3.お屋敷の話とお嬢さまについてのこと


 私がおつとめに上がったお屋敷についてまだお話ししておりませんでした。話と言いましても私は田舎出の世間知らずですし、通りいっぺんのことだけ聞いてそうですかとしか思いようがありません。


 お屋敷の旦那さまは代々のおおきな温泉宿をいとなむ、たいへん羽振りのよい方です。私は表にだせるような顔ではありませんので、とくに温泉宿ですから顔の半分があざになっているなど、なにをうたがわれるかわかったものではありませんから、お屋敷の下男としてやとわれました。

 お屋敷はにぎやかな通りから外れてしばらく歩き、草がしげりはじめ人の声より虫の声がよく聞こえるのどかな場所に、昔話で聞いた御殿ごてんのようなふぜいで建っております。山あいの貧しい村からでてきた私は、かわら屋根のりっぱなお屋敷、長い長い塀をめぐらした池のある広い庭、温泉をひいたお風呂、そのすべてに目を見張りました。


 旦那さまが白髪になりはじめたころ生まれた一粒だねのお嬢さまは、生まれてすぐお母さまを亡くされたそうです。旦那さまはそれをたいそう不憫ふびんがり、叶わぬ望みがないほど可愛がっておられます。また、季節の変わり目にはかならず寝込まれるほど体が弱く、もっと小さなころは長く生きられないのではと心配されていたそうで、それならばと好きなようにさせていると聞きました。

 下働きが見つからないほどの乱暴ぶりを叱りつけない旦那さまが不思議でしたが、わけを聞けばうなずけます。私が旦那さまでも、恐れ多い想像ではありますが、同じことをするでしょう。


 しばらく寝込んだあとのお嬢さまは退屈をためこんでしまわれるのか、いつもよりいっそう意地悪になりますが、私にはそれがままならないご自分の体に腹を立てているように見えて、いじらしく愛しく思えるのです。そのような私の気持ちも、誇り高いお嬢さまにはあわれみに思えるのでしょう。みすかされてしまいますと柳眉りゅうびを逆立てて怒り、私の背中がはれるまでぶたれました。

 そのときは痛みで仕事がままならなくなり、これはさすがに困りましたのでその後は愛しく思う気持ちを表に出さないよう気をつけておりました。ところが私はあまり頭の良いほうではありませんので、ある日またひどくご機嫌をそこねることをしてしまったのです。棒を振り上げられたとたん痛みがよみがえり、避けようとあとじさった私を見てお嬢さまが意地悪いほほえみを浮かべました。

 おや、私が嫌がると面白い気持ちになるのかしら、そう思い、もう少しあとじさってみますと、ますます楽しそうににじり寄ってきました。思い切って背を向けて逃げ出しましたら、お嬢さまと離れ過ぎないようにゆっくりですが、笑いながら追いかけてきます。そうして私とお嬢さまの追いかけっこが始まりました。


 体が弱いせいで学校も休みがちですし、お友だちと遊ぶことも少ないのでしょう。私のように一緒に遊ぶきょうだいがいるわけでもありません。このような子供らしい遊びにはしゃぐお嬢さまはいつにもまして可愛らしく思えます。お嬢さまが息切れし始めたころ、私はわざと転んで捕まりました。そのころにはご機嫌もよくなったようで、逃げたばつに私を二回ぶったあとのどがかわいたと言って家の中に戻られました。


 それ以来、たまに追いかけっこをするようになりました。お嬢さまは笑い、私も笑いたいのですが怖がっていないとわかると気分を悪くされるので、一人になってからようよう笑います。

 お嬢さまとの時間は私にとって、かけがえのない楽しい美しいものなのです。




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