10.私の美しい主人


 お嬢さまが十八になった春の終わり、祝言がとり行われました。衣通姫そとおりひめもかくやとばかりに美しく、お客様の感嘆かんたんのため息が私にまで聞こえるほど、磨いた玉のように咲き誇る花のように、お嬢さまの姿は輝いておりました。


 3日間の祝言とその準備に、臨時のやといを入れても女中たちは目の回るような忙しさです。近頃は体調が思わしくない旦那さまも、このときばかりは生き生きと挨拶回りをされていました。裏方の私も大変忙しく働きましたが、お嬢さまのために何かできることが嬉しく、疲れなど感じません。


 お客様が通ったあとの敷石を掃除する私の耳に朗々としたうたいが聞こえてきます。婿様とさかずきをかわされているのでしょう。これを機にお気持ちが通うよう、婿様がお嬢さまを大切にしてくださるよう心の中で祈りました。



 祝言の後片付けが終わっても、冷めやらない華やかな慌ただしさがお屋敷に漂っておりました。萎れた花ガラを摘み旺盛に茂る雑草を刈っている私も、芍薬の重なり合う花びらのようなお嬢さまを思い出してはフワフワと浮ついています。


 娘用から奥さま用の結い髪になったお嬢さまが、庭をぶらぶらと歩いている姿が目に入りドキリとしました。以前とは違う色香を含んだ風情が、物憂げな顔に濃い陰を落としているように思えます。私には到底わかりませんが、結婚したてというのは喜びと不安の両方があるのかもしれません。

 それでもおめでたいことですから、つとめて明るく挨拶しました。


「ご結婚おめでとうございます、奥さま」


 自分の口から出た『奥さま』という言葉で、冷えた風がヒュウと胸に吹き込んだ気がしました。丹精していた庭の花がよその庭に移し替えられて、私には到底手の届かないところへいってしまった、そんな心持ちです。


「めでたくなんかあるものですか。やめてちょうだい、『奥さま』なんて」

「奥さまを『奥さま』とお呼びしないと叱られてしまいます」

「カブラ、お前の主人は誰なの?」


 低く冷たい声を出し、藤の花をずるりとむしって私を睨み据える剣幕に、背中がゾクゾク震えました。


「奥さまです」

「なら、私に従うべきでしょう?」

「はい」

「お前は私の言うことを聞いていれば良いの。勝手に私の呼び名を変えるなんて図々しいったらないわ」


 そう言って、頭を下げた私にむしった藤の花を投げつけました。ハラハラと降りかかる花びらは私への祝福です。私の主人はお嬢さま、ただお一人です。そう言える喜び、それを認められた喜びが胸いっぱいに広がりました。


 結婚に不満気なお嬢さまの心配より、以前と変わりない物言いへの嬉しさが勝ります。そんな卑しい自分が恥ずかしくなり、顔をあげられない私へお嬢さまの硬い声が落ちてきました。


「カブラは徴兵検査があるのよね」

「はい」

「お前みたいな顔じゃ丙種に決まってるわ」

「体に悪い所はありませんので、乙種になると思います」

「間抜けなんだから乙種にだって落ちるわよ」

「そうでしょうか」

「そうに決まってるでしょ」


 徴兵検査に合格して抽選に当たれば二年間の兵役に出ることになります。私が兵役に出るのを望んでいないような、お嬢さまの言葉に胸が締め付けられました。ご結婚前から不仲の旦那さまには思うように甘えられないのでしょうし、ただの憂さ晴らし相手である私でもそれさえいないのは寂しく思われるのでしょうか。

 最近は私を棒で叩くよりも庭の花をむしるほうが多くなりましたが、なんにせよ気晴らしになるのなら、それが私の喜びです。このままお嬢さまのそばで働きたいと願いながら、徴兵検査を受けに行きました。


 体が大きく丈夫な私は、願い虚しく甲種合格の通知と徴兵の令状をいただきました。

 これを受け取った時の私の悲しみをどう言えばいいのでしょうか。体の中が空になったような、足元からグラグラするような、今まで味わったことのないものでした。

 お嬢さまと別れたくないと兵役を拒否してお屋敷に勤め続けても、捕まって結局はお別れになりますし、お屋敷に迷惑をかける真似などできるはずもありません。


 お屋敷の女中頭に徴兵されたと話し、いとまごいする日も告げました。

 出ていかなければならないその日まで、お嬢さまのおそばにいると決めましたが悲しみは消えません。ぼんやりしたまま竹箒たけぼうきで掃除している私のところへ、お嬢さまがやってきます。この姿が見納めになるかもしれないと、胸が引き裂かれるような気持でお嬢さまに向き直りました。


「お嬢さま、徴兵の令状をいただきました」

「……そう。カブラなんかを選ぶなんてよっぽど困ってるのかしら」

「くじ引きだそうです」

「ふん、私の許しも得ないで勝手なことをして」

「申し訳ございません」

「大きい町なんでしょう? 面白い土産を持って帰ってきたら許してあげるわ」

「……どういったものがお好きでしょうか?」

「ばかね、おまえが探すのよ。わかってたら面白くないじゃない。つまらないものだったら承知しないわ」

「はい、必ず探してまいります」


 最後の言葉は喜びに震えて聞き取りづらかったかもしれません。それでも抑えることはできませんでした。

 離れてるあいだもお嬢さまのことを考え、お嬢さまのために過ごせるのです。そうして、お嬢さまのもとへ帰ることができる。私にとってこれにまさる喜びはありません。


 お屋敷の皆へいとまごいの挨拶をして出て行く日、私をひたと見据えるお嬢さまに深く頭を下げ、必ず帰ってきますと心の中で誓いました。



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