第16話 遭遇

 秋野麻依は過去から今に至るまで幾度となく電妖体の襲撃を乗り越えてきた。誰も助けは来ず、己の勘と実戦経験のみで挑む状況すらあった。ひとつひとつの苦境を乗り越えた先で学んだこととして、助けを求めるのは恥ずべきではないと知った。時には救難信号を発信し、照明弾を撃ち、劣勢をはねのけて今に至っている。

 

 麻依はサイバーアーツを展開する直前まで、自分は無闇に頼ろうとしない弱さがこびりついた錆びのように離れなかった。いま訪れている危機もそうだ。ギリギリまで自分の力で打開しようとして裏目に出たのだ。気づいた頃には、人の姿をした電妖体の多数に囲まれている。しかし、事態が大きくなる前に救難信号を送信できた。

 

 電妖体の姿形は人間と遜色がなかったが、鬼のように角が生えた頭に黄金色の瞳と鋭い爪、牙、ゾンビ映画のように血塗られた赤い体色には目を覆いたくなるような不快感を募らせた。


 麻依は依然として逆境の中にいた。電妖体の能力と集団としての組織力が重なり、麻依は太刀打ちがほぼ不可能だと理解していた。サイバーアーツを展開しつつ、時折反撃して集団の数を減らしてはいたが、退路を断ち切るように人型電妖体は麻依の行く手を塞ぎつつあった。


 麻依は完全に囲まれていたが、牙を剥く素振りを見せていた電妖体たちの中で、男の間延びした声が「とまれぇ!」と集団に向かって怒鳴るように叫んだ。その声は猛禽類のようにしゃがれていた。


「もう諦めなぁ?」


 次の声は麻依に向けて放たれたものだった。


 何らかの対話を望むのか、麻依も一時的に攻撃を止めた。


 群れの中からひときわ長身の電妖体が現れた。ぼろぼろの和服に似た布を着ており、それはまるで日本の昔話に出てきたおどろおどろしい妖怪の姿を模していた。


 麻依と対峙する、リーダーと見られる集団の先頭にいた電妖体の開口に麻依は驚かなかった。電妖体も進化する。人と同様の能力を会得するなどいずれは現実になる未来だった。


「あたしが降参しても、結局食べるんでしょ?」


 サイバーアーツの維持が困難になってきた麻依は疲労でずっしりと重くなった全身を何とか支えながら、喋る電妖体に銃を構えた。銃型ユニットの発動をもってあと数発。このままでは生き残れない。


 しかし、電妖体が紡ぐ言葉は残酷だった。


「当然だろぉ? オレたちの生存には不要だがなぁ、人間の身体は美味だと聞くぜぇ?おとなしく血と肉と骨を差し出しなぁ! 最高の食事が待っているんだからよぉ?」


「魂だけはお気に召さないみたいだね」


「オレが食えるのはお前の身体だけさぁ!」


「お断り。あたしは死ねないし、あなたたちに食べられる筋合いもない」


 言葉に反して麻依は恐れのあまり汗がにじみ出ている。その恐怖を展開したサイバーアーツが打ち消し、戦いたいという欲求を引き出された上で笑みがこぼれていた。


「そうかぁ。残念だがどんな理由があろうとも、お前の肉体はオレたちがいただくぜぇ。しがらみに揉まれた魂だけは解放してやるとしよう――」


 リーダーが言い切ったと同時に麻依の銃が吠え、一部の電妖体が彼の後ろで消滅した。


「あたしは奪われない。誰にも、何にも……!」


 救援を信じる麻依は友の形見である大型ナイフを構え、サイバーアーツの状態変化に乗じて攻勢に転じた。


   ▽ 


 加奈たちは廃墟の屋上をバッタのように跳び移っては地上を走り続けていた。想像以上の短距離が幸いし、対象となる電妖体とは非常に近くで交戦できた。サイバーアーツを発動させると一気に電妖体の集団をなぎ倒しにかかる。


 言語能力に長けた電妖体であるなら、決して戦わずに話し合いで平和的な決着を望むところではあった。しかし、守護士協会が許さないだろう。上層部は人類の存続という口実の下、断固として駆逐を望んでいるためだ。


 加奈たちはあっという間に電妖体の集団に包囲された。人の姿を成しているものの、獣のように威嚇のような声を浴びた。


 問答無用で襲いかかる集団を加奈は無感情で斬りかかり、巧一郎も続いては鬼神のごとく狂喜に満ちた表情で挑んだ。


 電妖体によって作られた道なき道を切り開いていくと、加奈たちの目の前に凄まじい速さで瓦礫の塊が飛んできた。すんでのところで横に跳んで何を逃れたが、同時に著大な異形が現れた。


 力自慢の豪腕を持つ電妖体が巨大な城壁のように加奈たちの前を立ちはだかったのだ。


「俺に任せてください」


 加奈が巧一郎を見やれば既に規格外の跳躍を見せており、豪腕の電妖体の頭を狙って斬りかかっていた。いくつかの斬撃は防がれたものの、一定の攻撃は効いているようでで、額の傷口から呪粒子を吹き出しながら悲鳴を上げて倒れ込んだ。


 巧一郎のとどめを刺す瞬間を尻目に、加奈はたち塞がる電妖体を次々と切りつけながら麻依が救助要請を行った地点へと急いだ。加奈の駆逐した電妖体は死体へ変わり、死体は呪粒子へと変化を遂げ、風と共に流れた。


「そこまでだぁ!」


 加奈は男の野太い声を聞き、その主の姿を見た途端、刀を振るう手をピタリと止めた。


 集団のボスと見られる角の生えた電妖体が仁王立ちしている。男の隣では口から血を流して気を失っている麻依がいた。男の鋭い爪が彼女の喉元に突き立てる直前にまで迫っていた。それだけではなく、腰には銃と大型ナイフを所持しており、彼女の得物も男の手に渡っていた。


「刀を捨てろ守護士! さもなくばこのガキはオレが食う!」


 「麻依……!」加奈は悲痛な声をこぼした。刃を出したままの状態が、逆に加奈の冷静さを促していた。


 現実世界の立てこもり犯のように人質を取るこの男が、現想界で徐々に数を増やす進化体とは異なる変化を遂げているとその場で推察した。


 巧一郎はまだ周辺の掃討を続けている。合流まで時間を稼ぐ手もあるが、男は業を煮やして麻依を食い荒らしかねない。


 此方から見る麻依はわずかに肩を上下させている。微かな呼吸が加奈にまで伝わってくる。


 加奈はユニットの刃を納め、地面に柄を置いた。

 

 人命を優先し、男の要求を受け入れ、慎重に、穏やかに刀から離れた。


 放棄した刀に近づいた男は「動くなよぉ?」と念押しして刀を拾いあげ、腰に結んでいた帯に差した。


「君は言葉が通じるようだな」


「そうだぜぇ、オレはお前みたいなヤツが来るのをずっと待っていたぁ」


 近くにいる仲間を殺されたにも関わらず、男は寧ろそれが喜ばしいと言わんばかりに笑っている。


「何が目的だ?」


 加奈が訊くと、男は更に、より豪快に笑った。


「もっと強い人間を食わせろぉ。オレにとってはそれがすべてだぁ」


 即座に首を横に降った。多くの死を見てきた一人の守護士は、襲い来る未来の悲劇をこれ以上受け入れるわけにはいかなかった。


「捕食を行うのであれば、君は我々の討伐対象にあたる」


「守護士は皆同じことを言うなぁ。そして同じようにオレたちに食われる」


「私はそうはいかないかもしれないぞ?」


 脅しでも驕りでもなかった。協会に身を置く以上、それ以外の選択肢はなかった。


「どうだかなぁ。どうせお前たちは隙をついてこの女を助けられると思っているんだろぉ? 一緒にいた野郎はもう持たないかもしれねぇなぁ」


「申し訳ないが、私の連れはそこまでヤワじゃない」


 戦況は加奈の言葉が正しく進んでいた。周囲で猛威を振るう巧一朗は電妖体たちに対して脅威には変わらず、いつも通りの実力を発揮して敵の掃討を進めていたからだ。


「だが、お前は丸腰だなぁ。無力感に浸りながらガキが食われるところを鑑賞するがいいさぁ――」


 男が言い切ろうとした途端、彼の背後から喉元へ刃が突き付けられているところを加奈は目撃した。敵を一掃した巧一朗が、気配もなく近づいて脅すように男へ刃を向けていたのだ。


「その子を放してください。そうしなければ、あんたの首が飛ぶっすよ?」


 男は振り返らなかった。


「見逃す気はないんだろぉ? どうせお前もオレを殺そうとする」


 巧一朗の要求であるはずなのに、加奈に言い聞かせるような口調で話している。


「これだけ話せるんなら守護士協会おえらいさんと掛け合って罪を軽くすることもできます。同胞を食っていなければの話っすけどね」


「ふははっ、なら俺は死刑だなぁ」


「今捕まれば、無期懲役に軽くなるかもしれませんよ?」


「そうするかなぁ」


 立派な角の生えた男は諦めたように頭を垂れると、小さな声で「だが」と呟き、不意討ちの後ろ蹴りで巧一朗を吹っ飛ばした。飛ばされた巧一朗が宙を舞い、砂ぼこりを上げながら地面に転がっていった。


「その前にこのガキを食い尽くしてやるぅ!」


 男は大きな口を開け、鋭い牙で麻依を頭から貪り尽くさんとばかりに齧りつこうとした、その時だった。


 間一髪、瞬間的に出現した刀身が、麻依の命を奪おうとした獰猛な牙を受け止めていた。


 巧一朗の半身ともいえる双剣の一方を加奈が握りしめ、愛刀と同様に使いこなしていた。


『権限の一部を移譲し、生体認証が実行されました』


 それはユニットから流れた自動音声だった。


「……!?」


 男は明らかな動揺を見せていた。おかしい、こんなことはあり得ない、という表情が隠しきれていなかった。ユニットを赤の他人が使えるようになったという事実から目を背けたがるように。

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