第17話 夢の続き

 角の生えた電妖体が麻依を凄惨に食い荒らそうとする直前、加奈は巧一朗が双剣の一本を自分に向けて放り投げていたことを見逃さなかった。わずかな時間で敬一郎がユニットの権限を素早く移譲する操作を踏んでいた所も織り込み済みだった。

 

 決して浅くはない関係を持つ間柄だった加奈と巧一朗は、阿吽の呼吸ともいえるような連携で男の動揺を誘った。

 

 牙を刃で防いだ加奈は両足を踏みこみ、サイバーアーツの出力を一時的に上昇させる。かつて存在した油圧式の機械のように力強く男を押しのけると、素早く袈裟斬りを展開。男への傷は浅かったものの、麻依を救うまでの十分な時間稼ぎができた。


「があっ……!」


 傷を負った男の手から麻依が離れると、すかさず加奈が倒れる前に抱き留めた。


「麻依!」


 加奈は耳元で呼吸を聴くと、彼女はまだ息をしていた。大丈夫、自分たちは生きていると実感した。一先ず安堵はしたが、今もなお油断できない。


 禍々しい角を持った男が体勢を立て直す前に、加奈は羽のように軽い麻依を抱えて、電妖体の攻撃が届かない範囲まで一時的に逃れた。


「逃がすかぁ!」


 貪らんとした人間を奪われ、男は極端に依存する中毒者のように暴走を始めようとしていた。加奈が予測しなくともわかるほど明白だった。食事の邪魔をした者全員に牙が向けられている。


 猪突猛進で加奈たちに向かってくる男の前に、吹っ飛ばされていたボロボロの巧一朗が一振りの剣を持って行く手を阻んだ。


「前菜に俺はいかがっすか?」


 戦況を見ていた加奈には、一人の守護士を前にした男が面食らっていたように見えた。


「お前ぇ! どうしてオレの一発を食らって立っていられるんだぁ!?」


 男は無事では済まされないような攻撃を与えたはずの巧一朗が生きており、活火山の噴火のように訳も分からず激昂した。


「相手が悪かったっすね。俺はこういう修羅場を何度も潜り抜けてきたんです。あんたの一撃を受け止めるなんてお茶の子さいさいっすよ?」


「このぉ! 今度こそ殺してやるぅ!」


 巧一朗はそれだけ大げさなリアクションを見せて一撃を受けていたのだろう。見ていた加奈は敵を欺けるための作戦であると、幾度の戦いの中で誕生した美学の領域に達するほどの受け身だと、そう信じて彼の剣の力を借りた。


 加奈は麻依を庇いながら電妖体の残党を難なく処理し続けた。不思議と守るべき存在が近くにいると、サイバーアーツ以上に沸々と力が湧き上がってくるようで、新たな高揚感に包まれる。身体が戦えと奮い立たせるというよりも、命を守るという生の価値を高めるような、ある種の冷静さを保った状態でその場にいた電妖体を一掃する。一先ず、拠点までの退路を確保できたところでオペレーターの三國に連絡し、医療班の到着を待った。


 加奈は敬一郎を見やると、剣と鬼の爪による連続した高速の鍔迫り合いを起こしており、それが激闘のすさまじさを物語っていた。遂には敬一郎が鬼の左腕を切断し、激痛を引き起こさせたところで距離を詰め、正確に心臓を貫いて息の根を止めた。更に執拗に滅多刺しを続けると、鬼は落ち葉が枯れるように死体に変わり、やがて粒子を飛ばして消滅した。


 死闘というほどではなかったが、一種の囮役を買って出てくれた巧一朗のことを考えると激闘という単語が浮かび上がってくる。


 すべての電妖体の駆逐が終わり、巧一朗がスタスタと近づいてきた時、加奈はユニットを巧一朗に返した。


『権限を復元しました』


 ユニットが無機質に音声を流したが、構わず加奈は巧一朗から自分と麻依のユニットを受け取った。


「この子が夢に出てきた麻依ちゃんっすね?」


「そうだ。訳あってここ最近よく会っていたが、身の危険がここまで及ぶとは思いもよらなかった」


 加奈は麻依の窮地を救ったが、こんな事態が何度も続くことを考えると思わず眩暈を起こしてしまうほど辟易する。体内から呪粒子を放出させるサイバーアーツはただでさえ体力の消耗が激しい。そのため、毎回のように麻依を救って生還する確率は天文学的な数字になるだろう。


「それにしても襲ってくる進化体は久々でしたね。これで終わってくれればいいんすけど」


「進化体が増えているという情報は少しずつ増えている。相手側もただでは終わらないだろう」


「そうっすね。俺たちは従うべきところに従うしかないっす」


「ああ。どんな決断を下そうとも、な」


 加奈も巧一朗も守護士協会の方針に対して異を唱えようとしたことはあった。しかし、それを行おうとすれば途端に自分たちが自活するだけの基盤は崩れ、迫害から逃れる術を失う。上層部の決定は、所属する守護士にも絶対の命令だ。


「とりあえず、拠点の医療班に見てもらいましょう。俺も一旦戻って報告に行くので、石本さんは麻依ちゃんに付き添ってあげてください」


「そうだな。君も無事とはいえ怪我を治した方がいい。くれぐれも気を付けてな」


「わかってるっす。それじゃ、また次の仕事で」


 巧一朗が姿を消し、加奈は麻依を楽な姿勢で寝かせていると、あっという間に医療班が到着し、拠点へと運び込まれた。


 守護士たちの去った無音の廃墟には風の音が響くばかりだった。


   ▽


 麻依は拠点にいた医療班の下で処置が行われ、現在は仮設ベッドの上で眠っているという話を、加奈は他の守護士から聞いていた。

拠点で報告を終えたあとに病室となっているテントの中に入った。すると麻依の頭や腕など所々に包帯が巻かれ、左腕にはカテーテルが繋がっている。


「加奈……さん……?」


 気配に気づいたように、意識を取り戻した麻依の両目が開いた。


「大丈夫か?」


「はい、何とか……ありがとう、ございます……」


 顔を覗き込んだ加奈は気遣うように問い掛けたが、麻依は応答で精いっぱいの様子だ。


 虚ろな瞳に光を灯そうとする麻依の表情はぼんやりとしていたが、徐々に輝きが戻ってきた。


「助けて、くれたんですね……あたし、加奈さんが来るって……信じてました……」


「大げさだな。正確には私の後輩が助けたのだが」


「いいんです……加奈さんが傍にいるだけで、あたしは幸せですから……」


「幸せ、か……」


 加奈は彼女の発した単語を聴き、妙な充実感を得ているこの瞬間を幸せだと思ってもいいのかもしれない、そう感じ取った。


 戦うことに喜びを噛み締める瞬間は、現想界に出ていれば嫌というほど味わう感覚だ。しかし、救助者を含めた全員が生還させて拠点に帰還したこの感覚は忘れられない達成感に包まれる。守護士と言う職に就いた以上、この体験を忘れるわけにはいかない。


「おかしい、ですか?」


「そんなことはない。君がそう思うのであれば、私もそれでいい」


 加奈は思わず言葉が喉に詰まりそうになったが、平静を装って返すと、おぼろげな顔を崩さない麻依が不意に笑った。


「ふふっ。なんだか、夢の続きを見ているみたいです。そこでも加奈さんに会ったんですよ? また今日も会えるかなって思ったら、会えました」


 何気なく発せられた麻依の言葉に、加奈は落ち着いた口調で彼女に質問する。


「そこには私以外に誰かいなかったか?」


「あたしを助けてくれた、巧一朗さんがいました。あたしがなぜかお蕎麦屋さんを営んでいて、共通の話題が出てきて少しだけお話したような、気がします」


「そうか……」


 やはり麻依も同じような夢を見ていたというのか――そう加奈は考えた。加奈を含めた三人が同様の夢を見ていたことは果たして予知夢か何かなのだろうかと推測するが、現時点では皆目見当がつかない。ただの偶然で片づけてはいけない気がして堪らなかった。


「もしかして、加奈さんも見たんですか?」


 麻依が察したのか、考え事していた加奈は自分の本心を見透かされたような気持ちになった。なぜだろう、彼女の前では嘘を付けないような気がした。


「ああ。おおむね、君と同じものだった」


「そう、でしたか。嬉しいです」


 今度の麻依は、くっきりした笑顔を見せた。それはまるで空へ向かって開く小さく咲き誇る花のようだった。


 三人を引き合わせた夢、進化体との遭遇——加奈にとってそれが意味を成しているのかは分からない。しかし、今はただ、救うことのできた、麻依という一人の旅人と話している瞬間が、この上なく愛おしいと感じているだけで良かった。


 この日の加奈は、風雷に帰宅するまでの道のりを帰りたくないという想いで一杯になった。この想いを何と呼ぶのか、最後まで言葉で言い表すことはできなかった。

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