第39話 静かな時間

 風雷では巧一郎の所属する研究機関「新月」を通じた遠隔会議が始まっていた。


 窓のない極めて殺風景な部屋の壁は不気味なほど白く、汚れの一つも許されないほどの清潔感を保っていた。


 会議では情報漏洩を防止する目的として、研究機関同士でしか接続できない特殊な通信規格を用いている。一秒間に最大で一エクサバイトの情報を送受信する特性上、回線に大きな負荷が掛かる。そのため会議は特別な大型端末を使用した代表者同士による二人から五人のものが多い。


 今回は回線の負担を軽減するため、守護士協会の裕斗と電妖体側に位置する修司の二人による対話となった。


『本当に申し訳なかった』


 将人が画面の先にいる修司に向かって頭を下げた。


 守護士協会が秘匿にしていた人工的な電妖体の創造を全面的に認めた形となった。


 画面越しに映る裕斗の姿は疲弊しており、酒天童子との戦いが堪えているようだ。


「君たちの行為は命ある電妖体を冒涜していた。争いのためにヒトのクローンを大量生産するようなものだ」


 修司は守護士協会の愚行を現実世界の生命倫理に当てはめて批判した。将人は受け止めるように深く頷いた。


『我々は規律に違反した守護士を処理するために電妖体を創った。それが将人による鵺だった。以前処理した守護士も情報端末の履歴から酒天童子側に背いたと判断し、反逆行為と見なして処理していた』


「それをあの子達にも当てはめようとしていたのか?」


 修司の脳裏には娘の麻依、風雷の加奈、新月の巧一郎が浮かんでいた。


 未来ある守護士の命すら奪おうとしていたのか。冷静な顔の裏側で憤りをかくしていた。


 両者に数秒の沈黙が流れると、諦観した裕斗が口を開いた。


『そうだ。三人は酒天童子側に賛同したという認識だった。それが結果的に奴の支配に繋がった』


「打ち明けたのが僕で良かったね。他の電妖体にとっては万死に値する理由としても捉えられるはずだ」


『あなたは我々を裁かないのか?』


 修司が首を横に振ると、画面の中にいる将人が驚いたように目を見開いた。


「君たちを裁くのは協会の出資者たちだ。僕が裁いたところで電妖体に対する溝は埋まらない」


『――寛大な対応に感謝する』


 予想通りの反応をした将人に、修司は笑みを浮かべるだけだった。 


   ▽


 加奈は自らの意識が戻る瞬間を感じ取っていた。


 例えば、ベッドに沈む身体は自室の寝具よりも硬いと認識し、天井の照明は白く眩しい。鼻腔の中に入るのはアルコールの匂いが中心で、土埃の多い遺跡で戦っていた時とは別世界だと見間違えるほどだった。


 空っぽの器に水を満たすように加奈の全身が脈打つ。


 右手に生き物の熱を感じた。誰かが手を握っているようだ。


 加奈は顔を右に向けると、ぼやけた視界の中に少女の顔が大きく映り込んだ。


「加奈さん?」


 少女が彼女の名前を呼び掛けた。


 意識を失う前の記憶が曖昧で思い出せない。


「……」


 数秒の間が空いた。


「大丈夫ですか?」


 加奈は頭の中が朧気で「麻依……?」と返すのが精一杯だった。彼女は少女の名前をなんとか絞り出した。そうだ。今まで共に過ごしていたパートナーじゃないか。


「あたしのこと、わかりますか?」


「麻依……?」


 加奈は少女の名前を呼び、意識が覚醒していくさまを脳内で感じ取った。


「よかった……忘れていたらどうしようかと……」


 安堵の表情を浮かべる麻依は緊張から解放された舞台役者のように胸を撫で下ろした。


「私はどのくらい寝ていた?」


 酒天童子と戦った際にほとんどの呪粒子を抜き取られた。浦島太郎という昔話のように、時間の感覚が分からなくなっている。


「丸一日です。皆は無事なので安心してください」


「そうか……」


 麻依の言葉を聞き、決死の攻撃が無駄ではなかったと解ったが、同時に焦りも生まれつつあった。


 気づいたときには身体をゆっくりと起こしていた。


「ダメですよ。安静にしていてください」


 ざわざわとした胸の内を察するように麻依が制止に入る。


「止めないでくれ。一刻も早く酒天童子を倒さなければ風雷も危ない……」


 加奈は切羽詰まったようにベッドから出ようとするが、またしても麻依の優しい両手に阻まれた。


「今は佑香さんたちが対応しています。それまでは休んでいてほしいんです」


 落ち着かせようとする麻依の言葉に、加奈は首を横に振った。


「根幹を絶たなければ、奴は何度でも復活する。そのためにも私が――」


「加奈さん!」


 麻依が加奈の言葉を強く遮った。うまく回らない思考の中で彼女が語気を強めた理由を掴めなかった。


「加奈さんは強いです。どんな電妖体が来ても、いつも冷静で心強いです。でも、戦っているのは加奈さんだけじゃないんです」


「……」


 仕事を行う加奈は利他的な行動が多い。だが、状況が差し迫った時には自分本意になることを知っていた。


 麻依からの指摘があった時、久しぶりに自らの思考が他人の意思を曲げてでも貫こうとするように変化していた。


 視野が狭くなっていた加奈は、自分の間違いを認めるように押し留まった。


「あたしたちは単独で電妖体と戦えたとしても、回りの支援がなかったら簡単に命を落とします。ずっとそうだったじゃないですか」


「そうだな。肝心なときに基本を忘れてしまうとは、私もまだまだだ……」

 

「責めている訳じゃないです。ただ、もうちょっと周りの人に頼ってほしいだけなんです」


「ああ、そうするよ。今の私の仕事は、休むことだ」


 加奈がそう言うと、麻依が不意に優しく抱き締めた。


 少し驚いたように瞳を小さくした加奈も、麻依を抱き締め返した。


「あたしは加奈さんと共にあります。だから、死なないでくださいね?」


「もとよりそのつもりだ。私も君と共にいる」


 二人の間に、永遠に引き伸ばされてしまいそうなほどの静かな時間が流れた。

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