。昼食を終えた隊員達が甲板を右回りにランニングし、時折笑顔を見せながら気持ちよく汗をかいている。

 一方、格納庫内の一部では別の隊員達がプロジェクターの映像に合わせ、幹部も入り乱れてエクササイズに勤しみながら汗を流す。


 なお、器具の数に限りがある護衛艦内においては自体重を活かしたトレーニングも欠かせない。

 ペアでお互いに補助し合って懸垂を開始するなど、隊員によってやり方は様々である。


「よう、坂元。今日のチキン南蛮美味かったぞ。流石は宮崎県出身! 特にニンニクの下味が完璧だなっ」

「……木村。ははっ、そうだろう。揚げる前にニンニク風味を付けるのは鉄板だぜ」


 微かに陽の光が差し込む格納庫の一角。


 肘の当たるところに薄いマットレスを敷き、仰向けから頭と脚を上げてスロートレーニングを始めた坂元。

 そこへすぐに木村が声を掛けて来たため、一旦脱力して脚を地面に下ろす。


「よっと」

 木村は坂元の隣に腰掛け、アラームをセットした腕時計を互いの間に置いた。


「3分な」

「おう」

 合図を出す木村を一瞥し、坂元は呼吸を整えながら視線を正面に向けた。


「っふぅーっ」

 2人は隣り合って地面に尻を着き、両肘で体を支えながら両脚を伸ばす。そのまま息を吐き、つま先を10センチほど地面から浮かせてキープする。


 1分も経たないうちに、額や二の腕から薄らと汗が滲み始めた。


「――よう、俺も加わって良いか?」

 坂元と木村のもとへ近寄る年配の隊員。

 ピンとした背筋、綺麗に剃った髭……まるでどこかの貴族のような上品さを醸している。


「はっ! 歓迎させていただきます。副長!」

「了解であります! あと72秒お待ちいただけますか、渡辺副長」

 先程開始したスロートレーニングの姿勢を維持したまま、副長の渡辺へ畏まった返事をする坂元と木村。腹筋に力が入っているため、少し力んだ声色となった。 


「じゃあ、それまで腕立て伏せをしておこう」

 そう言いながら、渡辺はその場で両手を地面に着け、両脚を後ろへ放り出した。

 がっしりとした両腕で身体を支え、ピンと伸ばした姿勢を維持したまま身体を上下させ始める。


 長年鍛えられた身体は無駄が無く、年齢を重ねても若手隊員に劣らぬ程の肉体美だ。

 護衛艦勤務は艦内の限られた空間で長期間を過ごすという性質上、運動不足に陥りやすいのだが、渡辺はその辺りの自己管理を上手くやっている。

 また、渡辺はストイックにして物腰の柔らかい性格も持ち合わせており、気軽に相談しやすい上司として部下からの人望もすこぶる厚い。


「……」

「フン、フン……」

 年齢を感じさせない、パワフルな腕立て伏せを見せる渡辺。


 ――しかし、逞しい人だな。


 坂元と木村は視線を真っ直ぐ正面に固定しているのだが、どうしても渡辺が目の前に居るため、チラチラと目が合ってしまう。


 ――ピピピ。


 木村の腕時計から響く小さなアラーム。3分経過の合図だ。


「ふうっ」

 先に木村の息が漏れ、3人とも姿勢を崩す。皆、汗だくだ。


 ――しっかし、なんで副長が。


 普段は坂元と2人で黙々とこなしている事が多いが、何故か今日は副長殿がお出ましだ。木村は若干緊張し、表情が強張る。


「よし、プッシュアップ」

「「はいっ」」

 渡辺の指示に従い、頭を突き合わせるように腕立て伏せの姿勢を取る3人。スロートレーニング”プッシュアップ”を開始した。


「っすぅー」

 3秒かけて身体を下ろし、また3秒かけで身体を持ち上げる動作を繰り返す。


「……坂元2曹、トールの件を知っているか?」

「やはり、副長もご存知でしたか」

 じっくりと筋肉へ負荷をかけながら、〈トール 〉というモノについて雑談を始める坂元と渡辺。木村は黙って2人の会話に耳を傾ける。


「ビザンツサーバーですよね」

「うむ、とりわけ目立った活動も見られなかったが、画面のアナウンスを見た時は驚いたよ」






 ――出航の1週間前。


「……ふぁ。そろそろ寝ないとな」


 渡辺は自宅のパソコンで〈アースガルズ〉をプレイしていた。

 本来、幹部ならば連日連夜の勤務を強いられるタイミングだったのだが、奇跡的に一段落付いたため1日だけ帰宅したのだ。


 子供達が成人し、妻と離婚してからは独身貴族を謳歌している渡辺。

 それなりの蓄えもあり、現在の収入の半分は〈アースガルズ〉に注ぎ込んで遊んでいる。

 渡辺自身もそこそこの上位プレイヤーであり、[:神話級レイドボスを最初に倒せたら良いね]等と仲間内で意気込んでもいた。

 出来れば毎日プレイしていたいのだが、今回は演習での出航だ。しかも長期のスケジュールであり、3ヶ月は帰って来れない。


 その日は所属する血盟メンバー達と狩りを楽しみながら、チャットで[:また3ヶ月後会おう]などと束の間の別れを惜しんでいた。

 たわいない話で盛り上がり、そろそろ床に就こうと思っていた矢先の事だ。




{〈ビザンツサーバー〉の英雄達が、〈ト-ル〉の討伐に成功しました}




 虎視淡々と狙っていた〈神話級レイドボス〉。それが討伐されたと画面上に表示されたではないか。

 吹き出した玄米茶を拭いながら数秒ほど画面を凝視し、そして寝るのを止めてチャットで仲間と議論を開始する。


 これまで{討伐を開始しました}は幾度か見たものの、その後はいつも音沙汰が無かった。

 圧倒的なトールの強さの前に、どんな大連合でも瞬く間に返り討ちに遭っていたと聞く。


 渡辺がプレイしている〈バビロンサーバー〉でもトールとの遭遇事例は過去2回あり、いずれもワールドクラスのレイドボス討伐に向けた大編成で移動している時だったとの事だ。

 他のサーバーで挙がり始めていた目撃情報も鑑みると、どうやら一定以上の戦力を有するプレイヤー集団が遭遇しやすいらしい。


 何にせよ前代未聞の強さであり、”向こう数年間は討伐は不可能だろう”という考え方が広がりつつあった。

 ましてや、PVP対人戦重視のプレイヤーが特に多いと言われる〈ビザンツサーバー〉において、大規模なレイドボス攻略が活発だという噂は聞いた事も無い。


 おかげで仲間も含め、全員で〈ビザンツサーバー〉について遅くまで議論が白熱。

 渡辺は寝不足のまま演習の打ち合わせ等に参加する事になってしまったのだ。


「えっ、寝ないで出勤したんですか」

「うむ、気になって眠るどころでは無いよな。ビザンツなぞノーマークもいいところだ」

 給養員である坂元だが、演習直前の幹部の忙しさは把握している。そんな中で睡眠時間を削ってゲームをするなど、到底理解し難い話だ。

 改めて渡辺の屈強ぶりに感心せざるを得ない。


「うぬぬ、ビザンツ……計り知れん」

 未知の戦力を持った〈ビザンツサーバー〉への好奇心から、興奮冷めやらぬ様子の渡辺。

 出航から3日が経過している今も〈アースガルズ〉に関する話題となると、若干眼を血走らせながら熱く語り続ける。


「……副長もアースガルズやってるんですね」

 木村が呟く。


「うむ、坂元2曹のおかげでな。木村2曹はやっているのか?」

「あ、いえ。坂元からよく誘われていて、いざやってみたんですが自分には合いませんでした」


「ふむ、そうか。そうか……」

 渡辺自身も、もともとゲームにはあまり興味が無かった。


 〈アースガルズ〉を知ったきっかけは4年ほど前だ。稀に開催される海上自衛隊の懇親会へ参加していた時だった。






 ――






「初めまして! 渡辺2佐」


 とある屋外の立食パーティ。

 至る所にパラソルと丸テーブルが並べられ、各々が食事と酒を楽しんでいる。


 そんな中、あどけない笑顔で話しかけてくる若い隊員がいた。坂元だ。

 一生懸命、佐官の顔と名前を覚えて来たのだろう、当時3曹だった坂元は緊張と高揚が入り混じった表情をしていた。

 170センチも無いくらいの華奢な身体だが、前腕の筋肉が引き締まっていて逞しい。

 握力を使う役職に就いているのだろうか、ガッチリとした握手が印象的だった。


「ふむ、君は? ――」

 曹士が佐官以上の幹部に声を掛けるなど畏れ多いと思われがちだが、近年では階級を問わず話しかけやすい風土作りが大事だと思う幹部が増えている。


 例えば、重要な情報を握りながら雰囲気に押されて報告できないのは不味い。

 そういった理由から、ごく稀に無礼講とも思えるような懇親会が催される事もあるのだ。




 渡辺と坂元はたわいない話で盛り上がり、たまに与えられる休暇の活用方法について会話が弾んでいた。

 その時、坂元から「オンラインゲームやってみたらどうですか」と持ち掛けられたのだ。


「うーん……そうだなぁ」

 渡辺は乗り気では無かったが、「全部教えますよ。自分、15年やってるんで」と熱意を込めて勧められた為、いずれやってみようと心に留め置く事にした。


 しかし、お互いに軽い気持ちで会話をしていたため連絡先の交換をする事は無く、2人の交流は一旦そこで完全に終わる――。




「――ふうっ。久々によく寝たな」

 ある日、渡辺は自宅で短い休暇を持て余していた。ふと坂元が言っていた事を思い出し、時間に余裕もあったため〈アースガルズ〉をプレイしてみようと思い立つ。


 個人用のパソコンを起動し、手探りながらも〈アースガルズ〉をインストール。

 いざプレイしてみると、思いのほかリアルで美しい景色が画面いっぱいに広がった。


「おぉ……!」

 子供の頃によく観ていたファンタジー映画にも似た、どこか懐かしい雰囲気。

 疲れなど忘れ、瞬く間に〈アースガルズ〉の世界に引き込まれて行く。独り身を持て余していた事もあり、休日の過ごし方として丁度よいクオリティだ。


「ふん……ふんふん? おおっ、そういうことか――」

 ふと気付けば朝になっていたが、連休であったため仕事に差し支えなかったのは幸いであった。


 次第に、渡辺は自宅に戻る機会があれば〈アースガルズ〉をプレイするようになり、自身のキャラクター育成にのめり込むようになって行く――。




 2年後、渡辺は就役したばかりの〈たるまえ〉へ副長として配属される。


「ん、あれ、君は――」

「あ、わ、渡辺2佐!?」

 偶然にも、そこに給養員として坂元がいた。

 以来、2人でひっそりと〈アースガルズ〉について意見交換する機会が増えたという訳である。






「――あれから2日後、討伐に参加したレイドパーティの参加者名が公式サイト上に掲載されました」

 坂元は若干興奮気味に話し続ける。


「自分も仕事があったのでチラ見程度でしたが、パーティリーダー紹介欄をクリックして出てきたのが”ラ・ピュセル”という血盟の盟主で”ピティア”と言うプレイヤーです」


「ほう、知らない血盟だがきっと大手の1つだろう。トールの討伐を達成させる程の盟主だ。余程の実力者である事は間違い無いな」

 噂というモノは1人歩きしやすい。

 ピティアは確かに実力はあるものの、実際はトールに対して全く歯が立たなかった。


「ヘクシッ……。うぅ、最近ひどいや、風邪ひいたかな――」

 至る所でピティアへの評価が高まって行く――。




「時間がなくてメンバー全員の名前は確認していないんですが、これがヤバいです。全員合わせても63人しか居なかったみたいですよ――」

「んなぁっ」 

 驚きのあまり、少し大きめの声が漏れた渡辺。

 一瞬、周囲の隊員から視線が集まる。


「……たったの63名だと? そんな莫迦な事が――」

「――楽しそうですね、副長」

 後頭部から撃ち抜くような、鋭い言霊が渡辺を突き抜けた。


「んぐっ。野村先任伍長……」

「ははっ、よいのですよ。身体はしっかり動いているようですからね。今は体力錬成が任務です。自衛官は身体が資本でありますから」

 恰幅の良い……女性先任伍長、野村海曹長。


 きりっとした目つきと小さめな口が可愛らしいが、その体格とのギャップから無駄に威圧感が漂っている。


 その眼光は凄まじく、睨まれた隊員は5秒と目を合わせていられない。

 少なくとも坂元達よりは年上だろうが、正確な年齢を知る者はごく僅かだ。


 既に3人はスロートレーニングにより汗だくだが、それに加えて冷や汗にも似たモノが吹き出し始める。


 〈先任伍長〉の階級は坂元や木村と同じ〈海曹〉に当たるが、曹士を纏め上げる重要なポストの1つだ。

 胸元の金色のメダルが目印で、幹部の補佐をしながら隊員の相談相手になったり緩慢を正したりするなど常に護衛艦内の風紀の維持に目を光らせる。

 なお、先任伍長は艦の中で唯一幹部へ口答えできる役職であり、場合によっては艦長ですら畏怖の念を覚える事もあるのだ。


「副長……3人とも。あまり過度な私語は謹んで頂きたい。というのも、任務中に佐官が特定の曹士とばかり楽しそうに雑談をし続けるのは、艦全体の士気にも関わり兼ねませんので」


「……わかった。気をつける」

「「もっ申し訳ありません」」

 野村先任伍長の言う事は至極真っ当であり、渡辺、木村、坂元は平謝りするしかなかった。


「……程々にね。では、失礼」

 そう言うと、野村はくるりと踵を返して甲板の見回りに向かう。


「……悪かった、俺のせいだ。特に木村2曹、関係ないのに申し訳ない」

「い、いえ。とんでもないです」

 草原で猛獣が過ぎ去るのを待つ草食動物ように、声を潜めながら謝罪し合う3人。


 あまり関係のない木村まで怒られてしまったのは流石に申し訳ないと思う渡辺だった。


「……やはり、副長も先任伍長は怖いですか?」

「そりゃ怖えよ。我々一同、一緒のタイミングで乗艦したはずだが、あのベテラン感は凄まじいな――」


「――あっ! そうそう副長、艦長が打ち合わせしたいとの事で、一段落したら艦長室へお越しいただけますか」


 去ったはずの猛獣が電光石火の如く再登場し、3人はビクリと身体を竦ませる。


「お、うむ。わかった」

「よろしくお願いしますね、副長。では!」


 今後あまり頻繁に集まるのは避けよう――そう思う3人であった。

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