第20話 イレギュラー
現実世界では大勢の人々が絶えず街の中を流れ、百貨店や商店、ビルなどで買い物やサービスを満喫していた。
真夏の足音が聞こえる中、加奈と巧一朗は繁華街へ繰り出し、守護士協会の示した目的地へと向かっていた。服装も装備も夏仕様に変わっただけで現想界に行く時と何ら変化はない。変化がないということは、同時にその場所が現想界の環境に書き換えられる可能性を示唆できるものだ。
「だいぶ現実世界が蝕まれてきましたね」
「進行している割に持ちこたえた方ではあるけどな」
サイバーアーツを展開していない今の巧一朗は戦闘に対する欲求があるわけではなく、寧ろ平和的な解決を望んでいるように加奈には見えた。
「境界が曖昧になると幻覚機かユニットかの判断が鈍りそうっすね」
「君がそんなヘマをするわけないだろう?」
「わかってますって。幻覚機の判断ならお任せっす。石本さんはユニットの判断をお願いします」
「ああ。君がいてくれて本当に助かる」
「いえいえ。お互い様っすよ」
二つの世界の境界に踏み込む時には必ずと言っていいほどこの二人はタッグを組む。加奈は幻覚機の効果に対する身体への負担が大きいため、単独任務でない場合は巧一朗に幻覚機の発動を託している。対して巧一朗はひとたび好戦的になると対象となる電妖体を戦闘不能にするまでサイバーアーツを解かないため、一時的な権限を加奈に預けている。
「そういえば、麻依ちゃんは別の仕事っすか?」
「現想界での任務が割り当てられている。彼女にとっては現実世界(ここ)よりも過ごしやすいのかもしれないな」
「そうっすか。また会いたかったっすねー」
巧一朗は残念そうに頭を垂れており、加奈に見せた笑顔もどこか寂しそうだった。
「君お得意のデートにでも誘うつもりだったのか?」
「いやいや、麻依ちゃんとのデート権は石本さんに譲ります。俺にとっては高嶺の花っすよ」
「私にとって君と麻依はとてもよく似合っていると思うんだが……」
加奈の発言を聞いた巧一朗は大げさに首を振った。
「石本さん、わかってないっすね。俺は単純な男女の恋愛よりも高い壁を乗り越えた先にある、階級や性別を超えた大恋愛の方が燃えるんすよ。特に麗しい貴族の女性と可憐な庶民の女の子の恋愛を描いたマンガがあるんすけど、それがもう感動的で涙が出まくって――」
「無駄に百合を力説するな」
巧一朗が妄想にひた走る直前に加奈は彼の抱いている妄想をその一言で一蹴した。
「ちょ、ちょっと!? 俺の妄想を蹴とばすなんてひどいっすよ! てか百合ってジャンル知ってたんすか!?」
「馬鹿にするな。それぐらい知っている」
「じゃ、じゃあ石本さんもあれですか! 麻依ちゃんのような小さくて可愛い女の子が好きな――」
加奈は巧一朗に向かってヘビのように鋭くに睨むと、彼は一瞬だけカエルのごとく怯んだ。
「ロリコンではない。それに、麻依は一八だ。厳密に定義すれば違うと分かるだろ?」
「そ、そうっすね……」
巧一朗は押し黙った。加奈は言い過ぎたのかもしれないと少し悩んだが、比較的平和な世界での彼の言動が多少ふざけていることは、長い付き合いの中で織り込み済みだった。
「まぁ、麻依のことは嫌いではない。人懐っこい所が犬っぽくて好きだ」
加奈は本音をこぼしたが、決して愛の告白ではない。英語で言うライクの事だ。しかし、なぜか自分の顔が熱くなっていくのを感じた。目の前に本人がいるわけではない。ましてや後輩の前でこのような心情を吐露することなど初めてだった。滅多に感じない恥じらいを覚えてしまいそうになる。
「あれ、石本さんって犬が好きなんすね」
「どういうわけか犬に懐かれるんだ。猫みたいな君と一緒にいるのが不思議なくらいだ」
「ある意味俺も石本さんの忠犬っすけどね。猫だったら言うことを聞かなくなるかもしないっすよ?」
「そうだな。しかし、それ以前に私たちは――」
加奈は視線を落とした。
「
巧一朗は皮肉交じりに答えた。
指示する者と使役する者、双方に大きな壁が隔てられているように思えた。この壁はいつか崩れ落ちて境を解かせるのだろうか、加奈と巧一朗はどうしようもない現実と知らず知らずのうちに戦っていた。電妖体とは異なる争いに飲み込まれるのではないか、そんな悪い予感が絶えなかった。
現実に苦悩しながらも二人は前を向き、目的地へ一歩ずつ足を進めた。
しばらく歩き続けていくうちに中央通りから少し離れた先の、寂れた商店街の中に入り込んだ。
商店街は文字通りのシャッター街で、過去に見せていた人々の活気を失っているようにも見える。
中心街が栄えている一方で、知らず知らずのうちに憩いの場だった景色が消えていく様を加奈たちは眺めるしかなかった。
二人は二階建ての年季の入ったコンクリート製のビルの前で立ち止まった。ビルの名前が描かれた看板は撤去された跡があり、現物を再現する手立てはない。
「位置情報によると、どうもここらしい」
加奈は通信端末の画面を見ながらきょろきょろと周辺を見回している。
「ここまで人気がないのも不気味っすね」
「現想界の侵食が進んでいるからだろうな」
気付けば加奈たちは灰色の空の下に立っていた。現想界との境界線上に位置しているようで、一寸先は闇と言えるほどの魔境がひしめいている。
「中へ入るぞ」
加奈がそう言うと、巧一朗は口の端を吊り上げながら頷いた。
現実世界での任務は守護士にとってイレギュラーとはいえ、巧一朗はこの状況を心から楽しんでいるように思えた。
不思議と胸が高鳴るのは加奈も同じだった。もし出会った先で強者と渡り合えれば、むざむざと戦いたくなる衝動は幾らか抑制される。だが、決して期待はしない。期待したところでもぬけの殻だった事例はこの手の任務でよくある話だ。おそらく今回もその例に漏れないだろう。
ビルの階段を上り。険しい山を登るように二階へ上がると、加奈たちは人の気配を感じ取って足を止めた。巧一朗が幻覚機の引き金を躊躇わず引いた。長年の勘から守護士にとって悪意のある者だと察したうえでの判断だった。数秒後、人の気配がみるみるうちに消え去った。
「何だったんすかね?」
「わからない。気のせいだといいんだが……」
目の前に広がる視界には、ボロボロの
気休めとばかりに照明のスイッチを入れたものの反応はなく、既に使われなくなった建物のようだった。
任務で使われる小型ライトを片手に、暗闇に包まれた周囲の状況を探っていく。
今度は通信端末から電妖体の反応が強くなった。端末の画面がアラートを示しており、付近に対象の物体がいることを示している。
「巧一朗!」
「了解っす!」
加奈は素早く巧一朗へ二振りのユニットを渡し、警戒を強めた。
二つの世界の境となっている地点において、ユニットの運用は慎重に行わなければならない。現在の領域は現想界側に書き換わっているが、仮に現実世界側に切り替わった瞬間に守護士はユニットで解放した呪粒子を回復できずに消耗する。特に加奈は幻覚機の件もあるため神経質になりがちだ。
通信端末の電妖体への反応が最大限になり、敵は目前に迫っていた、ように思えた。
電妖体が出現したと思える地点へライトを当てるが、そこに異形の存在の姿はない。
「反応が……消えた……?」
「何も見えないっす――」
「待て、何か来るぞ」
電妖体が反応を消す光学迷彩を備えているものがいる事例は聞いたことがない。新たな進化体だとすれば、守護士にとって大きな脅威となり得る。
しかし、実際には光の外側から人らしき者の足音が聴こえ、男性とみられる人の声も聴こえてきた。
「二人とも、よく来てくれたね」
ライトを照らした先にいた男が、壮年の見た目とダークスーツで身を固めていた。
「誰だ!?」
加奈と巧一朗がユニットを展開し、最大限の警戒心をもって問うた。
男は解放されたユニットに驚くこともなく、落ち着いた表情を崩さなかった。
「僕は修司と言う者だ。君たちを歓迎するよ」
人と電妖体の気配が混ざる異様な空間が、加奈たちを支配していた。
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