第3話 呪いの森の白雪の魔女 巫女と魔女3
スーリンはただただ混乱していた。
怪物に襲われ、オオカミに襲われ、気を失って、目が覚めると呪われた森にまるで似つかわしくない存在が目の前にいる。
まさか人間がこんなところにいるはずがない。
だとしたら。
「し…白雪の魔女……?!」
「……?ああ、私のこと?」
彼女は、きょとんと首をかしげた。
人形めいた可憐な美少女の首の動きに合わせて、癖のない艶やかな銀髪がさらりと流れ落ちる。魔女というより、どこかのお金持ちのご令嬢と言われた方がしっくりきそうな少女だった。
「あなたも聖剣が目的ですか!」
幸いにも、命よりも大事な宝物は、意識を失っても握りしめたままだった。決死の思いで立ち上がり、さやを払って剣の切っ先を魔女に向けた。
「武器をしまえ。おまえを害するつもりはない。話が聞きたいだけだ」
なだめるように魔女が言う。
じっとスーリンを見つめる瞳は吸い込まれそうな朝焼けの紫。身につけた真っ白なコートは、ふんわりと裾が広がるように仕立てられた上等なものだ。柔らかい白が、なぜかさっきのオオカミの毛並みを思わせた。剣を突きつけられているにも関わらず、恐れる風はまるでない。
「な……なんですか?」
武器を引けといわれて素直に引くほど、スーリンも間抜けではない。ここは呪いの森。何が起きるかわからない恐ろしい場所で、しかもすぐそこに人食い魔女がいるのだ。
それでも会話には応じようとするあたりに、少女の善良さがにじみ出ている。
「その剣、どこで手に入れた?」
まるで買い物帰りに出くわした友人のような気安さで、魔女は問う。
「え……?大地神殿ですけど……」
呆気にとられたスーリンの返事も軽い。
「それは1本だけか?」
「もちろんです」
「ふーむ」
魔女は腕を組み、白手袋をした指をくちびるに押し当てて、なにやら考え込んでいた。
「あの……聖剣…、ほんとにいらないんですか?」
一応、念を押しておく。
「いらない。私はそれにさわれないもの」
「はぁ」
スーリンと同じくらいの年頃の少女見えても、彼女は人間ではない。明らかに。
でも、不思議に恐ろしいと思う気持ちは失せていた。むしろ、人間の姿をして言葉が通じる相手がいることに胸が温かくなる。この人は敵じゃない。完全な味方ではないにしろ、いまのところ害意はなさそうに思えた。そうでなければ、自分はとっくにこの世にいない。
「大切なものなのだろう?しまっておけ」
魔女の言葉に、スーリンは今度は素直にうなずいた。聖剣をさやに納めて外套の隠しポケットにしまい込むと、なんだか急に気が抜けた。ぺたりと地面に腰を下ろしてしまうと、もう立ち上がるのが面倒になった。
「実は、冬の初めの雪が降る前に、それと同じ匂いのする剣を持ったヤツに襲われて大切なものを奪われた」
座り込んでしまったスーリンの前に膝をつくと、白雪の魔女はそう切り出した。
「私はそいつを探して報復したい。おまえが何か手がかりになるかもしれないと思った。思い当たることはないだろうか?」
「いいえ……。私が神殿を出てから1週間たってないですし、この剣はずっと私が持っていました。どなたにも渡したことはありません」
聖剣の巫女として選ばれてからもうすぐ1年。最初の儀式のときに手渡された剣は肌身離さず持ち続けてきた。月に一度のお休みで家に帰るときも手放したことはない。そういう約束だった。
「そうか……」
スーリンの答えを聞いて、彼女はしょんぼりした様子でため息をついた。
「お役に立てなくてごめんなさい」
「いや、私が勝手に期待しただけだ」
「それでは……私、先を急ぎます。もういいでしょうか?」
しばらく座り込んだおかげで、体力が戻ってきた気がする。オオカミに襲われて気を失った後、少し眠れたのも良かったのだろう。まだまだ先は長い。
「何を言っている。ヒトの娘がこんなところにいてはいけない。おまえの住処に帰るんだ」
「それはできません。私はこの森を越えて南へ行かなければならないのです」
「南というが、ここから、南の人の住処までどれくらいかかるかわかっているのか?」
問われて、スーリンは、ぐっと唇を噛みしめた。
「……わかりません。でも行くしかないんです」
答えを聞いて、銀髪の少女はスーリンをまっすぐに見据えた。真剣なまなざしに射すくめられて動けない。
「最低でも10日だ。北へ帰るなら数日。今引き返さないと森の真ん中でのたれ死ぬことになる」
わからないんじゃない。考えないように頭の中から追い払おうとしていたのだ。それを見抜かれた。
冬、雪が降ると大地神殿領と太陽神殿領を結ぶ森の道は完全に封鎖され、通る者はいなくなる。いくつかある宿も冬は固く施錠されて人の姿はない。南へ向かう旅人は、普通は、遠回りの東の海岸沿いの道か、船を使う。冬の森は危険で過酷。スーリンのような小娘がどうこうできるものではない。でも、越境許可証のない少女には、最短距離で人のいない森の道しか選択肢はなかった。
「帰るわけにはいかないんです。私だって、本当は帰りたい。寒くて、怖くて、お腹すいて、寂しくて……もう嫌だ」
ずっと我慢していた涙がボロボロとこぼれ落ちた。もうだめだ。止められない。
暖かい家に帰りたい。
家族や友達に会いたい。
お腹いっぱいご飯が食べたい。
お布団で眠りたい。
「でも、いかなければならないんです。この世界が大変なことになるんです」
そもそもスーリン・ミリアには特殊な能力は何も無い。
エルデ市に住む少女にとって、「聖剣の巫女」に選ばれるのはとても名誉なことだ。大抵は名家のお嬢さんか、何かしらの特技のある子、学校の成績が飛び抜けて優秀な子など、特別な女の子が選ばれる。いわば、神殿の広告係だ。そんなお役目に、なぜ平凡で地味な自分が選ばれたのか、未だにさっぱりわからない。辞退することは許されなかったから、仕方なくただ言われた通りの仕事をまじめに粛々とこなしてきた。春にはこの分不相応で窮屈な生活から解放されるはずだった。
あの神官様に会わなければ。
聖剣の巫女の本当の使命を教えてくれたのは、その人だ。
「わかったから、とりあえず顔を拭け」
ぐずぐずと泣き続けているスーリンに、魔女はどこかうろたえたように声をかけた。
会ったばかりの人に恥ずかしい顔を晒してしまった。慌てて、リュックから汚れたハンカチを引っ張り出す。
「すみません。お見苦しいところをお見せしました」
鼻をかんで、涙を拭くとなんだかすっきりした。長らく洗えていないハンカチからは酷い匂いがしたが。
そして、やっと自分が名前も何も名乗っていないことに気がついた。
「白雪の魔女様、私はスーリン・ミリアといいます。聖剣の巫女のお役目をいただいています」
「……白雪の魔女と呼ぶならそれでもいいが、私の名は、ソフィア・アンフィトリテ。ソフでいい」
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