13.連れていってください
朝晩が冷えるようになり、
虫の音も途絶えてしまった半月の夜、火鉢にやかんをかけた私をお嬢さまが痩せ細った手でまねきました。
「カブラ、隣で寝なさい」
「私がそのような真似をするのは許されません」
「許すのは私よ。誰もきやしないのだから関係ないわ」
お嬢さまの言葉に何の返事もできません。忘れ去られたように静かに過ぎる日々は、お嬢さまにとって辛く寂しいことなのでしょう。お嬢さまが望むのなら誰に何を言われてもかまわないと思い直し、お嬢さまの隣へ布団を敷き横になりました。
「カブラ」
「はい」
「おまえの本当の名前はなんというの?」
「私の名前はカブラです」
「それは私がおまえにつけた名前でしょう」
「はい。お嬢さまにいただいたものが私のすべてでございます」
「……ふふふ、そうね。おまえは私のものだもの」
「はい」
初めてお会いした日から、私はお嬢さまの『カブラ』として生まれ変わったのです。あれからたったの十三年しか経っていないのに、お嬢さまとのお別れが近づいているのが悲しくてたまりませんでした。
だんだんと体が弱っていくお嬢さまのほうが私よりよほど辛いでしょうから、自分の気持ちを抑えなくてはと思いますのに、どうしてもやり切れない悲しみが胸からあふれ涙がこぼれるのです。
「カブラったら、泣いてるの?」
「はい、申し訳ございません」
「なぜ?」
「お嬢さまに置いていかれることが寂しいのです」
「ふふ、馬鹿ね、連れていくわよ。うつしてあげると言ったでしょう?」
「お願いいたします。どうか連れていってください」
「きなさい。うつしてあげるから」
そう言って私を見たお嬢さまの目は妖しく燃えたぎり、私は火に飛び込む虫のように引き寄せられ、どうか臓ふに沁み込みますようにと願いながらお嬢さまの舌に吸い付くのでした。
冬も深まったこうこうと明るい満月の夜、お嬢さまが月見をしたいと言いました。瘦せ細った軽いお嬢さまの体を布団でつつんで膝の上に抱きかかえ、月光に輝く雪が所々に積もった庭に面する縁側に座ります。
「月もマダラね。おまえのほうが酷いけど」
「はい」
「でもわかりやすくていいわ」
「わかりやすいですか」
「ええ。すぐにカブラだってわかるから」
お嬢さまが私を見つけてくださる気があるとわかり、胸がむず痒いようなくすぐったい気持ちになりました。
「カブラは私についてくるのよ」
「はい、必ず」
「大事な約束には
「いいえ。教えてください」
「小指を半分切り取って渡すのよ。カブラにできるかしら?」
「お嬢さまが持っていてくださいますか?」
「ええ。証ですもの」
私はお嬢さまの恐ろしいのぞみを聞き鳥肌がたちました。私の体の一部をお嬢さまがほしいと言ってくださり、それがいつでもお嬢さまと一緒だと思うとゾクゾクする喜びが体の底から湧き私を震わせます。
私はお嬢さまを畳の上に降ろし、月を見ているというので火鉢をそばに寄せました。庭から雪を取って小指をおおい手ぬぐいで結びます。冷しているあいだにナタ――きちんと研いで手入れをしていた自分を今より誇ったことはございません、まな板、指にまくきれいな手ぬぐいと薬を用意しました。
畳を汚してはいけませんので縁側にそれらを並べて準備し、柱にもたれているお嬢さまのほうを向きました。お嬢さまはとても楽しそうに、子供時分と同じ無邪気で残酷な桜色の微笑みを浮かべて私を見ています。
期待の満ちた目に見つめられ、この行いを喜んでもらえているのだとカッと頭が熱くなりました。
自分の指を切るというのに、おかしな興奮で気分が
いよいよとお嬢さまを見ますと赤らんだ頬に目を潤ませ、熱のせいだとはわかっておりますがなにやら蕩けたようなお顔ですので、それほどまでに自分が望まれているのだと痺れるような幸福を感じました。
いくら小指とはいえ骨は硬いものですから、仕損じないように勢いをつけて右手を振り下ろしました。
ナタがまな板に食い込む大きな音が響き、焼けるような痛みで左手すべてが腫れあがったように思えます。体の底から絞り出される声を抑えることもできません。目の前がチカチカまたたき、気が遠くなりそうです。
「カブラ、左手を出しなさい」
ひどい痛みのさなかでもお嬢さまの声を聞き逃す私ではありません。吹き出る額の汗をぬぐい、膝をついたままの姿勢でお嬢さまの前に手を出しました。お嬢さまが私の左手を持って血を拭い、小指に火箸をあてました。ジュウ、という音と一緒に痛みが脳天をつき抜けます。痛みに悶えて体を丸め動けない私をそのままに、お嬢さまは裸足で庭におり雪をすくって私の小指にあてました。手ぬぐいに包み、雪がとけるたびにすくってくれます。裸足でそのようなことと、お止めしたいのですが呻き声しか出せません。
それからどのくらいたったのでしょうか、脈打つ痛みはそのままありますが、体を貫いた鋭い痛みはお嬢さまのおかげでだんだんと落ち着きました。お礼を言ってなんとか体を動かし、まな板の上に転がっている私の指先を
「もらうわね、カブラ」
「はい」
お嬢さまは私から懐紙を受け取り、指先をつまんで笑いました。かわいた唇の両端を上げた微笑みは、私をゾクゾクさせてやまない空恐ろしい美しさに満ちています。見惚れる私の目の前で可愛らしい口を開けて私の指先を咥えたかと思うと、湯飲みの水を口に含みゴクリと音を立てて飲み込みました。なにがどうしたか頭の中が乱れる私を面白そうにみつめ、ゆっくりと湯飲みの水を飲みほします。
「うふふ、ふふふふ、連れていくと言ったでしょう?」
悪戯がうまくいったような楽しさで言われた言葉は、私の胸を貫きました。ああこれで本当に私はお嬢さまの一部になれたのだと、ずっと離れることはないのだとわかったからです。なぜかお嬢さまがよく見えないと目をこすれば、涙が流れ落ちていることにきづきました。
幸福にひたっていた私はお嬢さまの咳で我に返りました。寒い縁側に座って、私などのために裸足で雪をとってきてくれたのですから、カゼをひいてもおかしくありません。急いで抱き上げたお嬢さまは冷え切っており、布団へ寝かせて掻い巻きでくるみました。汚れた足をふいて薬缶のお湯を入れ直した湯たんぽを足下に差し込みます。
その後、私の小指に薬を塗って手ぬぐいを巻き、縁側のものはすべてきれいに片付けました。これはお嬢さまと私の秘め事で、私たち二人のあいだに何一つも入ってほしくなく、何一つ知られたくありませんでしたから。
次の日はケガのせいか私も熱を出しました。通い婆に食事の用意を頼み寝込んでいましたら、布団が動く気配で目を覚ましました。お嬢さまが私の薄い布団の中へもぐりこんできましたので、慌てて体をおこそうとしたら、寝間着のえりをひっぱられました。
「つまらないわ、カブラ」
「申し訳ございません。何かご用がございましたか?」
「おまえも熱が出たのね。もう夜だから眠るわ」
「お部屋までお送りします」
怠い体を起こしてお嬢さまを抱え、なんとか部屋まで歩き柔らかな布団へお嬢さまを横たえました。
「おまえも入るのよ」
「汗で汚れています」
「脱げばいいじゃないの。眠るのだから早くなさい」
「はい」
暖かな布団の中は、お嬢さまとお嬢さまが飲んでいる薬の匂いがします。暖かい布団に私を寝かせようとする気遣いが心に沁み、涙が滲みました。
「今日はおまえも熱いのね」
そう言って私に寄せたお嬢さまの足先は、ヒヤリと湿っておりました。
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