第38話 偽りの線引き
修司たちの話を聞き終えた佑香は談話室を後にし、光るモニターが要塞のように並ぶ書斎へ入った。
修司たちは風雷の用意した客室で今夜を過ごす予定だ。
佑香は修司たちが告げた事実に対して終始懐疑的ではあったが、風雷のデータベースから彼らの告げた言葉の真偽を確かめるまでは結論を出さなかった。
佑香は手早く検索を掛けて文献を探り当てようとしたが、思うような結果に繋がらなかった。
「どうして見つからないの?」
佑香の疑問は天井の虚無の中に消えた。
修司の話した通りの記述がある文献が存在しなかったのだ。電妖体に繋がるキーワードに検閲が入っている可能性があるとはいえ、彼らの伝えた内容の裏付けは困難を極めた。
佑香が頭を抱え、すべてが振り出しに戻りつつあったその時、書斎のドアからノックが鳴った。
「佑香。戻ったよ」
声の主は長い付き合いになる夫の声だった。
「おかえりなさい。入って」
静かにドアが開いた。彼女の予想通り、ドアが開いた先には浩輔が立っていた。
佑香は浩輔の姿を見て安堵し、彼を抱擁した。それは浩輔も同様だった。
「無事でよかったわ……!」
「大袈裟だな。修司さんたちも合流できたし、急ではあったけど協会の二人も巧一朗君の所へ退避させられた。何よりも加奈ちゃんたちだって戻ってきた。十分すぎるくらいだ」
「そうね……でも、本当に立ち向かうのはこれからよ?」
「ああ。このまま二つの世界を分離することはできない」
「ここのデータから手掛かりを見つけられないか、やってみるわ」
「いや、君の所にはないだろう」
「どうしてわかるの?」
「変換された情報は便利だ。でも、言語化されていない情報はまだ沢山ある。機器に頼りすぎると足元をすくわれるよ?」
佑香は少しだけ考えた後、浩輔の発した言葉の意図に気付いた。
「つまり、書庫を使うのね?」
「そういうこと。専門的な鋭さも大切だけど、広い視野を持たないとね」
「ありがとう。わたしの悪い癖ね」
「僕にとってはとっても魅力的だよ。行こう」
福原夫妻は感傷に浸る前に風雷の地下にある書庫を探り、過去の文献を片端から読み始めた。
気温の高い外部とは違い、下がったままの温度が世界の終末を想起させるような雰囲気すら醸し出している。
閲覧は容易だが書庫に対応した検索機はなく、地道に棚の番号からカテゴリを探すことが近道となっている。
二人は真相に近づくため、惜しみなく時間を使った。
一冊一冊の目次を捕らえて斜め読みし、文章の取捨選択を繰り返す。
書庫の中漁っていくうちに、佑香は高い位置にあった一冊の黒い本を見つけた。
「——この本はどうかしら?」
佑香が手に取った本は妖にまつわる口承を纏めた民話集だった。
名前は「
表紙のカバーが所々枯葉のようによれており、長い年月によって物理的に風化されていた。
佑香の持った本を見て、浩輔も「読んでみよう」と促した。
「鬼にまつわる昔話は民俗学で触れる機会はある。でも、具体的な悪行は言葉で伝わっている例もあるから、こういう文献は貴重だ」
「そうね。ここに書いてある集落の殆どはロボットによって無人化されている地域ね」
言い終えた佑香が本を開いた瞬間、極限まで糸を引っ張ったような緊張が走った。それは浩輔にも伝染し、ほんの少しだけ彼の表情が険しくなった。
数秒間の違和感は、霧が晴れるようにすぐに消え去った。
「この空気……何……?」
佑香の背筋が樹氷のように凍り付いた。
「——大丈夫だ。幻覚は見えない」
フォローした浩輔は元の冷静な表情に戻っていた。
二人は書庫内の緊張が解けたことを確かめると、目次から酒呑童子にまつわるページを開いた。
「……」
「……」
二人は無言で文章をなぞるように読み込んでいく。
読んでいる西神鬼昔話の記述には様々な鬼の伝説を当時の住人が持ち寄り、それを民俗学者がまとめた記録だった。
「西神地域で起きていた神隠しを陰陽師が暴いて、それで酒呑童子の仕業に繋がったのね」
浩輔が一つ頷いた。
「当時の武将が退治したことで、守護士が誕生したきっかけになったようだ」
浩輔の読んだ記述には、人々を脅かす妖から護るための「守り人」という職業が入っており、現実世界では古くから電妖体と守護士のような関りを持っていたようだ。
「修司さんの言っていたことは本当だったわ。昔は現想界も現実世界も、すべてが溶け込んでいた時代だったのね」
「我々人類が、勝手に線引きを作ってしまったことが、今の対立を深めてしまっているようだ」
「そうね。すぐに協会の二人と遠隔会議を行うわ」
二人は文献を持ってラボに戻り、巧一朗の所属する研究機関と遠隔会議の準備を始めた。
一刻も早く、慎重に、酒呑童子の侵攻を食い止めるために――。
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