第19話 人工肉と炭酸飲料

 午睡を終えた加奈は、大あくびをかいた後に全身をくまなく伸ばした。


 通信端末の時計に目を見やると午後三時を過ぎている。ざっと二時間は寝ていた計算だ。


「寝過ぎたか……」


 有意義な時間に充てたかった後悔をぽつりとつぶやくが、誰にも睡眠を邪魔されなかったことは幸いだった。もし現実世界でユニットが使えるものなら、とっくに刀で斬り刻んでいただろう。


 寝ぼけ眼と完全に起きていない脳を働かせて部屋を出ようとした時、コンコンと誰かが加奈の部屋のドアを優しくノックした。


「加奈さーん」


 隣の部屋で荷ほどきをしていた麻依が声をかけてきた。


 ベッドを降りてガチャっとドアを開けると、やはり小柄な声の主が加奈の目の前に現れた。


「どうした?」


 麻依と顔を合わせたおかげで少しだけ感覚が冴えた気がしたが、過眠特有の疲労感が全身に残っており、相変わらずだるさが続いている。


「あたしの部屋に来ませんか? やっと整頓ができたので、最初のお客さんに加奈さんをご招待します」


「……私が入ってもいいのか?」


「勿論!」


 底抜けの明るさで振舞う麻依を見て、疲労感が少しだけ取れたように思え、気分転換も兼ねて加奈は頭の中の選択肢から行動を選んだ。


 麻依の部屋のドアまでくると加奈は思わず会釈程度に頭を下げた。


「失礼する」


「そんな畏まらなくてもいいんですよ?」


「すまない。昔からの癖でね」


「やっぱり加奈さんは大和撫子みたいですね。強くて綺麗なお姉さんです」


「そうか? そんなつもりはないんだが」


 そんな古風な女性に見えるのだろうか、と加奈は首を捻った。多少の男勝りな言葉遣い以外の自覚はなく、ましてや加奈自身は強いのではない。現実世界では幻覚機を使わなければ木偶の坊も同然だった。役に立てるのはあくまでも現想界の中でのみだ。


「さぁさぁ、中に入って下さい」


 麻依に促されながら、加奈は静々と彼女の部屋へ入った。


「これは……」


 入室にして目に留まったのは、その年代の女子とは思えないほどに落ち着いた雰囲気のシックな家具を揃えていた所だった。何もかもが大人びており、麻依と同じころの学生だったとしても可愛らしい鏡台やベッドがあると加奈は勝手に思い込んでいた。


 目を引いたのは家具だけではない。ベッドは簡易テントのように屋根がついていたり、折り畳み式テーブルに加え、これまた折り畳み式の丈夫な布を張った大きな椅子が二脚点在していたりと、どこかキャンプ場を思わせる雰囲気になっていた。


 木々の香りがログハウスの中にいると思えるほど漂い、不思議と精神が安らいだ。


「旅をしていた期間が長かったので、キャンプギアが近くにないとどうも落ち着かなくて」


「いや、いいと思うぞ? この感性は私にはないものだ」


 加奈は率直な感想を伝えた。少なくとも原色を中心にしたポップな色使いの部屋よりはずっといい。思えばずっと安らげる場所を加奈は求めていたのかもしれない。「」


「加奈さん、どうぞ好きな椅子に座ってください」


 ベージュと緑の椅子が置かれていたが、加奈は自らの感性に従って緑を選んだ。


 加奈が椅子に座ると斜めに向かい合うように麻依がベージュの椅子に座り、テーブルを囲んだ。


 麻依はテーブルの上に置かれていた開封済みの菓子袋のようなものを手に取った。


「何を食べていたんだ?」


「おやつです。最近流行りの人工肉でできたビーフジャーキーなんですよ」


「そんな肉が流行っているのか?」


 麻依の発言には怪しさが蔓延っているように思えた。


 加奈は流行に疎かった。通信端末で読むニュースは専ら守護士と現想界関連であり、現実世界のティーンエイジャーが発進する流行の最先端に触れる機会を持つことは微塵もなかった。


「マイブームなんです。良かったら食べませんか?」


 麻依が勧めるようにビーフジャーキーの入った袋を差し出した。


 加奈の脳内では好奇心と疑心がせめぎ合って拮抗していた。その証拠に、手を伸ばそうとしても自らの勘が危険を察知してうまく動かせない。


 人口が急激に増加した現実世界において食糧危機は身近な問題だ。昆虫食に希望を抱いた時代もあっただろうが、生育環境の整備に莫大な資金が掛かると判明した途端に、前向きに検討する国々は次第に減少した。


「……」


 あからさまな肉の香りが加奈の鼻孔を通り過ぎていく。嗅覚は正誤に関係なく、これは肉だと伝えてきた。


「最近の培養技術は味も安全もピカイチなのできっと美味しいはずです」


 麻依は何のためらいもなく食むのだから、きっと口に入れていいのだと認識できる。

次第に、加奈は自らの勘に抗い始めた。


「一ついただこう」


 危険だという勘よりも好奇心が大きく勝った。


 袋からビーフジャーキーを取り出し、思い切って一部を口の中に入れた。


「おいしい……!」


 加奈は驚きのあまり目を見開いた。


 人工肉のビーフジャーキーは加奈の想像していた以上に美味だった。香ばしい香りに加え、口に入れたと同時に広がる牛肉の味と食感はまさに本物だと錯覚してしまうほどに。


 過去に大豆で作られた疑似的な肉を食べたこともあったが、大豆特有の香りと味が色濃く出ていて、肉とは似て非なるものだった。

噛めば噛むほど人工的に作られたとは疑い深くなるほど完成度が高く、加奈はたちまち人工肉に対する価値観を心の底からひっくり返された。


「本物より安くて美味しいので、ついつい現想界の商人から買っちゃうんですよね」


 麻依はそう言いながら小さなビーフジャーキーを一つ口へ運んだ。彼女は「おいひい」と笑みを浮かべると同時に頬がとろけていた。


「保存食になっていてもおかしくない。本当においしい」


 守護士が常時所持している一般的な配給品の食糧が挙げられるのだが、このようなビーフジャーキーを所持している者など聞いたことがない。現実世界では人気商品なのかもしれないが。加奈にとっては初めての感触だった。


「お飲み物はどうですか? これはコアなファンがいる最古のコーラです!」


 麻依は紫色のパッケージが映える炭酸飲料の缶を差し出した。


 缶には紫色をベースに“ドクターホッパー”と表記されていた。直訳すれば“バッタ医師”または“バッタ博士”とも言うべきかもしれない、と加奈は率直に考えた。また、どうして名前がバッタなのか、どうして紫色のパッケージなのかまでは理解できなかった。


「至れり尽くせりだな」


 加奈はそう言いつつ缶を受け取った。じんわりと肌に冷たさが浸透していた。プシュっという音と共にプルタブを引いて勢いよく開けると、微量の炭酸が抜けていった。麻依のことだ。パッケージに「二〇種類のフルーツフレーバー配合」とあるが、きっとこれも美味に違いない。


 もはや加奈の脳内は好奇心で動いており、缶の飲み口に口を付けるのにもためらいはなかった。


 口に入った液体を少しだけ喉に通らせる。


「……」


 加奈はあまりに予想と違った味を口の中一杯に感じると、一時的に言葉が出なくなった。


「お口に合いませんでしたか?」麻依が心配そうに眉を下げる。


「いや、そういうわけではない。何というか、不思議な味だ」


 例えるなら杏仁豆腐の風味が入った独特のコーラ、という表現が当てはまるだろう。それだけ強烈なインパクトを加奈に残した。しかし、何度か口にすると徐々に舌が慣れてきて、気づけばこの飲み物の虜になってしまった。


「あたしが世界で一番好きな炭酸飲料です。飲めば飲むほど病みつきになりませんか?」


「癖になるな。なんと恐ろしい飲み物だ……」


 加奈は一口、また一口と口に運んでいくうちに、ドクターホッパーの魅力にとりつかれつつあった。この世にはこんなにも美味な飲み物がまだ残っていたことを知り、そして自らの無知を嘆いた。


 加奈はこの日、麻依から美味なる人工肉と奇妙な炭酸飲料との出会いを果たし、同時に彼女との会話を重ねてより親睦が深まったように思えた。福原夫妻や巧一朗以外の者と長話をするのは久々で、戦場とは違う充実感を得た休暇となった。

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