第8話 決着
大量の虫のギャラリーが一点に集中する中、号砲の無い決闘が開始された。
大きな八本の健脚が加奈めがけて突進するように牙を剝いて攻撃を仕掛ける。
加奈は刀を右手に持ち替えながら横に跳んでさらりと避け、スライディングしながら着地の反動を軽減していく。灰色の砂ぼこりが彼女を中心に巻き起こっていた。
女王もすぐさま左を向きつつ牙を人間の女へと突き刺そうとするが、既に複眼の中から標的が消失したように見えた。
加奈が構えられた刃と共に華麗に宙を舞い、錐揉み飛行さながらの急降下を始める。同時に振り下ろす刀の勢いを殺さずに回転を加えて威力を加算させていく。
「やああああああっ!」
加奈は女王の反応が遅れたと読んで迷わず切っ先を突き刺した、ように見えた。
刀の形を保つサイバーアーツが捉えたのは女王の一本の脚であり、それが切断されて吹っ飛んでいる頃には女王もかろうじて急所の攻撃から逃れただけに過ぎなかった。
女王は残りの脚を巧みに動かして加奈の連続した刀の連続攻撃を、斬り伏せられるすれすれの位置で避けては毒の滴る牙で応戦した。
加奈も女王が噴射した毒液をバックステップで避けながら反撃の機会を窺っていた。
地面が所々毒によって融解し、煙を出しながら満月のようなクレーターを形成していく。いくつもの小さな穴が完成する頃には、刀で斬りかかっていく加奈とその攻撃を見切って器用に避けて反撃する女王の姿が群衆の目に映っていた。
何度かの応酬が続いた時、毒液と牙という女王の攻撃をすべてかわし切った加奈が女王の脚を片っ端からスパッと斬り伏せていく。
激痛を全身に浴びた女王は言語化できない悲鳴を上げ、見るも無残に全身の動きが取れなくなり、しまいには自分が作り出した毒液でできた穴に身体の半分を埋めてしまう。
「貰った!」
最高潮の戦意を持っていた加奈は決着を確信した。しっかりと柄を握り締め、女王の眉間めがけて刀を突き刺した――はずだった。
突如として刀に重みが無くなり、代わりに感じ取ったのはあまりにも軽い柄の感触だけ。
「そんな……」
加奈の愛刀に何らかのトラブルが起きたのは明白だった。
目前の勝機をその手に掴もうとしたタイミングで引き起こされたアクシデント。
幽霊のようにフッと刀身が消えた瞬間に昂っていた戦意も霧散し、平静を取り戻した先にある加奈の脳裏には敗北や死といった絶望の単語ばかりが浮かんでいた。
サイバーアーツの衝動に任せて戦い続けてきた代償は必ずやってくる。守護士になった時点で避けられない宿命の一つだったが、この一番で刀が故障する事態に陥ることは文字通り死活問題だった。
女王の複眼があざけるように笑っていた。ここで猛毒を浴びせれば加奈の死は確実なものとなる。
驚きを隠せず両目を見開いた加奈の前には大グモの毒牙が目前まで迫っていた。
終わりだ。一生をここで終えると覚悟を決めた時だった。
背後で複数の銃声が鳴り響き、空気を貫いた先に迫っていた女王は一瞬にしてぐちゃぐちゃの体液をまき散らしていた。
しのぎを削っていた麻依が撃ったと思われる銃弾がクモの眉間に次々と命中し、自ら形成した落とし穴の中に引きずり込まれ、あっという間にこと切れた。
加奈は女王の亡骸が入った穴の淵で、刀身を失った柄を持ちながら立ちすくんでいた。
亡骸が徐々に粒子へと変わり、何の変哲もない空気の中に溶け込んでいく。
飛び散った異臭の漂う体液の一部を服に浴びながらも、戦う以前の心情を取り戻していた。高まっていた心拍が穏やかに変わり、全身の五感
のバランスが戻った。鋭かった視覚、嗅覚、聴覚といった感覚が常人のそれに感度を弱め、徐々に落ち着きを取り戻しつつあった。
加奈がすべての状況を把握しようと周囲に目を向けた時、クモの大群は大混乱を起こして四方八方に散り散りとなって姿を消していく姿をぼんやりとした思考で見送った。
一人の少女が毒液によって作られた数々の穴に混ざるように取り残されている。彼女は息を切らしながら武装の解かれたサイバーアーツを放つユニットを両手に持って必死の形相で立っている。その少女こそ麻依だった。
麻依の額に汗が浮かび上がり前髪がべったりとくっついていた。先日まで冬だった現想界における急激な気温上昇と、長時間の戦闘によって代謝を促進させた様子だ。
加奈はまともな精神状態となった麻依と目が合った。
「加奈さん!? 加奈さんですか!?」
麻依の声は加奈の身を案じていたような言葉を放っていた。
加奈はただ一つ、頷くだけだった。聞きたい話は山ほどあるが、命を救われた借りがここでできた以上、素直に応えようと努める。
「今そっちに行きます!」
麻依は距離のある荒れ地を走り抜けると、立ちすくんだままの加奈に駆け寄った。
「大丈夫ですか? 怪我とかしていませんか?」
「——問題ない」
本当はなぜこの事態に陥った経緯を知りたかったが、それよりも麻依が女王を仕留めなければ命がなかったという事実を受け止めければいけなかった。それだけ自分が危うい状況に踏み込んでいたのだ。
「すまない。おかげで助かった」
「いえ、あたしも訳が分からないまま撃ってしまったので、それが命中しただけなんです。でも、無事でよかった……」
麻依は力が抜け落ちたようにストンと膝をついた。どうやら安堵している様子だ。
「私はそんな君に救われたらしい。貸し一つだ。改めて感謝する」
「そんな、あたしはただ闇雲に撃ち続けただけなので……」
「どうして電妖体を撃ち続けるような状況になったんだ?」
「最初は襲ってきたクモたちを少しだけ追い払うつもりでいたんですけど、気づいたら楽しくなってしまって」
要するにこういう解釈でいいのだろう。
「ドツボにハマったようだな」
加奈は「はぁ……」と溜息をついた。
麻依は典型的なサイバーアーツの副作用をまともに受けていた。
状況から察するに、先ほど戦った時の好戦的な性格に変貌する特徴をうまくコントロールできておらず、暴走を始めたようだ。新人の守護士がよく引き起こす副作用のような反応だが、加奈は麻依が若輩者なのだという認識を示した。
「さっきの活躍を見たうえで頼みたいことがある」
「私に、ですか?」
麻依の問いに加奈は「そうだ」と返した。
「ゲートまでの護衛を頼めるか? 刀が故障してしまってな。これで貸し二つだ」
加奈は先ほどまで使いこなしていたユニットを麻依に見せた。
柄をよく見ると、縦に大きな亀裂が入っており、明確なトラブルがユニットの内外から引き起こされていると思えるほどに消耗していた。
「そういうこと、気にするタイプなんですね」
聞かれた加奈はこくりと頷いた。
「いつになるかわからないが、早めに借りは返す。約束しよう」
「ぎ、義理堅い……」
麻依は苦笑していた。
「苦手か?」
「いえ、そういうわけではないんですけど。あたし、よく約束破っちゃうので守れるかなぁって」
「私が覚えていれば十分のはずだ。謝礼は
「乗ります。それでいきましょう」
麻依は迷いなく即答した。
面白いように交渉が成立しているため、加奈は若干困惑している。
加奈と麻依がそれぞれ通信端末を操作してかざすと『送金完了』という通知と共に、加奈の所持金から一定額、麻依の端末に通貨が流れ込んだ。
電神通貨とは現想界と現実世界の両世界で利用可能な特定の形を持たない通貨の一種で、単位は世界各国の通貨単位に依存している。
「ゲートは東の方向にある。私たちが来た道とは真逆だ」
「わっかりましたー! またアイツらが来た時には適当にやっつけちゃいますね!」
麻依は発動前のユニットを構え、早くも走り出すような前傾姿勢で加奈の隣に立っていた。
「先ほどのような暴走は控えるように。なるべく私の後を追いかけながら援護射撃してくれ」
「はーい」
次の瞬間、二人は今出せる俊足で現想界の荒野を激走していた。
たった数百メートルの距離で息を上げていては守護士としての役割は果たせなくなる。が、両者ともに息を荒げてはいなかった。
麻依は聞いているのか聞いていないのかよくわからないが、時折出現した比較的大きいサイズの電妖体を確実に命中させては粒子の雨に分解している。どうやら麻依は素直に行動してくれているらしい。
目的地となるゲートの前に到着した際には周辺にいた外敵を圧倒する射撃センスで次々と撃ち殺していった。
時たま流れる突風によって麻依の倒した電妖体の死骸が粒子の埃となってほとんどが消滅していった。
「ここまでで大丈夫だ。君の護衛に感謝する」
「貰ったお金、旅の資金として大切に使わせていただきますね!」
「あ、ああ……」
あとはゲートをくぐればいいというところで、加奈は思い悩んでいた。
昨日佑香と話した際に浮き彫りになった、麻依に関する数々の疑問をここで聞くべきだろうか?
麻依は恩人だ。加奈を救ってくれた本人にそれを聞くには情報が不足している。今はやめておこうと結論を先延ばしにした。
「どうかしましたか?」
「いや、何でもない。とにかく、ありがとう」
気づいていないふりをしたが、それを麻依に見透かされることはなかった。
「こちらこそありがとうございました! またどこかで会いましょう!」
トレードマークのリュックサックを背負っている麻依は再び現想界に広がる荒野の中を走り出し、遂には加奈の視界から消えた。
守護士として求められる俊足ぶりが垣間見えた。
加奈はゲートをくぐって現実世界に戻ってくると、この日の仕事を終わらせて風雷へと帰還した。
陽気に包まれた、ぽかぽかとした一日の中に殺伐とした現実が蝕み始めていることを、現実世界の人々はまだ知らない。
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