第2章 鳴動

第9話 修理屋にて

 刀の力を失った加奈は、佑香から一日の休暇を命じられた。連日現想界に赴いて疲労が蓄積していたことも含まれるが、一時的に戦う術を失う窮地に追い込まれたことに対して守護士としての自覚が足りないと指摘を受けた。勿論加奈自身もアクシデントに対処できず、力不足を痛感していた。

 

 佑香の言葉を借りるならば「リフレッシュしてきなさい」という口実が見え隠れしているようにしか思えなかった。

 

 翌日、通勤ラッシュの無い時間帯に乗る地下鉄にて。柔らかい座席に身体を埋めながら通信端末を弄るのに費やしていた時間を、ただ流れるトンネルの内部の景色をぼーっと眺める時間に置き換えている。加奈はどちらにしても現実逃避をしているようで、いつもの日常と比べると違和感がぬぐえなかった。


 加奈は東神駅を南口へ降りた先にある小さな木造りのお店に立ち寄ろうとしていた。


 建物の二階部分には木製の看板にスタイリッシュなフォントで「アメノマフィックス」と書かれており、文字通り何かの修理を専門とする店と思われる。


 店の前に立っていると、路上を歩いている大衆の数人がひそひそと話している。おおよその見当はつくが、守護士に対する偏見の目が根強く残っているところを考えると、待遇の良さと反比例して人々の畏怖が簡単には拭えないものだと加奈は感じていた。


 加奈は店に入るのに少々躊躇ったが、数秒後には元の冷静な表情に戻った。色々と思うところがあるが、この店に行かなければ商売道具を直せない。


 ドアベルを鳴らしながら堂々と入店すると。店の中には様々な刀剣や銃器といったサイバーアーツを展開するユニットが壁の至る所に飾られており、さながら海外のガンショップという印象が強かった。


 ちなみに現想界で使われる武器は現実世界では全く機能しないため、銃のグリップや刀の柄だけのようにただの飾りとして扱われる。

加奈の前には、見慣れた長髪の女性が立っていた。


「いらっしゃいませ――って加奈じゃん。久しぶりじゃないの」


 加奈を見るなり接客モードを解除した女性は一目で修理士と分かった。その証拠に服装はデニム生地による厚手のエプロン、軍手を身に着けており、いかにも修理士という出で立ちをしていた。


 アメノマフィックスの店主、天目沙希(あめのまさき)。加奈とは学生時代に知り合った友人であり、よき理解者でもあった。何より加奈のサイバーアーツを駆動させる刀(ユニット)を直せる元気な職人は彼女ぐらいしかいない。加奈と沙希の性格は正反対だが、不思議と馬の合う関係が今の今まで続いている。


「沙希。少し世話になるぞ」


「はいはい、いつものね。でも友人と言えどもお代はきっちり取るよ?」


「それで構わない」


 加奈は早速、柄だけの愛刀を取り出して、近くにあった一メートル四方の机の上に置いた。


 柄を見た沙希は色々と諦めたような、そして呆れたような顔をして苦笑していた。


「うわー、これまた派手にやってくれたねぇ」


 この一言が表すように、ユニットである柄には大きく縦に亀裂が生じ、今にも瓦解しかねない強化ガラスのようにひびだらけの様相だった。仕方ないと言えば仕方ない。加奈も自分で修理するという選択肢はないほどだった。


 沙希は加奈から柄を受け取ると、しげしげとあらゆる方向からユニットを眺め、簡潔に状態を伝えた。


「サイバーアーツの変換負荷がかかりすぎて刃がショートを起こしたみたい。また強い奴さんと戦ったの?」


守護士サイディアンの本能に従ったまでだ」


「みんなそれ言うよねぇ。衝動を抑えきれない人も多いから修理の需要が多くなっちゃう。それはそれで嬉しい悲鳴だけどさ」


「直せるか?」


「わたしを誰だと思っているの? 修理のプロに任せなさい!」


 沙希は豊かな胸を張った。


「ありがとう。助かる」


「どういたしまして。加奈がわたしのお客さんで本当に良かったよ。あっ、オプションでお守りも貸すよ?」


「ああ。借りよう」


「はいこれ。今日中に返してね」


 加奈は忙しなく動き回っている沙希の手から別のユニットである刀の柄を受け取ると安心したように息を吐いた。


 沙希は店の奥に設置された作業場に向かい、修理を始めた。


「夜八時にまた店に来て! その頃には直ってるから!」


 遠くで沙希の声が聴こえると、加奈は「わかった」とやや大きな声で返して店を去った。


 店の外に出た加奈は、突然通りがかった何者かが自分の身体にぶつかる感覚を得た。衝突の威力はそこまでとは言い難いが、当たり屋のように一方的な速さでぶつかってきたため明らかに相手が悪い。


「ご、ごめんなさい!」


 比較的背の低い少女が聞き覚えのある声で謝っていた所を見て、我を疑った。


「麻依……?」


「え、加奈さん? 加奈さんですよね?」


 危険な異世界の旅人を自称する少女と三日連続で顔を合わせるなんて思いもよらなかった。麻依が住んでいると思われる現想界ではなく、現実世界で見かけることすら珍しい。


 麻依の問いかけに対して加奈は「そうだ」と答え、謎を抱えた表情を示している。


「何のために現実世界へ来たんだ?」


「そ、そうですね……簡単に言うと現実世界でも旅を始めました」


「また旅か」


 口を濁すような麻依の発言に加奈はやや呆れていた。


「あたしは誘惑する香りにひっかかる猫じゃありませんよ?」


「マタタビではない」


 いつの間にか小気味の良い漫才に発展していた加奈はやり取りを一度断ち切った。


「ところで、この店に何か用か?」


 加奈は拳を作ってから親指を沙希の修理屋に向けた。


「ええっと、ちょっと言いづらいのですが……」


「いたぞ! 修理屋の前だ!」


 遠くで男らしき会話が聴こえてきた。


 革ジャンを羽織った恰幅のいい大男が二人、雑踏の中から麻依を追いかけてきたのだ。不良のような格好で、更に年齢も若く、金髪に染めた髪をツーブロックにセットしていた。もう一人は坊主頭の強面をしている。


「見つけたぞ! 今度こそユニットはいただくからな!」


 睨みながら余裕を持って笑っている金髪が麻依のユニットを指さした。


「だから言ったじゃないですか! これは友達から貰ったから売り物じゃないって……」


 麻依がひるまずに反論すると坊主頭の男が燃え盛るように怒号を発した。


守護士サイディアンにそんな権限はねぇ! さっさと寄こしな! こいつがあれば裏市で大金持ちになれるぜ」

 坊主頭が右手を伸ばしながらゆっくりと麻依に近寄ろうしていたが、その間を割り込むようにして加奈が目の前に立ちはだかった。


「待て」


 坊主頭も予想外の奴にピタリと動きを止めた。


「あぁん? そこの女、もしかしてお前も守護士バケモンか?」


「そうだ。我々の人権はとうに回復されている。命と同等のユニットを奪うような真似はしない方がいい」


 加奈の警告ともとれる発言に対しても二人組は見下すようにあざ笑い、退く姿勢は見られない。


「ふはははっ、馬鹿じゃねぇの? いくらこの国で法改正が進もうがお前らに対する差別なんてそう簡単に消えるもんじゃねぇよ!」


「いくら警察に助けを呼んでもほとんどの奴らは知らねぇフリしてんだ。それだけ化け物のお前らに近づきたくないんだろうな!」


「っ……!」


 相手を睨み付けながら加奈は何も言い返せなかった。つい最近まで守護士の人権は蔑ろにされ続けてきたという事実は否定できない。


 電妖体という未知なる化け物と戦うために、そのためだけに、人としての権利を棄てると同意しなければならなかった。


 本来ならば国や人を守る公務員などの職には相応の権限や報酬が与えられていた。しかし、守護士は報酬を得る代わりに人外に姿を変え、忌み嫌われ、心無い罵倒を受け続けた。


 昨年の法改正により守護士の権利は人と同等となったが、今もなお差別と偏見は根強く残っている。


(私たちが戦わなければ、日常などとうに去ってしまうのに……)


 守護士という職を選んだ以上覚悟はしていた。困難は常に目の前に立ちはだかっている。だが、今さら来た道を引き返すわけにはいかない。もう二度と、普通の人間には戻れないのだから。


「抵抗するなら力尽くだ!」


 二人の男が両手の指をポキポキと鳴らし、現実で能力を使えない加奈と麻依を取り押さえようと長い腕で掴もうと試みる。


 麻依はこの状況を恐れているのか、自分の服の裾をきゅっと握り締めた。


 加奈は怯まない。右手に持った沙希からのお守りの柄を握り締めた。


「やめろ」


 その一言と共に現実世界では使えない柄から異世界と同様の刀身が飛び出し、次の瞬間には坊主頭の喉元ギリギリまで刃が近づいていた。


「一歩踏み出したら命はないぞ?」


 加奈の目は正気を保っており、本気を出せば男二人などいともたやすく倒せると言い切れるほどのスピードで踏み込んでいた。


「うっ……!」


 殺気に気圧された坊主の男は抵抗の言葉を吐き出す暇さえ与えてもえらえなかった。


「てめぇ! 俺たちを殺したらどうなると思って……!?」


 そう声を荒げた金髪の男も黙ってしまった。なぜなら突如として加奈が複数体に分身し、もう一方の男の喉元にも分身三人がかりで同様に刃が突き付けられていた。


「斬られたくなければ大人しく帰るんだな」


 種も仕掛けもない現実世界で手品のように披露された加奈の分身とサイバーアーツの実体化に、二人の男は訳も分からず尻尾を巻いて逃げ出した。


「畜生! 逃げろ!」


「ま、待ってくれ! 死にたくねぇよ!」


 捨て台詞にもならない言葉を残し、大慌てで人混みの中に紛れた。周囲を歩いていた民衆は逃げ惑う男たちに向けてひそひそ話を繰り広げていた。


「加奈さん、ありがとうございます。でも、ユニットを手に持っただけで何もしていないですよね?」


 背後に隠れていた麻依が二本の脚でしっかりと立ったままの加奈をただ見つめていた。


「ああ。彼らはに過ぎない。麻依、落ち着くまで店に入らないか?」


「は、はい……」


 麻依には訳が分からなかっただろう。なぜ現実世界でサイバーアーツを使えたのか。そして、なぜいきなり加奈が分身したのかを。


 加奈は麻依を招き入れるようにして、再びアメノマフィックスへと

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