第29話 束の間の安息

 現実世界ではうだるような熱帯夜が続いていた。


 加奈は冷蔵庫のように冷え切った空調が稼働する自室のベッドにて、通信端末から巧一朗へとつないだ。隣にはアイスクリームを頬張る麻依も座っている。


 佑香からの事実を伝えると、彼は事実を重く受け止めるように沈黙を続け、幾らかの間を置いて本音を紡いだ。


『予想はしていましたけど、俺たちはずっと、守護士協会おえらいさんに踊らされていたんすね……』


「佑香さんの持つデータではっきりと分かった。たとえ認知バイアスがかかっていたとしても、私が見た限りではどこにも疑いの余地がない。信じたくはないが、これが現実だ」


 果てしない絶望感に囚われそうになるが、長年コンビを組んできた二人は前を向いていた。


『それでも、俺たちがやるべきことは決まりましたね?』


「ああ。人と電妖体——その双方を救うことだ」


「そうと決まれば俺も協力者を募って風雷に伝えておきます。あとは福原さんたちによろしくっす」


「ありがとう。助かる」


『いえいえ、こうして恩を売っておけば後々いいことが起きると思って』


「正直に言うんじゃない」


 計算高い発言に加奈は思わずムッとしたが、巧一朗は冗談を言ったように笑っていた。


『こんなこと、石本さんにしか言えないっすよ。お互い助け合って生きてきたんですし、これからもずっとそんな感じで進んでいけばいいんすけどね』


「まぁな。守護士は転勤がほとんどないのが救いだな」


『長年の信頼で成り立っている職っすからね。俺はこの一件で首が飛びそうっすけど、まぁ何とかします』


「気を付けるんだぞ? 万が一ここでバレたら君の役割を担えるものがいなくなる」


『そこは大丈夫っす。俺は石本さんと違ってポーカーフェイスができるので』


「どういう意味だ?」


 加奈が訊き返すと、巧一朗が焦ってお茶を濁すように首を横に振っている様子を彼女は想像した。


『いや、何でもないっす。とにかく俺は器用に立ち回れるって事っすよ』


「そうか。ならいい。当日はよろしく頼む」


『了解っす。じゃあ麻依ちゃんにもよろしくお伝えください』


「ああ。わかった」


 通信終了。端末の画面をタップしてからスクリーンを消した。


「巧一朗さん、どうなりましたか?」


 通話中にアイスクリーム頭痛に陥ったのか、麻依は片手で頭を押さえながら聞いてきた。


「少数ではあるがバックアップが付くだろう。勢力が大きい分、戦力は協会が圧倒的に上だ」


「数で攻められたら敗色濃厚ですね」


「現状は修司さんや浩輔さんの腕を信じるしかない。勝算は厳しいと思うが、なんとか五分に持っていきたい」


「うぅ、そうするしかないです……」


 アイスクリームを食べきった麻依は、ゆっくりとゴミ箱の中に容器を放り込んだ。


 加奈は諦めるように端末を手放し、背中から飛び込むようにベッドに寝転がった。


 寝間着を着ている二人は、普段は別々の部屋で就寝している。しかし、今日は麻依が一緒に寝たいと申し出て今に至っている。


 加奈にとって重要な戦いが近づいている最中で大切な人と共に夜を過ごすことはできれば避けたかった。かつての同僚だった守護士が家族と共に一夜を過ごした後に殉職し、二度と会えないという現実を目の当たりにしたのだ。


 麻依にその過去を伝えると、彼女はそれでも構わないと口を開いた。翌日に命を落とす運命だとしても、今この時を愛する人と過ごしたい――そう彼女は告げてくれた。


 それを聞いた加奈は、麻依のおかげで過去と向き合う時間を過ごせたように思えた。


 空調の空気の流れとお香の煙が交錯し、部屋中に神聖なホワイトセージの香りが広がっていた。


「麻依」


「なんですか?」


 起き上がった加奈は麻依を呼んだものの、その次を言い出すまでに数秒掛かった。自ら言い出すことが何となく恥ずかしいと思うようになり、なかなか喉から言葉が出てこない。


「その……なんだ……」


「どうしたんですか? きっぱり言い切らないなんて、加奈さんらしくないですよ?」


 麻依に追い詰められるばかりだった加奈は意を決し、口に出すことを決めた。


「——き、君を、抱きしめさせてくれないか?」


 加奈なりに勇気を絞り出して紡いだ言葉だった。まさかこのような提案をするなど、過去の彼女からは想像もつかなかった。


 加奈の要望を聞いた麻依は、とびきりの笑顔で小さな両腕を大きく広げてみせた。


「いいですよ。遠慮なく抱きしめてください」


 承諾された加奈はひしっと強く麻依を抱きしめたかと思えば、勢い余って二人はベッドに倒れてそのまま沈み込んだ。


 驚きを隠せなかった麻依だったが、すぐに加奈の気持ちを受け止め、胸の中にうずくまる冷徹な守護士の心を少しずつ温めていた。

麻依が告白した時と真逆で、今度は彼女が加奈の頭を優しく撫でていた。


「加奈さんがあたしに甘えるなんて珍しいですね」


 頭を撫でられている加奈は、両腕をぎゅっと麻依の身体にくっつけて離さない。


「私も不安なんだ」


「加奈さんも、ですか?」


 麻依の問いかけに、加奈はうずくまったまま静かに頷いた。


「君が告白した時、私の守るべきものがはっきりと分かった。人々と電妖体を救うことが、現想界の中を彷徨っていた君を救うことにもつながる。そう感じたんだ」


「あたしのこと、ずっと気にかけてくれていたんですね」


「そうだ。でも、本当に世界を救えるのかがわからないんだ。運よく守護士として生き残ってきたとはいえ、最前線で戦い続けている諸先輩方には遠く及ばない」


 冷静さを保ってきた加奈の心は、人と電妖体の両者を救うという修司から引き受けた大役のプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。


「加奈さんは佑香さんに言ったじゃないですか。一人だけで背負わないでくださいって。それは加奈さんにも言えることですよ?」


「わかっている。それでも、計り知れない重圧がかかっているような気がして、怖いんだ」


 加奈の両手が麻依の服を握り締めていた。恐怖心による震えが止まらない。ここまで気弱な気持ちをほとんど他者にさらけ出すことはなかった。それでも、想いの通った麻依になら、本当の自分を見せていいと思えるようになった。


「大丈夫です。加奈さんを一人にしません。お父さんたちに風雷の皆さん、それに巧一朗さんがいます。何より、ここにあたしがいるんです。絶対に離れません」


 麻依の言葉はしなやかで優しく、そして強かった。


 加奈は麻依の連なった言葉たちを耳に入れた途端、肩の力がふっと抜けた。


 麻依の身体を強く抱きしめていた加奈の両腕が、優しくたおやかに彼女に触れていた。


「ありがとう。君はずっと、私のそばに、いてくれ……」


 加奈は麻依の柔らかな身体とベッド、それに心地よい疲労感と安心しきった気持ちによる連鎖反応で極度に眠気が増し、あっという間に意識が薄れていく。


 この日も夢を見ず、閉ざされた闇の中を泳ぎ続けた。

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